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2018年1月13日 (土)

Mellow Time Ⅱ

1月13日(土)

早めに銀座に着いたので、久しぶりに、ノア カフェでモーニングを食べてみることにした。たまにはいいだろう。普通は銀座でランチはするだろうが喫茶店でモーニングという体験はなかなかできないのではないだろうか。銀座に「勤めている」からこその贅沢である。

Photo

ワッフルにコーヒーとサラダがついて480円。ゆで卵はオプションでつけたので、値段はその分上乗せである。

Mellow Timeだなあ。

煙草をふかしながら、夏目漱石の紀行文集を読む。漱石は、イギリスに留学していたときは、自分の容姿にコンプレックスがあったようで、「倫敦消息」のなかで、こんなことをつぶやいている。

「先ず往来へ出て見ると、会うものも会うものもみんな背(セイ)が高くて立派な顔ばかりしている。それで第一に気が引ける。何となく肩身が狭くなる。稀(タマ)に向うから人並外れて低い男が来たと思って擦れ違う時に、念のため背を比較して見ると、先方(サキ)の方が矢っ張り自分より二寸がた高い。それから今度は変に不愉快な血色をした一寸法師が来たなと思うと、それは自分の影が店先の姿見に映ったのである。僕は醜い自分の姿を自分の正面に見て何返苦笑したか分らない。或時は僕と共に苦笑する自分の影迄見守っていた。…」

さて、「Mellow Time」であるが、この豊潤な時間という言葉は倉重の作品のタイトルとして眺めると、とたんに難解な言葉に変貌する。

わたしはまだ、今回の倉重作品の前で逡巡している。強烈な重要作品であることは認識できるのだが、なかなか言葉にならない。

2003年に倉重は神奈川県民ホールギャラリーで個展を開催した。そのときの作品に「ガス状の不確定性正方形」という作品がある。カタログの写真を見ていただきたい。

Photo_2

これは鉄板でできた部屋の奥に蛍光灯を縦に何本も並べたものである。蛍光灯の部分は2.2m四方、奥行きは14.5mある。けっこう眩しい。眩しいが、今回の「Mellow Time」と較べると、眩しいというよりは、明るいと言ったほうがいいような穏やかな光である。写真に写った人物は光の方向に向って近づいていっているような雰囲気である。

「Mellow Time」は眩しい。眼を突き刺してくるような攻撃的な光である。われわれは、この光に近づいていくというよりも、眼を逸らして逃げて行きたい衝動に駆られる。映画やドラマによく登場するサーチライトのようである。刑務所から脱走するところを見つかって光から必死に逃げる場面。

光は、我々の行状をすべて暴き出してしまう。我々の本当の醜い姿までも露わにしてしまうだろう。光によってできた影によって、われわれは自分の罪状を知るのである。

倉重は、この光で自分の影をキャンバスの上に映し出して、その輪郭をなぞった。

Photo_3

影によってわれわれは光の存在と自分の姿を知ることになる。この輪郭は影の形であると同時に光の形でもあるのだ。

Mellow Timeのテーマは光というよりも影のほうに重きを置いているような印象を受ける。

今までの倉重のネオンを用いた作品にはなかったアプローチである。

光そのものを抽出するために、ネオン作品のような光の「形」を取り払わなければならない。そのためには今回の作品に見られるような光量が必要だったのだろうと推察する。

なんだか、作品そのものに肉迫できていないままであるが、こんなことを考えた、という過程を書いてみた。

Photo_4



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