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2018年7月25日 (水)

ジャスパー・ジョーンズ

昨日の朝、テレビで高田純次の「じゅん散歩」を見ていたら、「色鉛筆画家」林亮太のアトリエを訪ねる場面が出てきた。高田純次は、自分の名前を言うときに、「高田純次です」とは言わないで、必ず誰かほかの人の名前を自称し、「こんにちは、通りすがりの鉄腕アトムです」とか、「鞍馬天狗と申します」などと話しかける。

林亮太のアトリエ玄関のインターホンを押して、高田はこう言ったので仰天してしまった。

「こんにちは、わたしはジャスパー・ジョーンズです」

と言ったのである。

朝のこんな時間にテレビを見ている人は、ジャスパー・ジョーンズというのが誰だかわかっただろうか。それにしてもジャスパー・ジョーンズの名前が、高田純次の口から発せられるとは思いもよらなかったので、びっくりしてしまったのだ。高田純次は自分でも絵を描くから(けっこう上手である)美術に詳しいのかもしれない。それとも、番組スタッフが、「ジャスパー・ジョーンズでいってみませんか?」と提案したのかもしれないが、いずれにしても凄いことである。

タレントでもお笑い芸人でも、第一線で活躍している人を侮ってはいけないのである。

船木亨『現代思想講義』を読み終えたのでわたしが重要と思った箇所を抜書きして紹介したいのだが、その前に、次に読む本を買ったので、それを先に紹介する。

Photo

オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(光文社文庫)

エリック・ホブズボーム『20世紀の歴史 -両極端の時代-』上・下(ちくま学芸文庫)

『すばらしい新世界』はいつか読んでみたいと思っていて買った。1932年に出版されたこの本は2540年の未来について書かれていて、人間は工場で「生産」されるような、いわゆるディストピアを描いているのだが、読み始めて、正直「あまり面白くないな」と感じてしまった。ストーリーそのものは刺激的で面白いのだが、なんか文体がわたしに合わない。これはハクスリーの問題なのか、あるいは翻訳者のせいなのかはわからないが、原文の英語が透けて見えるようなぎこちない訳なのである。また、内容も、発売当初は、発禁本になるほど極端な表現だったようであるが、2018年の現在これを読んでも、それほどの驚愕を与えない、というのも理由になりそうである。

『20世紀の歴史』は、ぱらぱらとめくって、すぐに買った。 冒頭の「序文と謝辞」の1行目が

「二十世紀の歴史を他の時代の歴史のように書くことはできない。」

である。

最初からぴりぴりとした緊張感が走る。

写真もたくさん載せられていて嬉しい。そして、芸術に関しての記述もある。

第6章は「芸術 - 1914-45年」であるし、下巻の第17章は「アヴァンギャルド死す ー 1950年以降の芸術」である。1000ページを超える大著であるが、かなり楽しみである。

さて、船木さんの『現代思想講義』である。

後半の、統計学、確率論、AI等に関する言及が重要なメッセージを発している。

「AIとは、まさに群れを対象として、従来よりも圧倒的な量で測定と計算をして、人間がする判断の統計に従って、判断を自動的に生成する技術である。」

「こうした統計的な技法は、現代の社会にすっかり定着して、すでに市民権を得てしまっている。一人ひとりがまずは平均に向かって努力をして、一定数は右の極端に向かって名声と富を得、一定数は左の極端に落ち着いて、隔離されたり生活保護を受けたりしている。そこに、どんな問題があるのだろうか。

もし統計学に問題があるとすれば、それは、「みんなとおなじでそれでいい」という発想、全体における自分の立ち位置が分かればそれでよいとする発想が蔓延するという点にある。いいかえると、ひとびとが思考しなくなるという点にある。ひたひたと押し寄せる統計の波に、われわれはみな溺れかけている。」

「われわれが戦うべきなのは、権力に対してではない。自由のためではない。われわれの敵は、統計であり、数である。数一元論の社会である。自分の行動が統計の数のうちに入ってくることから逃走し、「異例のもの」と成ることが重要である。

ところが、ひとは、自分が平均よりも左側、社会的弱者の側にいないように注意しておくだけではなく、平均のさらに右側へと、自分の数値を移行させようとする。この動機は、ー「意識高い系」の動機でもありー、さきにも述べたように、現代社会のもう一つの原理、国家主義に由来する。」

「最近は、AIが小説や映画の分野にも進出し、人間の創る作品を凌駕しつつあるというひともいる。しかし、AIはどこまでいっても統計が基礎であり、統計に入ってこない生の要素を発見する機能をもたない。将棋や囲碁のように、ルールに適うものについては人間よりも優れた判断ができるのだが、AIにはルールを作ることができない。統計に表現された「正常人」のルールを、暗黙のうちに押しつけてくるだけで、-どこのネット配信とはいわないが-、せいぜい正常人の気晴らしになる小説や映画を作ることくらいしかできない。統計的に楽しめる筋立てに作られていることが、すぐに看て取れてしまうのである。

AIには、どうしても作れない作品がある。わたしがいいたいのは、産業に結びつけてしか語られない「創造性」のことではない。どうしても作れないものとは、異例のものとの出会いである。われわれは、そのようなものをこそ「作品」と呼ぶべきではないだろうか。」

「現代のひとには、四つの生き方がある。第一に、統計を検証することなく信じて平均を目指すひと、「人並み」に生きるということである。第二には、全体の動向を知ってマジョリティになるために平均の右側を目指すひと、「価値ある人物」になるということである。そして第三に、病気や障害や老齢によって、あるいは発達障害やうつ病などと呼ばれながら平均の左側に落ちこぼれてしまうひとがいて、第四に、それとはまったく別物であるが、「異例のもの」として統計自体から逃れ出るひとがいる。」

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