もの派論
10月15日(火)
「もしもし、わたしは〇〇と申しますが、吉岡さんいらっしゃいますか?」
という電話が入る。〇〇はよく聞き取れなかった。なにか言ってるのだが、要領を得ない。日本人ではない。
「誰々さんの紹介で、もの派のお話をこの間お聞きしました」
あ、そうか、あの娘だ。中国から来ている学生で、もの派の研究をしていると言ったあの人ね。
「今日お話を聞きたいんですがいいですか?」
「いいですよ、どうぞ来てください」
夕方になって現れたのだが、顔を覚えていないので、自己紹介をする。
わたしは名刺を渡したら、彼女も名刺入れを出したのだが、何も書いてない白紙の名刺を出して筆ペンで書き出した。その都度、会った人には手書きで名刺を渡しているらしい。
「これお土産です」
と言ってお酒の瓶をもらう。中国酒かなと思ったが、見ると日本酒だった。お土産を持ってくるところはちゃんとしているな。
名前を書く。
チン・ダンインというのだが、インの漢字は探してもない。チンは陳で、ダンは丹なのだが、インは草かんむりの下にワかんむり、その下に玉という字。上海美術大学の博士課程に在籍している。住所は中野区になっているのだが、もうすぐ帰国するそうだ。
それにしても若いのにもの派に興味をもつというのは珍しいね。論文を書くために日本に来たのである。日本語も一所懸命勉強したんだろうな。
遠藤利克とか戸谷茂雄とか錚々たるメンバーにインタビューしてきたらしい。そしてなぜか今日は吉岡の話が聞きたいというのでやってきたのだが、俺でいいのだろうか。とにかく昔の話を適当にしてごまかしたのだった。ポストもの派とか、もの派と野外展の関係とか、けっこう難しいことを調べているのだ。博士論文だから大変なのだな。
彼女はいろいろ調べていて、ステップスには『田村画廊ノート』があるはずだから欲しいと電話で言っていたが、無いよと答えていたのだが、さがしてみたらあったので、プレゼントした。お酒のお礼である。
藤本さんのカップを1つ購入してくれた。
彼女は作品も作っていて見せてくれた。いつか発表したいというので、そのうちグループ展に誘うよ、と言っておく。
10月16日(水)
新宿の眼科で目薬をもらったあと、世界堂に額を頼みに行く。倉重光則の「プラン」作品5点。来週の土曜日にできあがる。頼んだらホッとして疲れが出る。蒸し暑いしなあ。
本を2冊買う。
木山捷平 『駄目も目である』(ちくま文庫)
青山透子 『日航123便 墜落の新事実』(河出文庫)
木山捷平は今年で生誕120年だそうだ。
10月17日(木)
月刊「ギャラリー」の本多さんが来廊。このあいだ、たてやまともかを紹介すると言って来たのだが、今日は赤川浩之を、対談《解答のない問い、そしてあるいは…》にゲストとして出て欲しいとのこと。司会は海老塚耕一。そういえば、このあいだ展示を見に来たときに、赤川君の作品を熱心に見ていたなあ。
「たてやまともかには連絡とれました?」
「ああ、やってるよ。ししゅうって言ってたから詩集のことかと思ってたんだよ。で、ポエム書いてるの?って訊いたら違います!って言われちゃった」
なんかムシムシして暑い。
疲れるなあ。
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