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2018年5月10日 (木)

魔の山

『なぜアーティストは貧乏なのか』という本があって、その中に、これから美術は、科学の方向に向うか、エンターテインメントの方向に向うかどちらかであるという予言が述べられていて、面白く読んだ。今手元にないので、作者はわからない。たしかオランダの人だった。翻訳は栃木県立美術館の山本和弘さんだった。

『ホーキング宇宙を語る』を読んで、なるほど、科学はもうほとんど美術(芸術)だなあと思い知らされる箇所がたくさんあった。

美術は哲学である、と思っていたのだが、どちらかというと科学に近いようである。

科学が芸術に近いのではなく、美術が科学に追いつけずに追いかけているのである。哲学も同様で、ホーキングは、哲学は科学のスピードに追いつけなくなっていると言う。哲学や芸術の命題はいまや科学が解こうとしているのだ。

「哲学者は探求範囲を大幅に縮小し、今世紀のもっとも有名な哲学者であるヴィトゲンシュタインが、「哲学に残された唯一の任務は言語の分析である」と言うほどになった。」

科学は「何であるか」を説明することに専心していたが、今では哲学者が問題にしていた「なぜ」に科学者が取り組んでいるのである。科学は哲学や宗教の分野に辿り着こうとしているのである。同時に科学は芸術や美術をも取り込んでしまうのかもしれない。

数学者は、数学は芸術だというが、科学者も科学は芸術だと言いそうである。

この本は数式をいっさい使わずに、一般の人にわかりやすく宇宙のことを説明したものだが、わたしのぼんくら頭では、それでもついていけなかった。でも、イメージとして、なんとなく量子力学とかブラックホールとか、次元とか特異点とかが頭に入ってきたような気がする。

「われわれは過去を憶えているのに、なぜ未来を思い出せないのだろうか?」

これはT.S.エリオットの詩の一行ではない。ホーキングの、虚時間についての説明で言われた純粋な物理学の言葉なのである。

これって芸術でしょ?

また、エントロピーは時間とともにつねに増大することに関しては

「物事はつねに悪い方に向う!」

と表現するのである。

芸術はかなわないかもしれないね。

さて、次に読む本は

トーマス・マン 『魔の山』 上・下(新潮文庫)

である。

大学生のころ、ある友人が、『魔の山』はいいから読みなよとしきりに勧めてくれたのだが、わたしはスルーして読まなかった。『ヴェニスに死す』とか『トニオ・クレーゲル』とか比較的短い作品も読まなかった。マンて、なんか近づき難かったのだ。最近本屋さんで『魔の山』をぱらぱらとめくっていたら、そろそろこれを読むときだな、と思ったのだった。なにが「そろそろ」なのかわからないが、なんだか今なら読めると感じたのだった。上は700ページで下が800ページの分厚い本をいきなり読むのである。気合がいる。気合がいるので、この本の写真もこんなふうに撮ってみた。

Photo

地下鉄銀座駅の入り口である。なんかよくない?

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