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2018年9月16日 (日)

十河さん搬入

9月16日(日)

十河さんの搬入。

いつものように、展示のプロ、アートワークスから二人のスタッフが来てくれる。

150号が4点ある。

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今回は壁2面に跨らせないでの展示なので、わりと楽に作業は進む。

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またまた度肝を抜く強烈な作品なのだが、本人は「ふつうの展示だな。ちょっとおとなしかったかな」などとつぶやいているが、充分驚かせてくれる作品である。

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作品の紹介は初日の19日(水)に書きたいと思う。

十河さんは会場には土曜日に来る予定。22日(土)と29日(土)。体調がよければ13:00過ぎくらいになるというのだが、体調が思わしくなければ、もっと遅くなるか、キャンセルになるか…

作業をしながら、十河さんとは来年の早稲田大学での展覧会の打ち合わせ。作品もおおよそ決まっているらしい。

わたしが書いた「コンセプト論」についての十河さんの意見。今度詳しく書きたいが、コンセプトという言葉は、あれは日本では広告業界で使っていた特殊な業界用語なのだそうである。哲学用語としてのコンセプトではなく、広告の説明をするときにクライアントに説明するときに、広告のコンセプトは…と使っていたそうである。昔から使っていたが、いつの間にか一般の人も使うようになってしまった、ということだった。クライアントという言葉も流布してしまった感があるが、あれだって、元々は広告依頼主という意味なので、広告業界でしか使わなかったのである。…

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面白い話だったので、また次回。

いくつかお知らせ

①佐渡さんのこと

佐渡富士夫 回顧展のチラシを持ってきてくれた人がある。

回顧展ということは、亡くなっていたのだ。知らなかった。

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佐渡富士夫 回顧展

9/12(水)-17(月)

市立小樽美術館市民ギャラリー

今日までの会期で、小樽だから行けないけど…

小樽の佐渡さんとは、1999年のアメリカ、サンノゼでのグループ展でいっしょだった。

2017年逝去。享年78歳とある。

②昔の作品

古い友人の K氏がギャラリーに寄ってくれた。以前パソコンが壊れて、住所録も消えてしまったので、案内状も出せないままになっていたのだが、わたしのこのブログをいつも読んでくれているそうで、この間の横浜の個展にも行ってくれたそうである。ありがたいものである。今年、奥さんが亡くなったという話をした。

「寂しいよね」

「寂しいね」

家にわたしの作品を飾ってくれている。その写真を見せてくれた。

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かなり昔の作品なので懐かしい。これもありがたいことである。

③本

国木田独歩を読んでいる。すごく面白いので、「武蔵野」も読まなくては(昔読んだような気もするが)。手元に本がないと落ち着かないので、また一冊買い足した。

『三島由紀夫紀行文集』(岩波文庫)

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岩波はこのところ、紀行に力を入れているような気がするなあ。

④田崎亮平のこと

亮平が倫敦に行くとこの間書いたが、昨日ギャラリーに寄って、最後の握手をして帰った。

作品のカタログが出来上がったので、持ってきてくれたのである。

ロンドンに持っていくのである。

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テキストはわたしが書いた。せっかくなので、載せてみる。

田崎亮平の手わざ

吉岡まさみ

 美術作品というものは、われわれの眼に訴えかけてくるものが多い。いや、そのほとんどが視覚芸術の範疇に入ると言ってもよいだろう。絵画はもちろんのこと、彫刻も写真も映像もしかりである。色彩や形、イメージや動きを見せることで、われわれの網膜を通して心に訴えかけることで、その効果を発揮するわけである。

 ところが、そのなかに、われわれの網膜と視覚に語りかけるのではなく、われわれの頭脳に直接訴えかけてくる作品のグループがある。われわれの網膜を喜ばせることを目的とせずに、作品の意味やその中に含まれる思想や物語を伝えることを第一に据える作品である。これをわれわれは概念芸術(コンセプチュアルアート)と呼ぶ。概念芸術はわれわれの知的興味を刺激する。

 そういう意味では、田崎亮平の作る作品群は、まさに概念芸術と呼んでいいだろう。

 2013年、東京のSteps Galleryで発表した『欲望の展覧会』(Exhibition of desire)というタイトルの展覧会では、本物の宝石から型を取って樹脂を流し込んで作ったフェイク宝石を3000個並べた。これは本物とコピーの境界線をはっきり示すものなのか、逆にあいまいにしてしまおうとしているのか、そのどちらかを決めないまま、われわれの側に決定と理由づけを迫るのである。

 贈り物のパッケージに使うリボンを使った作品では、箱に絡ませて結んだリボンを結び目ごと樹脂で固めてしまい、箱を抜いたリボンだけを提示した作品である。贈り物とは、いったい何を送るのか、贈与という行為に対してのわれわれの立ち位置と姿勢を確認させる作品になっている。

 あるいは、樹脂で地面そのものを型取り、地面の表面を写し取り、さらにその上に樹脂を流し込み、地平線を意識させる作品では、一見なんの変哲もない、樹脂の小さなキューブが、われわれの意識とイメージを根底から揺さぶるのである。


 作品を見るわれわれの頭の中に浮かぶ、作品の構造体としてのイメージやそれにまつわる一連の想念のことを概念と呼ぶとすれば、概念(コンセプト)とは、作品の中に備わっているのではなく、見るものの心のなかに想起されるものであることになる。田崎の作品はそのことを明確に気づかせるものになるだろう。


 田崎の作品は、まぎれもなくコンセプチュアルアートであるのだが、通常のコンセプチュアルと違うところがある。それは、まるで彫刻家が粘土を扱うように、画家がパレット上で絵具を調合するように、丁寧に作品を仕上げて、美しく、見るという鑑賞に耐えられるものにしてしまっている点にある。つまり、田崎の作品は、われわれの頭脳に訴えかけてくるだけでなく、手わざを駆使してわれわれの網膜にも刺激を与える力を獲得しているのだ。 

 コンセプチュアルアートでありながら、ことばの非常に素朴な意味で「美しさ」を備えた田崎作品は、難解になりがちな現代アートを逆方向から照らし出して、美術の新たな魅力を引き出しているのである。

 

 

 

 

 

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