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2019年5月16日 (木)

関根伸夫の文章

一昨日のことであるが、ギャラリーを閉めて階段を降りたら、ギャラリー58で、関根伸夫が亡くなったと教えてくれた。メールで知らせてくれた人もいた。

今、ステップスでは関根伸夫の版画を一点だけ出しているので、なにか「縁」を感じる。

今回出している関根伸夫と菅木志雄の作品は、昔、山形のギャラリーで買ったものなのだが、なぜ山形かというと、こういうわけである。

わりと大がかりな版画の頒布会があって、全国のギャラリーを巡回していたのである。それが山形にも来た。名の通った作家の版画を安価に手に入れてもらおうとした企画だったようだ。菅さんと関根さんは、それに出すように頼まれて、頒布会用に作ったのだと思う。だから、かなり珍しい作品なのではないだろうか。

作品を買うと、作家本人による説明文がついてきた。非常に興味深いので、ここに載せてみたい。せっかくなので菅さんの文章も紹介する。

「〇のプロジェクト・△のプロジェクト」

関根 伸夫 

 彫刻・モニュメント・広場・はたまた版画に至る作品を構想する上で、今までの経験から類推するに、私の場合決して形態から始める例はないようだ。かならず構想する上での意味とか内容みたいなものをまず考え、それをデッサンとかスケッチという幾多のなぐり描きを経てしだいに形態もしくは形相を帯びてくる。この版画で試みているのはこの逆の作業、つまり〇とか△から形相を呼びよせる作業である。しかしここでも厳密に云うならば、「〇とか△から形相を呼びよせる作業」とあらかじめ、意味とか内容といったものを構想している点に気付かれたい。

 私は他人によく、極めて多種多様な着想を同時にやっているけどどうしてかと問われることがあるが、この真意は私にも不明である。唯いいうることは、常に今一番やりたいことを自分自身の起承転結あるいは脈絡なしに表現しようと考えることである。というのも、いかに多種多様な構想と表現をとっても、自分自身の範囲は限定されるし、限界が自らによって生成されると思うからである。

 例えばいかに遠くに石を投げても、世界からすれば自分からすれば自分からはほぼ密着した距離にしか投げられないと同様である。月が鏡であったなら…という歌謡曲があるが、真に月は鏡である。何故なら人間の思惟する範囲の月、その時の感情表現としての月しか古来月はない。

 何だかどうも変な方向へ道がそれたが、この版画は皆様にどう思われるかの方が私には興味がある。

 〇のプロジェクト

 △のプロジェクト

 そして次なる構想は

 ◇のプロジェクト

 を作ってみたいと思っている。

 

 

「版の次にくるもの」

菅 木志雄

 たいがいどこの家庭でも、印かんのひとつや、ふたつはあります。高価な中国産の印石にしろ、文具店で売っている木の三文判でも、その意味するところは、さしてかわりがない。

 〈これは、わたしのものです、あるいはわたしがしたことです〉という証明に使用するのが大半であるけれども、もしそれだけであるなら、外国人のように、自分のサインのほうが、より個人の特性をあらわすという点では、すぐれているのではないかと、考えられなくもありません。ところが、日本では、依然として印かんが重要な役割をえんじて通用しています。

 これは、どうしてか、わたしのひやくした解釈では、日本人はどちらかといえば、抽象性がつよいニンゲンだから、生々しい直筆よりも、ときには、字ともいえないような判(版)のシンボルのほうに、なにか独特のものをみるかもしれません。

 この意味で、日本人とは、〈版〉というものをかなり、さまざまな角度からながめ、拡大解釈できる素地をもっている。

 さて、わたしは、今回、「界置」と「集置」とふたつの版画(といっても画の部分は、おおかた抜けていますが)をつくりましたが、この両方とも、とくに絵柄というものはなく、印刷用の地紋を数種そのまま版におこして、かさねて刷り込んだものです。

 どちらも黒一色。

 なぜ、ちがうイロをくみあわせて使わないか。それは、イロによって、情緒的な(あるいは、感情的な)イメージをよびおこさせないためです。わたしは、単なる絵ヅラではなく、版の意味について考えてほしいのです。版が表わす〈絵〉ではなく、版ひとつ、ひとつのちがいについて考えてほしいのです。

 どこにでもある印かんのように、字のちがいだけでなしに〈版〉そのもののちがいについて、そして、その〈版〉のもっているシステムのちがいについて、思いをはせるならば、第三者は、しらずしらずのうちに、〈なにかを表わす〉ことの意味を、また、そこにあるもののそれぞれのちがいについて考えはじめているということになるでしょう。

 版画は、そのときすでに結果として、そこにあるのですから。

 

 

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