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2018年3月10日 (土)

日影 眩 展 テクスト 3

日影さんは今回の個展用に、小さなパンフを作りました。谷川渥さんのテキストです。ギャラリーで無料で配ります。

Photo

日影眩―仰視法から「蝕」へ

谷川 渥

日影眩は、ほとんど地面に接するような視点から見上げる仰視法によって際立った存在感を示してきた画家である。女性のスカートのなかを下から覗く窃視的描法によって、ことさらにそのエロティシズムを云々されたこともあるが、画家の歩みを振り返れば、人間の身体への特異な視点の採用というフォーマリスティックな試みこそがその一貫して変わらぬ姿勢であることが了解される。

水平的あるいは俯瞰的描法に対して著しい対照をなすこうした仰視法は、しかし必ずしも歴史的に皆無であったわけではない。イタリアの絵画史のなかに、「ソッティンスー」(sottinsu)と呼ばれる技法が存在する。「ディ・ソット・イン・スー」(di sotto in su)、つまり「下から上へ」見上げるという意味の表現をつづめた形である。アンドレア・マンテーニャやアンドレア・ポッツオの天井画がその代表的な所産である。とはいえ、こうしただまし絵的技法、あるいは壮大な宗教的イリュージョンとは異なり、日影眩の「ソッティンスー」は、あくまでも人間を地面近くから見上げて現出する都市空間を問題にする。頑丈な下半身の男女が都会の奇妙に明澄な空に向かって屹立するのだ。

ところが、画家が1994 年にニューヨークに渡って10 年ほどのあいだに、その仰視法が徐々に弱まってきたように見えるのもおもしろい事実である。極端な仰角がやや水平的になり、仮面的ないし類型的あるいはむしろ記号的であるとはいえ、人間たちの個としての、いわば肉体的存在感がむしろ増したように見える。超高層ビルの林立するニューヨークという都市のなかで仰視を日常的に余儀なくさせる現実を前にして、逆に画家の仰視法への執着が稀薄になってきたのかもしれない。

そしてそれと軌を一にするように、日影眩の作品のなかに色彩による「蝕」ともいうべき現象が現れ始めた。俯瞰描法による日本の伝統的絵画にしばしば見られる、「下界」の一部を覆い隠すあの「雲」を髣髴とさせると言ってもいいような淡い色彩による「蝕」である。もちろん画家の場合は「下界」はいっさい問題にならない。弱まった仰視法の結果、まだわずかに仰視的であるとはいえ、ほぼ水平的に現前するようになった人物たちの顔や身体の一部をそれは覆うのである。まるで人間の全体的現前をさえぎるかのように。

淡い色彩によるこの雲のような「蝕」は、画家にとって過渡的な試行だったのかもしれない。色彩によって人間の身体を覆うのではなく、それを図とするところの地たる色彩そのものが、その図の輪郭を侵すようになったからだ。もはや覆うのではない。「蝕」は、より構成的、よりフォーマリスティック、あるいはむしろ、よりデザイン的になったと言ってもいいかもしれない。写真とコンピューターを利用して制作されるという日影眩の作品において、曲線状にくっきりと切り取られた輪郭線を持つ人間の身体は、地に侵されてそのなかに沈みこむようでもあり、あるいは逆にそのなかから図として浮かび上がるかのようでもある。いずれにせよ、軽妙な生動性を感じさせないではいないこれら異形の形象群が、日本の都市に生息する画家日影眩の現在を証言するはずである。

(たにがわあつし / 美学者)

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