倉重弟
このあいだ、倉重光則の弟さんが美容室をやっていたことを書いた。で、村松友視の『ピカビアの星』にそのことが書いてあると報告したが、兄である倉重光則も登場する、と本人が言っていた。「ちょこっとだけ出てくるんだよ」と言っていたので、本をぱらぱらめくってみた。「ちょこっとだけ」というのだから、倉重が出てくる場面を探すのは大変だろうなあ、全部読まないとその個所は出てこないかもしれない、と思ったが、あらら、数ページ進んだところで登場している。
・店の名前であるPIKA-BIAは、1879年生れのフランスの画家、マルセル・デュシャンやマン・レイらとニューヨーク・ダダの形を作ったフランソワ・マリー・マルティネ・ピカビアからとった。ヤスはとくにピカビアという画家にこだわっているわけではなかったが、現代美術家である兄の影響だった。
「ちょこっと」どころではない。弟との会話が続いていく。最後には殴り合いの喧嘩までしている。少し長いけど、今日は時間があるから、書き写していってみよう。
・「ピカビアは、小説も書いたし詩集も出したけど、美術活動に関しては絵画以外の表現手段にはまったく手を染めなかったからな」
「つまり画家であったわけだ」
「画家として、自分自身をくり返さない……そういう考え方というか、生き方なんだね」
「そうなってくると、ピカビアってやっぱりすごいんだな」
「すべては今日のためのものであり、昨日や明日のためには何物もない……これがピカビアの信条だね」
「兄貴も同じってことか」
「そういうこと……」
兄は、ピカビアの話をいつも熱っぽく語った。何度も同じことを話すケースもあったが、兄貴はそうやってピカビアへの思い入れをみがいているんだなとヤスは思った。だが、そんな兄にとって、ピカビアという偉大なる存在がアキレス腱となっているのではないかという不安が、つねにヤスの中にあったのも事実だった。
・「兄貴、しばらく個展やってないだろ」
「ああ」
「どうしてやらないの」
「俺には俺の呼吸ってものがあってね」
「でもさ、どこかで線をもうけないと実現できないんじゃないの、自分の呼吸にまかせておいたら、いつまでたっても潮が満ちるってことはないんじゃないか」
「おまえが店をもつのとは訳がちがうんだよ」
「それはそうだけどさ」
「俺はね、どうしてもおまえみたいにライト感覚ではうごけないんだよ」
・「自分の店をつくるっていうのは、おまえにとってはたしかにひとつの夢だったけどさ、それは俺がアトリエをもつっていうのと同じじゃないの」
「……」
「つまり、夢をつくる場所が手に入っただけのことなんだよ」
「兄貴のアトリエとは少しちがうと思うけど……」
「いや同じだ。問題はそのあとだよ」
・「兄貴のどこかに差別感があるんじゃないの」
ヤスは、兄の気の昂りを見て、わざと攻撃的に言った。兄はコーヒー・カップを床に置き、ヤスと真正面から向い合った。
「差別感?おだやかでない言い方だな」
「兄貴がやってるのは高級な芸術、俺がやってるのは単なる商売、そういうふうに思ってるんじゃないのか」
「……」
「それは半分くらい当っているのかもしれないけど、そんなのふつうの芸術観だよね」
「……」
「仮にもピカビアの弟子を標榜する者の感覚じゃないよな」
「おまえ……」
「ピカビアの芸術は人生そのものだなんてセリフ、ちゃんちゃらおかしいんだよね」
次の瞬間、兄の拳がヤスの頬を痛打した。
…………
「ヤス、喧嘩の場所を選ぶなんて、子供だましもいいとこだぜ」
兄の言葉が終わらないうちにヤスは立ち上り、左のフックを兄の右頬へ叩き込んだ。兄は、立てかけてあった自分の作品の上へ倒れた。
倉重は昔から変わってないのだった。
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