劇的変化
来週は纐纈令(こうけつりょう)展。
DMの写真とか載せたらいいのだろうが、今わたしはブログに写真を載せられない。何とかしなくてはいけないのだが、だらだらそのままにしている。そのうち何とかしよう。来年かなあ…
写真が載せられなくていいことが一つだけある。それは写真を載せる面倒な準備と操作が必要でなくなったから、楽なのである。写真でごまかせない分言葉で説明しなければならないのがちょっとだけ大変だが…
纐纈君は明日搬入で、どんな作品を持ってくるか分からないのだが、キャプション用データを見るとだいたい見当がつく。面白い作品があるようである。作品は個展のたびに変化してきているのだが、今回は劇的変化を期待できるかもしれない。
「劇的変化」という言葉はイザベラ・バードに対して使おうと思っていたものだ。
『日本紀行』の上を読み終わって、いちばん心に止まったのはイザベラの変化なのである。
彼女は日光から新潟に入って貧しく不潔で食べ物もなく、気の毒なほど苦労しているが、イギリス人の宣教師ファイソン夫妻の家に泊めてもらうことになるが、こんなふうに言っている。
「この家庭は簡素で不便なほど小さいのですが、ドアや壁はたいへん豪華です。意味不明の日本語のおしゃべりばかりを耳にし、日本人の無作法をえんえんと経験してきたあとだけに、洗練された西洋人の家庭に迎えられたことがどれだけうれしいものであるか、あなたには想像もつかないでしょう。」
バードはこのあと、福島を通り山形を通過したあと久保田(秋田県)に到着し、何日もここで過ごす。なにが作用したのか分からないのだが、こんなふうに変わっていくのだ。たった2週間後のことである。
「全体として、わたしは久保田が他の日本の町より好きです。それはたぶんここが純日本的で、昔は栄えていたのにいまはさびれているという雰囲気がいっさいないからでしょう。わたしはもう西洋人に会いたいとは思いません。まったくのところ、会わなくてすむよう、もっと奥地に行くべきでしょう。日本の生活にとても慣れてきて、いまのように仲間のいない旅をつづけたほうがもっと多くのことを学べるものと思っています。」
これが劇的変化というものだろう。
「下」でいよいよ北海道に渡る。
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