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2020年5月 9日 (土)

意識と本質

フフフフフ…

フフフフ…

絵の具が届いた。

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萩谷君が茨城から送ってくれたものである。9本、指定した色を届けてくれた。

嬉しい。絵の具を手に入れて、こんなに嬉しかったことはない。

これで、作品を作ることができる。少しずつ進めていこう。

白が4本、黒が1本、黄色系が2本、緑が1本、紫が1本である。それだけ?と言われそうだが、他に必要な色はすでに持っているので大丈夫なのである。「彫り」の作業も終わり、あとは色をつけていくだけである。ゆっくりゆっくりやっていこうっと。

また本を買ってしまった。読むスピードよりも、買うスピードの方が勝ってしまっている。ま、いいや。

瀬木慎一 『画狂人北斎』 (河出文庫)

マルティン・ハイデッガー 『芸術作品の根源』 (平凡社ライブラリー)

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井筒俊彦 『意識と本質』 (岩波文庫)が読み終わりそうである。難しい本であるが、そしてほとんど理解できなかったのだが、なるほど!と「ためになったね~」と言いたくなる個所がいくつかあった。難しい議論が展開していても、「例えば」という魔法のことばが入ると、凡人でもとても分かりやすくなるものである。

例えば、と井筒さんは言う。ここに火と紙がある。二つを近づけると紙は燃える。必ず燃える。なぜか。火の本質(の一つ)として、紙に近づくと燃やしてしまうということがあるからである。火に近づくと燃えるということが紙の本質(の一つ)である。

当然のことのようであるが、このことに関して、昔のイスラーム哲学の世界で論争が起こった。有名な論争であると井筒さんは言うのだが、われわれにはピンとこない。イスラーム文化というものが、いかにわれわれの日常から離れたものになっているか、ということを実感させられる。

火と紙の本質について、そもそも本質なんていうものは無いんだよ、という反対論が出てくるのである。

紙に火を近づけると本当に燃えるのか?「必ず」燃えるのか?という議論である。反対派は必ず燃えるわけではないと言う。何万回、何億回やっても必ず燃えるだろうか?燃えないときだって必ずあるのである。紙が燃えるのは「たまたま」であって、必ず燃えるわけではない。燃えるか燃えないかは偶然である。従って、ものには本質などないのである。

すべてのものに本質というものがあるとしたら、すべての事象に因果関係というものが起こり、すべては決められた通りに展開していく。だとしたら、この世界に神が介入する余地は無くなるというのである。

本質が支配する世界には奇跡は起こらない。

この論争は、アインシュタインと量子力学のボーアとの論争を思い起こさせる。偶然はあるのか?という議論だが、アインシュタインは偶然はないと主張する。原因が同一であれば、結果もすべて同じになる。「神はサイコロを振らない」と言ったわけあるが、ボーアは、量子力学の世界では予想できない現象が起こる、ということを説明する。論争は、アインシュタインに有利には展開せずに、ボーアの主張が認められることになる。

これも本質論ということになるわけだ。

人間の意識ということに言及しているのが第8章なのであるが、ここはわたしにとって、一番エキサイティングなことがたくさん書いてあり、イメージ(イマージュ)ということについて改めて考えさせられる個所だった。内容も分かりやすい。

ひとことで要約すると

「意識はイマージュの連続である」

ということになる。

うーん、とうなってしまった。意識はイメージなのである。

人間は、全てのものをイメージとして捉えるのである。

例えば、ここに1本の木がある。わたしはそれを見ている。それは映像として残る。後日、全く違った場所に居て、たとえば海とか。そこで以前見た木のことを思い描く。それがイメージと呼ばれるものである。そこに無いものを「イメージ」するのである。ところが、井筒さんは言う。実際の木を眼の前に見ているときでも、われわれは木そのものを見ているのではなく、イメージを見ているのである。われわれはイメージとしてものを見ているのである。普通の人は、実物の木とイメージの木が近すぎるのでそれに気づかないだけである。

ハイデガーは 「芸術作品の根源」 の「根源」とは本質のことであると言っているので、ハイデガーも面白く読めそうである。

 

 

 

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