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2024年3月15日 (金)

在廊ということ

今日は、日影眩がギャラリーに姿を見せた。無理をしなくていいのにと思う。来週もあるんだし…

誰か知っている人が来たら…と考えているのである。

作家がギャラリーに「詰める」必要はないのであるが、そこのところを、作家もお客さんも勘違いしている。ギャラリーは作家に会いに来るところではなく、作品に会いに来るところである。作家は居なくていい。

ニューヨークで個展をやる。初日にパーティーを開く。作家に会いたい人はパーティーに参加する。それ以外の日は在廊する必要がない。ていうか、居てはいけないのである。パーティー以外の日にギャラリーに行ったりすると、何をしに来たの?と言われる。

ギャラリーに作家が居て、お客さんを待ち構えているのは日本だけである。不思議な風習である。

思い起こしてみると、海外のギャラリーを見てまわって、ギャラリーに作家が居るのを見たことは一度もない。

なぜ作家はギャラリーに居ないのか。

居るとかっこ悪いからである。作家がギャラリーに居ると、作品を一つ買ってくれないかなとか、なにか物欲しそうで、さもしい雰囲気が出てしまうのである。

作品を説明したい作家もいるかもしれない。作家は作品の説明をしなくてもいい。説明をするのはギャラリーの仕事であって、作家が自分で説明するのはかっこ悪いのだ。

そもそも説明しなければわからないような作品はたいしたことないし、説明を求めるお客さんが作品を買うことはない。作品を買う人は説明を求めない。ただしばらく作品を静かに眺めてから「これをください」と言うだけである。

日本のギャラリーは作家に「なるべくギャラリーに顔をだしてください」と言うことが多い。作家が居た方が作品の売れ行きがいいからである。作品を見て買うのではなく、作家と話をしてから買う人が多いからである。日本独特の事情があるのである。

ニューヨークの話ばかりで申し訳ないが、ニューヨークのギャラリーには、たいてい作品の説明をプリントにして置いてある。説明が欲しい人はこれを読んでね、という訳であるが、それは、ギャラリーのスタッフは説明なんかしないからね、という意思表示でもある。説明を欲しがる人は、作品を買う人ではないのだ。作品を買う人は、事前にギャラリーに連絡して、この日の何時に行きますと連絡を入れる。連絡をもらったら、ギャラリーは丁寧に対応するはずである。そういうことよ。

ミラン・トゥーツォヴィッチの個展をステップスで初めてやったときは、ミランは居なかった。つまり在廊はしていない。当時ミランは日本では無名だったし、どうかなあ、と思っていたが、作品は数点売れた。それはひとえに作品に力があったからである。

ミランが亡くなって追悼展を開いた。追悼展なので、もちろん作家は居ない。作品は安くはなかったのだが完売した。

作品が売れないことをお客さんのせいにして「おれの作品を理解できないのだ」などと言う作家がいるが、そうではないのよ、あなたの作品に魅力がないだけなのである。

なんだかボヤキになってきた…

宮田徹也が本を一冊持ってきた。

小澤基弘 監修 『アートの処方箋』(水声社 ¥2,800)

執筆者は30人ほどで、大学の先生とかアーティストとかいろいろな人が、アートについて知りたい人のためにそれぞれの立場から分かりやすく解説している。

宮田徹也は「人間であることの意味」というエッセイ風のテキストを書いている。

 

 

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コメント

野見山暁治さんがパリで初個展をした時、作家はギャラリーに顔を出さないでくれと言われたそうです。

投稿: 曽根原正好 | 2024年3月15日 (金) 19時15分

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