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2017年6月17日 (土)

うのぜみ2017

京都嵯峨芸術大学の宇野和幸先生と、その教え子のグループ展「うのぜみ」は今回で6回目。今回は、「証明され得ない仮説」というタイトルで、國吉文浩、徳岡真帆との3人展。

6月19日(月)-24日(土)

初日19日(月)17:00-19:00 オープニングパーティー

3人が揃っていますので、ぜひお越しください。

「岸田劉生随筆集」(岩波文庫)読み終わる。

劉生が中心になって立ち上げたグループ「草土社」の思い出話が、若い作家たちの情熱とドタバタが面白く書かれている。若いときというのは、なかなか努力は報われないものだが、それだけに大切な思い出としてのこるのだろう。

草土社は何回か開催されたが、草土社という名前は劉生が考えたらしい。

「この会をはじめる当時はまだこの会に草土社という名はついていなかった。目録も印刷にまわり、いよいよふたを開けるという二、三日前、秋のいい日に私は椿君かだれかと、多分武者(武者小路実篤)の家をたずねようと、代々木の道を歩きながら、会の名を考えていて、ふと、道ばたの草を見て、「草土社」という名を思いついたのであった。」

劉生は絵を描くだけでなく、いろんな企画をしていた。

「この第一回の展覧会へは、私は今でも自作中で好きな代々木附近の八号の風景等を出している。

入場者はあまりなかった。世評もあまり香(カン)ばしくなかった。しかし、それは私たちにそう大して苦労でなかった。私たちはどちらかといえば友達同志で画をならべ合うというような気持ちでいたので、世評のわるい事にもう前から慣れていたし、人の大ぜい来るということは文展あたりのことで我々の事ではないと思っていたから当然の事としていた。その点は今日もそうだけれど。画も勿論売れなかった。それで北山君の発案で、最終日に入札をやった。ところが誰れかの画が一点札が入っていたとかいなかったとか位の事で、全然これもだめだった。

ともかくも我々はこの展覧会をはじめて大元気であった。…」

なんか初々しくて微笑ましい感じさえある。

「この時の展覧会は、銀座一丁目の玉木商会で開いた。やはり北山君が万事とり仕切ってくれていた。入場料はとらず、目録を売った。「入場無料入場ない」草土社の御経というのを中川(一政)がこしらえたのはこの時で、無視の中に開かれ閉じられた。しかし、仕事の上のよき友は少しずつふえて行った。」

若い作家の気負いというのは、その思い出とともに貴重な宝になるものである。

「第三回の展覧会はわれわれだけの手でやったのだが、しかし、ともかく、磯ヶ谷を呼び、三会堂にスクリンを作り、白樺社から印度のズックの幕をもらい、これを張ったところは、一っぱしの展覧会らしく見えた。

世間の立派な展覧会からみたら誠に貧乏くさいものだったにもせよ、われわれの展覧会としてはともかくも本式にスクリンを立て幕を張ってやるのはこれが始めてで、何となく立派になったようで、「堂々とやった」などと私がいったりしている。しかしこの幕もだんだんと古くなり穴などもあいたので、石井(柏亭)君あたりにその貧乏ぶりを揶揄されたりした。」

まあこんなかんじなのだが、これを読むと、なんだか元気になってくるのだ。

草土社の展覧会は回を重ねるごとに、「赤札がボツボツあるようになり」作品が売れ出すのである。

劉生の美術教育についての考え、作品の大きさについて、技術についての見解なども紹介したいが、それは次回にしよう。

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