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2024年7月29日 (月)

谷中安規

内山保は内田百閒の書生として一緒に生活していて、その思い出を書いたのが『百鬼園先生と私』だが、ほほう、そんな人だったのね、とまあまあ面白かったのだが、まあそんなところだろうと読み流していたのだが、最後の「小びとのおじさん」の章に来てがぜん面白くなった。それは版画家の谷中安規について書いたものだった。タニナカアンキは、ほんとうはタニナカヤスノリというらしいが、みんなアンキ、アンキと呼んでいた。全部紹介したいが、いくつかの会話文だけ抜き書きしてみる。

「僕のこんど出る童話集の挿絵をかいてくれている谷中さんです」といって、内田さんは私に谷中さんを紹介した。

「わたし、谷中です。よろしくお願いします」

…………

「内山さん、お宅に香水ありませんか」

だし抜けに谷中さんがいう。私は面喰らった。谷中さんと香水とは余り縁がかけ離れている。

「香水をどうするんです?それよりまぁ、おあがりなさいよ。……」

「いや、あがる前にぜひ、香水が必要なんです。お宅にあったら、ちょっとかして下さい……」

…谷中さんは香水を受けとるが早いか、ビンを逆さにして、自分の頭のバサバサの髪の毛の上や、着物にやたらふりかけた。

「これですみました。どうもありがとうございました。……」

谷中さんは笑いながら、香水のビンを私に返した。

「どうしたんです?」

「ここんとこ、ずっと風呂に入ってないうえに、暑いのでからだがよごれて臭くなっているので、そんな臭いにおいをかがしては失礼だと思って、香水でにおいを消したわけですよ、ハハハハ」

……

「アンキの奴、どうして生活しているんだろう」

「全く、なァ」

「なんでもひと月、十五、六円ぐらいで、やってるらしいぜ」

「いくら一人でもそれくらいで、一ヵ月生きていけるとは、偉いもんだなァ。どんなことやっているんだろう?たまには飯を食わん日だってあるんだろう…」

「そりゃあるかも知れんなァ」

「それにくらべると、われわれの生活なんて王侯のようなもんだぜ、ハハハ」

「それにしてもアンキはもっと積極性を出すべきだよ。変に人に頼るところがあるよ」

「たしかにそういうところがあるなァ」

「もっとバリバリやって、いいものを発表すれば、我々はいつでも応援してやるし、我々の周囲だけでも、立派に、画会の後援会ぐらいは作ってやれるよ。それなのに、最近は俺のところにも来やしないだろう……」

「俺のところには、時々、くるんだ」

「絵を買ってくれって、いうんじゃないか」

「そうなんだ」

「ああいうところが、いけないんだなァ。可哀相だけれども、俺は断ることにしてるんだ」

……

薄っぺらな、細い、暗い梯子段は、一あし踏む度に、ギコギコ気味悪く鳴る。

上りついて見ると、恐っそろしく、薄汚れた、狭い、暗い部屋である。それに、プーンと、男やもめの一種異様な臭気が鼻をつく。小さな三畳の間である。一畳は畳がなくて床がむき出しになっている。谷中さんの説明では、仕事場としてわざと、その一畳は畳をあげてあるのだという。あとの畳のしいてあるところに、小さな机が置いてある。この二畳が居間兼書斎兼食堂兼寝室なのだそうである。

……

「私は、しかし、米の飯は金がかかるから、時たましか食べません」

「じゃ、何を食べるんですか」

「あんパンと味噌汁です」

「あんパンといっても、普通店に出ている新しいのでは、高くて、いくらも買えないから、売れ残りの、少し固くなったのを安く、たくさん買ってくるんです。それも近所のパン屋のおばさんと顔なじみになっていますから、ちゃんと、とっといてくれて、わたしがいくと特別にまけてくれるんです。十銭も買うと、二、三日はたっぷりあります」

「そんなあんパンを食べて、お腹をいたくしませんか」

「いや、大丈夫です。売れ残りといっても、悪くなったのとはちがいますから…」

……

谷中さんは、巣鴨周辺の焼野原に、焼けトタンや板で小さな小屋をつくり、まわりの空地にかぼちゃを作って『おかぼちゃ様、おかぼちゃ様』と、かぼちゃを唯一の食料にして生きていたらしい。これからおちついて、いよいよ、本格的な仕事をやるんだと、張り切っていたそうであるが。

谷中さんは、天涯孤独のうちに、誰も知らぬ間に、息を引きとっていたのである。如何にも、谷中さんらしい往生である。

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