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2023年9月13日 (水)

イザベラ・バードの歌舞伎評

金谷ホテルマーガリンというのがあって、ときどき買う。ネオソフトなどよりも高級感がありちょっと高めだ。日光の金谷ホテルは高級ホテルで、名前を聞いて知っているだけだが、イザベラ・バードは金谷邸に泊まった。日光では裕福なお家なので、部屋も食事もよかったらしい。お金持ちなのに金谷さんはいつも、お金がないお金がないと言っていたそうだ。彼は外国人専用のホテルを作ろうとしていたのだが資金が足りなかったらしい。

日光を立って新潟に入り東北に行くわけなのだが、その前に横浜と東京にしばらく滞在した。面白いことがたくさんあるのだが、わたしは歌舞伎を鑑賞したバードの感想がとても面白かった。面白かったというよりは同感!という気持ちである。歌舞伎に対する違和感をずっと感じていたのだが、同じ気持ちを代弁してくれているようでうれしかった。

「ふつう日本人にはひげがないので、男性が女性に「扮する」のは容易なことですが、真似た女性の声はとても不愉快で、このように演じられる女性の役には堅さがあり、優美ではありません。ある作品はストーリーが力強く語られるものの、体と顔の演技は、西欧式の考えでいくと、不自然で大げさ、また重く沈んだ音楽と嘆き悲しむようなコーラスは悲嘆と絶望の表現を強調しすぎです。古い日本に興味を持ち日本語の知識もまずまずある外国人には古典劇ファンが多いのですが、新富座で上演されたものがその代表であるなら、わたしにはテンポがのろくて退屈だと書くしかありません。」

「休憩中にお茶とシャンペンが桟敷席に用意され、升席では宴会が繰り広げられましたが、そのあと、能舞台の幕が開いて、役者が現れました。『コーンヒル』誌一八七六年一〇月号にこの公演についての論文を書いた学者チェンバレン氏が、わたしをこの古い抒情劇にいくらかでも熱中させようとしました。しかしながら解説を受けても、衣装がどれだけすばらしく、また役者にどれだけ時代を経た風格があろうと、わたしにはとても退屈で、かき鳴らすような楽器の音と、つぶやいたり、わめいたりする歌やせりふと、足を踏み鳴らす音を伴奏にポーズをとるのは、門外漢にはまったく苛立たしいものでした。」

イザベラのこの本は、イギリスに居る妹に送った手紙であり、まさか日本語に訳されるなどと考えていないので、「ありのままに」書いている。だから悪口もいっぱい書いていて、それが無性に面白い。

日本家屋の部屋には「なにもない」のだが、一輪だけ飾られる花を美しく感じ始めたりする。

「生け花は入門書を使って学び、女の子の教育のひとつに数えられています。わたしの部屋に花が生けかえられない日はめったにないほどです。これはわたしにとっても教育で、ただひとつのものだけを飾る、その極端な美しさを評価しはじめています。床の間に掛けてあるえもいわれぬ美しい掛物には、花をつけた桜の枝が一本だけ描いてあります。屏風の一面には一輪だけのあやめがあります。磨き込んだ柱にとても優美に掛かっている一輪挿しにはそれぞれ牡丹、あやめ、つつじが一輪または一枝ずつ挿してあり、茎も葉も花弁もすべてがその美しさをあますところなく見せています。イギリスの「花屋」のつくる「花束」ほどグロテスクで野蛮なものはないでしょう。異なった色の花を幾重にも同心円状にたばね、羊歯と堅い紙のレースでそれを巻くのですから、茎も葉も、いや、花びらさえ無残につぶれ、それぞれの花の優美さと個性は当然だいなしになってしまいます。」

バードは日光から新潟に入るのだが、読んでいるこちらが辛くなってくるような旅が始まる。日光までは人力車が使えたのだが、新潟までは馬と徒歩。体力あるんだわ。伊藤という通訳を連れて行くのだが、「有能な男」と言っているが、「ぶ男なのにおしゃれに気を使っている」と悪口も添えられる。

新潟の宿は悲惨なほどみすぼらしく、食べ物もろくなものがない。ご飯ときゅうり、ときどき卵を食べる。「まずいスープ」というのは味噌汁のこと。大根がひどい。イザベラの言う大根というのは沢庵のことで、「悪臭を放っていて、今までの悪臭のなかでいちばんで、スカンクに匹敵する」と書いている。

バードが旅をしたのは明治10年ころだが、田舎では極度に貧乏だったようである。

日本を旅する時の必需品として二つのものを挙げている。簡易ベッドがそれで、彼女は畳の上に寝なかったし、布団も使わなかった。ノミ、ダニ、シラミの大群に襲われるからだ。もう一つは蚊帳。二品の蚊帳にはノミ、ダニ、シラミがいるから自分で用意したもの。

日本の悪口ばかり言っているのに、なぜだか、この人は日本が好きだろうな、と思うような文章なのである。

イザベラ・バードが読み継がれているのは、とにかくびっくりするような出来事が次々に起こって面白いのと、描写が上手であることだと思う。

「上」の途中まで読んだが、イザベラは山形県に入った。

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