ずぶ濡れ
8月13日(木)
まさか豪雨がやって来るなどと思わないから、一応傘だけ持ってギャラリーに来た。9月のコレクション展の準備をする。ウテさんの作品を出して、出品作を選んで、古い展覧会データからキャプションを作った。これだけでひと仕事だった。夕方になって雨が降り出してきたので、早めにギャラリーを出た。これが正解だった。新日本橋から総武線快速に乗れただけでもラッキーだったと後で気づく。電車に乗っているあいだに雨がものすごい降りになってきた。稲毛に着いて、なにか買い物して帰ろうかなと考えていたが、外を見ると、それどころではないということがわかる。バス停を見るとちょうどバスが停まっていたので飛び乗る。雨がバスの窓を叩く。道路に水が溜まっていく。バスに無線連絡が入る。あやめ台付近が冠水していてバスが通れない状態だ。あやめ台に行く人は、ひとつ手前のスポーツセンターで降りてくださいというアナウンス。わたしはあやめ台まで行く人なので、スポーツセンターで降りる。バス停に足を降ろすと足首まで水に浸かる。傘をさしたが、雨は容赦なく襲ってくる。それほど風は強くなかったのに、Tシャツまでずぶ濡れになった。もうしょうがないので、川の中を歩くようにずんずん進んで家まで。テレビを見ると、どこの局も千葉で豪雨、と叫んでいた。わたしは帰れたというだけでもよかったと思いながら風呂に入った。
8月16日(日)
マッサージのあとギャラリーに来た。たてやまともかから連絡があり、今日作品の搬出をしたいということだったので、4時過ぎならいいよと伝えておいた。個展最終日は船橋のグループ展の搬入があったので、搬出はしなかったのだ。だいたいのかたづけはわたしがやっておいたので、たてやまは作品の梱包をしているところだ。作品は少しずつ運ぶことになる。彼女もこのあいだの大雨で、ずぶ濡れになったそうだ。稲毛駅前はかなりの冠水になっていて、水位は膝の上まで来ていたそうだ。遠回りして、冠水部分を避けて帰ったそうだ。たてやまも稲毛に住んでいるのだ。
イシャウッドの『シングル・マン』読み終わる。面白かった。他に彼の作品は出てないが、もっと読みたいなあと思った。
「自分が何を知っているかは取りも直さず自分が何者であるかに等しい。」
モームの『ジゴロとジゴレット』読み始める。
この文庫本には帯がついている。そこに、作品のなかの一節、というか一行が書かれている。それが、驚くべき文だった。これを選んで帯に載せたのはもちろん担当編集者だろうが、「どうよこの選び方」と自己満足しているにちがいない。
この一文は「征服されざる者」の最後にある。
ナチに占領されたフランス、そこのある一家に娘がいて、ドイツ兵に犯されてしまうのだが、最後までドイツ兵を憎む。犯したドイツ兵は自分がやったことを後悔して、なんとか許してもらおうと何度も謝りに訪れるのだが、少女は頑なに拒む。やがて少女は妊娠していたことがわかる。ドイツ兵は自分が父親になるということを喜ぶ。そして、少女を愛している自分を発見する。少女は子供を産む。それを聞いた兵士は喜んで駆けつけるが、少女と赤ちゃんは居なくなっている。一家総出で探しに出かけるが見つからない。しばらくして少女は家に帰ってくるのだが、赤ちゃんの姿はない。そしてこういう一言を発するのだ。これが帯のことばだ。
「すべきことをしただけ。
小川までいって、
沈めたの。死ぬまでー」
解説を角野栄子が書いている。
その中に面白いエピソードがあった。角野は若いときに、物語を一人称で書くか、三人称で書くべきか迷っていたのだが、先輩の石井桃子に相談した。そのときの石井桃子の答えがいい。
「モームはね、『一人称であろうが三人称であろうが、面白ければどっちでもいい』っていってるわ」という答えだった。
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