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2020年4月24日 (金)

宇野千代の艶

4月24日(金)

4日ぶりでギャラリーに来た。郵便物がいっぱいになってるかなあと思って郵便受けを開けてみると、ハガキが1枚だけあり、あら、マスクが入っていた。アベノマスクだ。へえ、事業所とかお店にも配られるんだ。

メールをチェックする。

銀座の東急ハンズは営業してるかなあと思って電話してみたら、5月6日まで休みらしい。買い物しようと思っていたが、やっぱりそうかあ。

新宿の世界堂にも電話する。ここも5月6日まで休みだった。もし開いていたら、アクリル絵具を買おうと思っていたのだが、これもだめだった。

千葉のジョイフル本田にも電話。ここは営業している。アクリル絵具は扱ってますか?と訊いてみると、しばらくして、ありますとの答えだったが、雰囲気的に箱入りのセットのような気がする。大きいチューブはないだろうなあ。やっぱり5月に入ってから世界堂に行くのがいいのだろう。絵具買っておけばよかったなあ。

前回、佐藤全孝さんの個展が「追悼展」になったとお知らせしましたが、いろいろと準備もあるので、追悼展は来年に延期することにしました。ご了承ください。

したがって、6月8日(月)-13日(土)はギャラリーは休廊になります。

わたしは、家で作品の制作をしている。彫刻刀で板を彫るという面倒な仕事なのだが、時間はあるので、思ったよりも捗っている。

制作の他は、テレビをぼうっと見ている。コロナのニュースは憂鬱になるので、バラエティーを選んでいる。

あとは、読書。家で本を読むと、ぜんぜん進まない。電車の中で、立ち読みするのに慣れてしまったせいか、どうも落ち着いて読むのがしっくりこないのだ。

今、宇野千代を読もうと思っている。

若い人は宇野千代って言ってもピンとこないだろうなあ。

昔、よくテレビに出ていた。そのときは、もうかなり高齢で、着物を着て、黒縁のメガネをかけていたが、どこから見ても細身のおばあちゃんだった。

年譜を見ると、1897年生まれである。明治29年かな。で、平成まで生きて、1996年、98歳で亡くなった。とにかく自由奔放で、恋多き女ということは知っていたが、作品を読む気になれなかった。なぜかというと、テレビによく出ていたからである。テレビにしょっちゅう出ている人の小説は、なぜか読みたいと思わないのだ。こんなおばあちゃんが、恋多き女と言われてもなあ。わたしが20歳のときは78歳だったはずだし、だとすると30歳のとき、宇野千代は88歳だったのでる。

東郷青児との関係を書いた 『色ざんげ』 もぱらぱら捲ってみると、語り手が東郷になっていて、宇野千代が語る体裁になっていないので、興味をなくした。

工藤美代子の 『愛して生きて 宇野千代伝』 を読んで、イメージがまったく変ってしまった。

工藤は

「…珍しいことではない。初めて千代に会った男の多くは、魅入られたようにその面(オモテ)を凝視する。…」

とその美貌をこまかく描写する。

この本の表紙には彼女の写真が使われている。

Photo_20200424140301

なるほど、美人である。この写真はたぶん大正時代のものではないだろうか。その時代にあっては、ものすごく目立っただろうし、工藤が書くように、男たちは、みんな一目惚れした。尾崎士郎、東郷青児、梶井基次郎、北原武夫…とつぎつぎに男を乗りかえていく。すごいワ。

岩波文庫の 『老女マノン・脂粉の顔』の表紙に使われている写真を見てみると、こんな感じである。

Photo_20200424141101

これはデビュー当時だろう。ずいぶん雰囲気がちがうよね。女性はこんなふうに変るから恐い。

デビュー作の 『脂粉の顔』 を読んでうなってしまった。

うまい…

いい作品である。

『色ざんげ』 は、東郷青児の聞き書きで、青児が後述したのをそのまま書いたので、語り手は男なのである、ということを知ったら、読みたくなってきた。

 

 

 

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