2024年9月 9日 (月)

歳(とし)

「歳は関係ないよ」と言い始めたら老人の仲間入りである。

若い人は逆に「もう歳ですよ」などとふざけたことを言う。

わたしは今日で68歳になった。

歳は関係ない。

ウテさんからメールで派手なバースデイメッセージが送られてきた。

田崎亮平はわたしより30歳若い。

亮平くんは3つのシリーズをトレーシングペーパーに描いて、壁に何枚も並べた。

自分の顔を撮影した写真をパソコンでいじって、その画面にトレーシングペーパーを載せてインクでなぞっていくのだが、なぞってできた画面にまた新しいトレーシングペーパーを載せて再びなぞるのである。これを何回も繰り返す。自分を写した「portrait」シリーズのほかに「diary」のシリーズがある。

亮平くんは、ウテさんにブレーメンで個展をやってくれと言われているが、まだ思い切れていない。

本を2冊購入。

ビル・ブライソン 『人体大全』(新潮文庫)

李龍徳 『死にたくなったら電話して』(河出文庫)

『人体大全』は娯楽小説としても読めるな。

李龍徳は1976年生れ。面白くなりそうな作家である。

ガルシア・マルケスの『百年の孤独』が文庫になっているが買わなかった。短編集を読んだが、どうもピンとこないのだ。わたしは南米の文学はどうも肌に合わない気がする。

芥川賞を獲った朝比奈秋の単行本も買わなかった。文芸春秋に全文が載っているのだが、これも買わなかった。文庫になるまで待とう。

今週も暑さが続きそうだなあ。

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2024年9月 6日 (金)

ヴァルール

来年個展用の作品を8点完成させたが、あと12点。なかなか手をつけられないでいる。ちょっと休憩ですね。やっぱり色を使う作品は難しい。色の組み合わせとバランスに非常に手こずるのである。

わたしは色は使いませんとかいう作家がいるが、使いませんではなく使えませんというのが正しいだろう。やらないのではなく、できないのだ。と皮肉を言いたくなるほど色は難しいのである。

白い紙に鉛筆で絵を描く。これは色を使ったことにはならない。白も黒も色ではない、というだけでなく、白と黒を色とカウントしてもやはり色を使ったことにはならない。黄色い紙に青い色鉛筆で絵を描いても、やはり色を使ったとは言わない。

色を使う、というのは3色以上の色数を選んだときをいうのである。

3色以上だとなぜ難しいのか。

たとえばお青をAという人間だとする。赤をBとする。黄をCとしてみよう。

AさんとBさん二人だけの関係はA⇔Bという一つだけであるが、これにCさんが加わるとA⇔B、A⇔C、B⇔Cという3つの関係が生ずるわけである。これが4色になると、A⇔B、A⇔C、A⇔D、B⇔C、B⇔D、C⇔Dと倍増する。難しいわけよ。人間関係と同じだ。

色彩にはヴァルールと呼ばれる要素がある。色価と訳される。英語でいうところのヴァリューである。ヴァルールというのは、明度、彩度、色相の3要素から生じる。明るさの明るい方を明度が強い(高い)と言い、鮮やかな色を彩度が強い(高い)と言う。赤は紫よりも鮮やかであるが、これは色相が違うからということになる。色面が広いほうがヴァルールが強くなるということもある。

たとえば、画面の右端に鮮やかな赤を配したとすると、その隣か反対側の面にその赤を「受ける」色を置かないとバランスがとれない。つまり似たようなヴァルールの色を配置するのである。

色を使って絵を描いている作家は、「ここにはやっぱり緑だろうな」などと言いながらあまり意識しないで絵の具を塗っているが、これはヴァルールを考えながらやっているのである。

来週は田崎亮平展である。今回、彼はトレーシングペーパーの上に黒いドットを並べていく作品を作った。ヴァルールは考えなくていい作品なのであるな。

本を1冊購入。

リービ英雄 『日本語の勝利/アイデンティティーズ』(講談社文芸文庫)

リービ英雄って名前だけでなんかいかがわしいな、とか勝手に思っていたが、しっかりした内容だ。

また暑くなってきた。辛抱。

 

 

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2024年9月 2日 (月)

ユープケッチャ

今日から1か月ぶりにギャラリーを開ける。とりあえず台風が去ったようで安心。

今日は作家の北沢努さんが在廊している。3人展なのだが、3人ともやりたいことを好きなようにやっているので楽しそうである。

作家3人が揃うのは最終日になる。

田邊さんは、100号と50号の油彩2点とシルクスクリーン小品3点。

北沢さんは、木に石膏をつけた立体作品。今朝ギャラリーに来てみたら、作品の下に木の粉が落ちている。これは木の中に虫がいるらしい。これも作品として面白い。他にブロンズ作品。

石黒さんは鍛金の作品。抽象彫刻風であるな。日展の作家が展示するのは初めてのことである。

展覧会

☆倉重光則×東亭順

9月14日(土)・15日(日)・16日(月)・21日(土)・22日(日)・23日(月)

14:00-18:00

アズマテイプロジェクト(横浜市西区藤棚町2-198藤棚ハイツ1-103)相鉄線西横浜駅から徒歩7分・京急線黄金町駅から徒歩18分

二人展というよりは、同時に二人の個展をやるという形になるらしい。

この展覧会のアイデアスケッチを12月の「素描」で展示する予定。

倉重は10月にも三浦で2日間だけの展示(個展)がある。

「灯ろうナイトウォーク 2024」

会場は2か所

①海南神社境内

②本瑞寺門前

(京急三崎口駅から京急バスで三崎港下車)

10月5日(土)・6日(日)

16:00-21:00

「大森梨紗子 展」

ギャラリー ナユタ(銀座1-9-8奥野ビル511)

9月7日(土)-22日(日) 水曜休廊

12:00-19:00(最終日17:00)

安部公房の『死に急ぐ鯨たち・もぐら日記』を読んでいる。「死に急ぐ鯨たち」は昔読んだことがあったような気がするのだが、読み進めていくと初めてよむ文章ばかりだった。やっぱり読んだことはなかったのか…と思っていたが、「タバコをやめる方法」があったので、やはり初めてではなかったようだ。この本はエッセイとインタヴュー集。今年は安部公房生誕100年なのだそうだ。

作品に関する話の中で、ユープケッチャが出て来た。ちょっと興奮した。『箱舟さくら丸』に出てくる昆虫である。読んだことのない方は、冒頭だけでも読むことをお薦めする。

公園か、あるいはデパートの屋上だかの屋台でユープケッチャは売られている。昆虫である。カブトムシやコガネムシなどと同じ甲虫である。ユープケッチャは板の上に這っている。板の上には円が描かれていて、虫はその円周上にいるのだ。よく見ると、その円は虫の糞である。ユープケッチャは糞をしながら円の上を回っているのだ。糞をするとその上に細菌とか微生物だとかが住み着くので、ユープケッチャはそれを食べて生きているのである。24時間で1周する。時計虫と呼ばれている。肢は退化して無くなっている。一生この糞の円の上で生きていくという訳である。

この場面が強烈すぎて忘れられない。

ユープケッチャというタイトルの作品を作れないかなあ…なんて考えてしまった。

本を1冊購入。

佐藤泰志 『もうひとつの朝』(河出文庫)

 

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2024年8月29日 (木)

9月2日スタート

一ヵ月の夏休みも終わり,来週からステップスギャラリー始動します。

最初の展示は「just curious」というタイトルの3人展。台風の動きが気になりますが、天候を気にしないでやります!

石黒美男/北沢努/田邉光則

この3人は、高校時代の同級生ということです。

田邊さんは、ステップスで何度も個展をやっているので知っているひとも多いと思います。車の絵画。

北沢さんは、彫刻、ブロンズ作品と木を使った彫刻を展示します。

石黒さんは金属工芸の作家。今回は錫を使うようです。

明後日が搬入なのですが、台風大丈夫かなあ…

8月28日(水)

今日はギャラリーに来る予定はなかったのだが、倉重が東京に出てくるというので、急遽ギャラリーへ。

倉重、勝又二人が来廊。12月の素描展の作品を持ってくる。素描展は小品展なのだが「これも出したい」と言って大きな作品も1点運んでくる。勝又は、来年個展を3月から5月に変更する。

ドイツのウテさんが、我々とのグループ展をブレーメンで開くことを考えているらしい。なんか、海外に行くのは疲れるよねえ、円安でお金もかかるし…という話をする。

わたしは、自分の作品を8点仕上げた。20点のうちの8点なので、これから残りの12点をぼちぼち始める予定。

本を1冊購入

安部公房 『死に急ぐ鯨たち・もぐら日記』(新潮文庫)

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2024年8月24日 (土)

青い黒板

8月21日(水)

新幹線で山形へ。

グループホームに居る母を連れ出して、お墓の掃除をして花を活けてから、妻の運転で上山温泉に一泊する。財布が盗まれた、保険証もないなどと繰り返してずっとしゃべっているが、わたしと妻の名前が出て来なくなっている。足腰は弱っているが元気である。宿の料理も全部は食べられなかったが、ちゃんと食べられた。91歳である。

8月22日(木)

宿で朝食を食べてから、斎藤茂吉記念館に行く。初めて行ったのだが、立派な建物でびっくりした。茂吉は絵も描いてたんだね。玄人の絵だった。

茂吉が、山形で詠んだ歌集を買う。

『山形県内詠作品集』(斎藤茂吉記念館 1993年)

斎藤由香の本も買う。斎藤由香は茂吉の孫である。

 『猛女とよばれた淑女』(新潮文庫 2011年)

『窓際OLトホホな朝 ウフフの夜』(新潮文庫 2008年)

昼食はわたしの希望でヤマザワのラーメンを食べることにする。ヤマザワは山形でいちばん大きなスーパーマーケット。何店もある。以前、「ケンミンショー」の番組でヤマザワが紹介された時に、フードコート「ひまわり」のラーメンが美味しいということだったのだ。350円ですごく美味しいと言っていたからだ。

わたしはひまわりラーメンを頼む。450円になっていた。450円にしてはかなり美味しい。母は冷やし中華、妻は冷やしラーメン。

母をグループホームに届けたあと、車で月山に向かう。山の上はちょっとだけ涼しい。

宿でのんびり過ごす。

8月23日(金)

朝ご飯を食べて、道の駅「にしかわ」で買い物をしてから、丸山薫記念館に寄る。山の上に寂しげに建物は建っていた。「開館中」という札の掛かっている戸を開けて、こんにちは!と言うが誰も居ないようだ。冷房は効いていなくて暑い。もう一度、少し大きな声でこんにちはと言うと、奥の方から受付のおばあさんが出て来た。いらっしゃませ、遠くまで来てもらって…と言い、館内の電気をつけた。入場料200円。汗を拭きながら館内を見てまわっていると、さきほどのおばあさんが、

「なんにもないげんと(何もないですが)」

と言いながら冷たいお茶を持って来てくれた。冷えすぎているくらい冷たかった。

入口で詩集を売っていたので購入。600円。おばあさんに、これください、というと、

「なんぼだっけ?」

と言う。

「600円です」

とわたしが言ってお金を渡す。

『緑の教室』(西川町教育委員会 1991年)

これは西川町の小学生のために作られた副読本であるらしい。丸山薫は大分の生まれで、山形とは関係が無かったのだが、戦時中、西川町に疎開してきて、岩根沢国民学校の代用教員になるのだ。以前、倉重光則が奈義町現代美術館で個展をしたときのカタログにわたしは丸山薫の詩を引用しながらテキストを書いた。丸山薫は山形ではみんな知っているのである。

月山山菜そばを食べてから帰途につく。

『緑の教室』を開いてみる。

最初に「青い黒板」があった。この詩は16行だが、最初の4行で、胸がいっぱいになってしまった。

鉛筆が買えなくなっても

指で書くから いい

ノートブックがなくても

空に書くから いい

 

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2024年8月19日 (月)

時は過ぎゆく

田山花袋の小説に『時は過ぎゆく』というのがあるが、この小説のタイトルは、そのまま花袋の小説全体の主題でもある。『温泉めぐり』は日本各地の温泉についての本であるが、ここにも花袋の「時は過ぎゆく』の感じがあふれている。

「この西長岡のさびしい温泉場は、思索の地として ー ある思想に深い接触を始めた最初の地として、私のために、どれほど役立ったか知れなかった。私は其処で始めて「無窮」ということに触れた。三千年前にも私が生きており、三千年後にも私がやはり生きているということを私は其処で考えた。非常に「重荷」であった「時」というものに対する解脱の第一歩を私はその静かな三階の一間で得た。」

この本を山形に行くときにもって行こうかと考えていたのだが、やめた。全国各地の温泉場について書いてあるのだが、山形の温泉についてはほとんど言及していないからである。

ほかになにか本が必要と考えてこの2冊を買ってみた。

林哲夫編 『喫茶店文学傑作選』(中公文庫)

コナン・ドイル 『ササッサ谷の怪』(中公文庫)

しかし、やはり何かがしっくりこない。で、仕方なく、半藤一利の『B面昭和史』(平凡社ライブラリー)を持っていくことにした。これは持ち歩くにはかなり重いのだが、しょうがないな。

8月13日(火)

横浜のアトリエ・K。グループ展。5時ごろ行ったのだが、パーティーをやっていた。永野のり子は小品を5点出していた。新作である。この作品は、ステップスの11月の個展でも並べる予定。

パーティーを途中で抜けて永野と元町のイタリアンレストランへ。和田弥生さんもいっしょに。ビール、ワイン、ピザ、スパゲティなどで賑やかに。平日なのに予約でいっぱいだった。和田さんは、和田守弘の奥さん。守弘さんは亡くなってしまったが、弥生さんはご主人の作品を今もいろいろなところで紹介している。和田氏の大作が、今度、横浜美術館に収蔵されることになったそうである。めでたし。和田守弘は、永野の高校時代の恩師である。

8月14日(水)

ギャラリーの事務室の掃除とワックスがけ。

作品作りも続行。

8月15日(木)

事務所のワックスが乾いたので、テーブルや荷物を戻す。

作品作り続行。

8月16日(金)

台風が来るというので、家から一歩も外に出ないでテレビを観たりしながらだらだらする。台風は逸れたみたいで、なんということもなかった。

8月17日(土)

ギャラリー。9月の展覧会の案内状の封入作業。

作品制作。

8月18日(日)

マッサージ。毎週来ないと、わたしの身体はもたないのである。

8月19日(月)

今日は案内状を発送する。

作品も作る。もうすぐ4点が完成しそうである。

明日は眼科で診察。明後日から山形へ。上ノ山温泉と月山に行く予定。

4週間の休みを取っていたのに、もう半分が過ぎてしまった。

時は過ぎゆく。

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2024年8月12日 (月)

床にワックス

8月9日(金)

今日は買い物をするだけの日と決めている。駅前に行く。駅前と言っても駅ビルのお店をぐるぐる回るだけである。喫茶店で軽く食事をして夕食の食材を買う。帰って来てから再び出かけて、近所にあるジョイフル本田まで。近所と言っても20分くらい歩く。熱風の中歩くので、とにかくつらい。ギャラリーの床に塗るワックス、リンレイの「ウルトラタフコート」を購入。同じくリンレイの「床クリーナー」も買う。

帰ってからシャワーを浴びる。今日の仕事はこれで終了。

8月10日(土)

ギャラリーに着く。これだけでなんだかへとへとである。今日はギャラリー内の床拭きだけにしてワックスはまた別の日にしようと思っていた。まずランチをどうしようか考える。三越か松屋でお弁当を買ってくるか、お店でランチを食べるか迷ったが、結局どちらもやめて、ギャラリーに買い置きしていたペヤングのカップ焼きそばとビールにする。とにかく暑くて外に出たくないのだ。

床拭きを始める。クリーナーで拭く前に一度水拭きをする。ステップスは狭い空間なので楽のはずだが、拭き始めるとかなりの重労働である。水拭きのあとクリーナーを溶いた水でさらに拭く。よごれが雑巾について黒くなる。クリーナーの説明書きを読むと、一度拭き終わったら、さらに2度水拭きをするべしと書いてある。肩と背中がガチガチになるくらいがんばって拭く。こうなったらこの勢いでワックスも塗ってしまうことにする。たっぷりつけてワックスを分厚く塗る。

仕事してるなあ、おれ。

作品も作る。作品4枚に下塗りのアクリル絵の具を塗り終わる。

がんばってるなあ、おれ。

さらにセブンイレブンまで買い物、二往復。ペットボトルのお茶を5本。紙コップ、ゴミ袋、ティッシュなどを買う。次回展覧会の準備である。

教文館にも足を延ばし本を買う。

吉田ルイ子 『ハーレムの暑い日々』(ちくま文庫)

朝比奈秋 『私の盲端』(朝日文庫)

田山花袋 『温泉めぐり』(岩波文庫)

半藤一利 『B面昭和史』(平凡社ライブラリー)

半藤一利はなんか難しいのかなあと思っていたのだが、『安吾さんの太平洋戦争』を読み始めて印象が一変。分かりやすく面白く、ユーモアたっぷりで読みやすいのだ。渡辺京二くらい読みやすい。

これで8月の読書には十分だろう。

8月11日(日)

マッサージの日。右がひどいですねえ、と言われる。昨日のワックスがけが原因である。

帰りに西瓜を買って帰る。これでもう4個めだな。西瓜はどんな西瓜でも好きで夏は毎日食べる。どこの西瓜でも西瓜は西瓜なのであるが、今日は山形、尾花沢の西瓜を購入。尾花沢西瓜は格別である。普通、西瓜は半分に切ると赤い実が鮮やかである。綺麗だがそれだけである。しかし、尾花沢西瓜は切るとすぐに香りが漂う。おお、尾花沢の香りである。香気漂うのである。食べると甘い!そして噛み応えがあるのである。これがブランド西瓜というものよ。

8月12日(月)

ギャラリーへ。

事務室のワックスがけの準備。事務所は荷物がめちゃくちゃ多いので、これをギャラリーに移動させるだけでひと仕事である。今日は移動だけで終わる。作品は、2度目の着色のためにマスキングテープ貼りをする。これもきょうはここまで。色を塗るよりマスキング作業の方が何倍も面倒なのである。

さて、少しのんびりしよう。

明日は横浜のアトリエ・Kのグループ展を見に行く。初日だからパーティーとかあるのだろうか。永野のり子と夕方待ち合わせている。「Identity」というタイトルの7人展。作家は、大北利根子/韓美華/コリーン櫻井/津田恵子/鶴巻美智子/永野のり子/三木祥子。

 

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2024年8月 8日 (木)

病院に行くと疲れ果てる

8月5日(月)

千葉駅で山形までの新幹線切符を購入。

せっかく千葉駅に来たので駅ビルのくまざわ書店で面白そうな本がないか探す。2冊購入。

チョン・イヒョン 『優しい暴力の時代』(河出文庫)

半藤一利 『安吾さんの太平洋戦争』(ちくま文庫)

千葉から銀座へ。

甲斐千香子の搬出。土曜日に搬出のはずだったが、その日はタグボート主催の展示があったので、そちらに行っていたのだ。

搬出が終わってから、わたしは作品制作。作品は4点完成していて、さらに4点追加で制作を始めたが、最初の4点のようにスムースにはいかない。下描きの線を引くのだが、何回測っても下の板と上の板の線が合わないのだ。よくよく考えて、板のサイズを測り直してみると、上の板のサイズが0.5mmほど大きいことが判明する。図形の大きさを微調整しながら線を引く。時間がかかる。嫌になる。今日はこの辺でやめておこう。少しずつ少しずつやることですな。暑いし、エネルギーをなるべく使わないように生活しないともたない。

8月6日(火)

新宿の眼科へ。暑い。汗が止まらない。

「シルエット」でランチ。チキンと牛蒡の冷製スパゲティ。思ったほど美味しくなかった。それでもアイスコーヒーで流し込みながら完食。

眼科で目薬を処方してもらってギャラリーへ。昨日の作業の続き。線引きを了えてマスキングテープを貼る。今日はここまで。大量に汗をかいたのでTシャツを着替える。

8月7日(水)

今日は女子医大に診察の日。

曙橋から女子医大まで歩く。20分くらいかかる。この暑さの中歩くのは勘弁してほしい。汗まみれ。病院のトイレでTシャツを着替える。眼科の診察のあと、例の血糖値を測るセンサーを取り外すことになっている。外すのは4時からになっている。眼科の診察は1時半からなのだが、診察に呼ばれるのは早くて60分後である。下手すると4時までに診察が終わらないということもありうる。それを見越してわたしはかなり早めに病院に着いた。最初に視力検査。検査室の前には「30分待ち」という表示があったが15分くらいで呼ばれた。次に眼底の撮影などの検査。これも「30分待ち」と書いてあったが、15分で呼ばれた。1時半には終わった。診察まで1時間待ちだな。院内のローソンでおやつを買い、食べながらチョン・イヒョンの『優しい暴力の時代』を読む。

読ませる作家である。韓国の女性作家は力のある人が多い。イヒョンは1972年生れ。イ・ヤンジより17歳若い。井上荒野の作品に近い雰囲気がある。解説を西加奈子が書いているが、これがありきたりの解説で全然面白くない。訳者の斎藤真理子の訳者あとがきのほうが何倍も面白かった。ほぼ読み終わる。「ミス・チョと亀と僕」の中のこの言葉が気に入った。

「僕と世界が絶対につながっていなくてはならない必要はないという気がする。」

2時前に診察室に呼ばれる。早い!

診察してもらい、逆さ睫毛を抜いてもらう。ものすごく熱心に抜いてくれたので、瞼の痛みが消えた。初めての鄭先生。この字は何て読むんだろう。台湾の人のような気がする。わたしが一番気に入っている陳先生も台湾の人である。なんかフレンドリーなのである。

血糖値のセンサー、「リブロ」をはずしてもらうのは4時だから、あと2時間もある。ファイルをケアルームに預けて、なにか食べに行こうと思って外に出る。本当は院内のレストランに入りたいのだが、ここはいつも混んでいる。13人待ちという表示があった。

結局駅前まで歩いてしまい、ウェンディーズに入る。ハンバーガーとコーラ。1時間ほどstayして病院に戻る。歩きと暑さで疲れはてる。

4時前にセンサーを取り外してもらう。嬉しい。なんかさ、センサーつけてるといつも監視されているような気分になるのだ。

8月8日(木)

今日は築地の「上松」でヘアカット。

スカッとするシャンプーもしてもらいすっきりした。

明日はギャラリーの床に塗るワックスを買いに行く。

床掃除は来週になるかなあ。

休みなのになんかけっこう忙しい。

 

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2024年8月 1日 (木)

夏は休む

8月になってしまった。このまま暑い日がずうっと続くような気がする。ギャラリー内は冷房を効かしているけど、やはり暑い。なんにもやる気が起きない。眠いだけである。頑張らなくてもいいような気がする。そう、頑張らなくていいのだ。

来週からステップスギャラリーは夏季休廊になる。

8月4日(日)-9月1日(日)

4週間休む。去年は2週間だけの休みだったが、今年は4週間にした。8月に一人個展が入っていたのだが、10月に移動してもらったのだ。

これは正解だったような気がする。暑いから無理したら体調を崩すかもしれないし、これでよかったのである。

それでも夏休みはいろいろとやることもある。

ギャラリーの床掃除をする予定。ワックスも塗る。

山形に帰省する。母親を連れて温泉に行くのである。山形は大雨で新幹線は山形-新庄間が不通になっているが、とりあえず山形までは行けるだろう。

病院の通院も何回かある。今着けている血糖値を測るセンサーの取り外しもある。これはうれしい。

横浜のアトリエ・Kでやっているグループ展も見に行く。永野のり子が出品しているから行かねばならない。

作品も作る。なんと今4点完成している。がんばればあと4点以上完成するかもしれない。来年の個展までに時間はたっぷりあるのだが、またまた早く仕上がってしまうかもしれない。早くできてしまったら、再来年の個展作品も考えているので、そちらの作品にも手をつけてしまうかもしれない。

パスポートも切れているので新しく申請しなければならないけど、どうするか考え中。上條さんから中国でのグループ展に声がかかるかもしれないが、うーん。考え中。

あとは、暑い日は喫茶店でぼうっとしよう。

9月は「just curious」というタイトルの3人展でスタート。石黒美男、北沢努、田邊光則の3人。そのあと田崎亮平があり、そのあとはまた1週間休む。この一週間でギャラリーの壁を塗り替える予定。

本を3冊買った。

中上健次 『枯木灘』(河出文庫)

チョン・イヒョン 『優しい暴力の時代』(河出文庫)

谷岡一郎・荒木義明 『ペンローズの幾何学』(講談社ブルーバックス)

同じ河出文庫なのだが、分厚い中上健次は740円。それほど厚くないチョン・イヒョンは1100円である。なぜかというと、稲毛駅前のイオンに入っている小さな本屋さんで見つけた中上健次は2019年発行で、チョン・イヒョンのは新刊で今年発行なのである。『枯木灘』はイオンの本屋さんの本棚に売れ残っていたわけである。売れ残りもいいもんである。

『枯木灘』はややこしい作品である。登場人物が30人もいて、だれがだれだかわからない。最後のページには家系図まで載っている。こりゃあ面倒くさくて読み通せないと思っていたが、筆の勢いというものは凄いもので、中上健次は読ませてしまうのである。迫力がちがう。

『ペンローズの幾何学』は知る人ぞ知る「ペンローズ・タイリング」に関するものである。幾何学的な形で平面を埋め尽くすテセレーションについて考察しているが、そんなものあるわけがないと言われていた「アインシュタイン・タイル」が発見されたという章が始めに出て来て、面白過ぎる。

あと少し、暑いけどがんばろう。

 

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2024年7月29日 (月)

谷中安規

内山保は内田百閒の書生として一緒に生活していて、その思い出を書いたのが『百鬼園先生と私』だが、ほほう、そんな人だったのね、とまあまあ面白かったのだが、まあそんなところだろうと読み流していたのだが、最後の「小びとのおじさん」の章に来てがぜん面白くなった。それは版画家の谷中安規について書いたものだった。タニナカアンキは、ほんとうはタニナカヤスノリというらしいが、みんなアンキ、アンキと呼んでいた。全部紹介したいが、いくつかの会話文だけ抜き書きしてみる。

「僕のこんど出る童話集の挿絵をかいてくれている谷中さんです」といって、内田さんは私に谷中さんを紹介した。

「わたし、谷中です。よろしくお願いします」

…………

「内山さん、お宅に香水ありませんか」

だし抜けに谷中さんがいう。私は面喰らった。谷中さんと香水とは余り縁がかけ離れている。

「香水をどうするんです?それよりまぁ、おあがりなさいよ。……」

「いや、あがる前にぜひ、香水が必要なんです。お宅にあったら、ちょっとかして下さい……」

…谷中さんは香水を受けとるが早いか、ビンを逆さにして、自分の頭のバサバサの髪の毛の上や、着物にやたらふりかけた。

「これですみました。どうもありがとうございました。……」

谷中さんは笑いながら、香水のビンを私に返した。

「どうしたんです?」

「ここんとこ、ずっと風呂に入ってないうえに、暑いのでからだがよごれて臭くなっているので、そんな臭いにおいをかがしては失礼だと思って、香水でにおいを消したわけですよ、ハハハハ」

……

「アンキの奴、どうして生活しているんだろう」

「全く、なァ」

「なんでもひと月、十五、六円ぐらいで、やってるらしいぜ」

「いくら一人でもそれくらいで、一ヵ月生きていけるとは、偉いもんだなァ。どんなことやっているんだろう?たまには飯を食わん日だってあるんだろう…」

「そりゃあるかも知れんなァ」

「それにくらべると、われわれの生活なんて王侯のようなもんだぜ、ハハハ」

「それにしてもアンキはもっと積極性を出すべきだよ。変に人に頼るところがあるよ」

「たしかにそういうところがあるなァ」

「もっとバリバリやって、いいものを発表すれば、我々はいつでも応援してやるし、我々の周囲だけでも、立派に、画会の後援会ぐらいは作ってやれるよ。それなのに、最近は俺のところにも来やしないだろう……」

「俺のところには、時々、くるんだ」

「絵を買ってくれって、いうんじゃないか」

「そうなんだ」

「ああいうところが、いけないんだなァ。可哀相だけれども、俺は断ることにしてるんだ」

……

薄っぺらな、細い、暗い梯子段は、一あし踏む度に、ギコギコ気味悪く鳴る。

上りついて見ると、恐っそろしく、薄汚れた、狭い、暗い部屋である。それに、プーンと、男やもめの一種異様な臭気が鼻をつく。小さな三畳の間である。一畳は畳がなくて床がむき出しになっている。谷中さんの説明では、仕事場としてわざと、その一畳は畳をあげてあるのだという。あとの畳のしいてあるところに、小さな机が置いてある。この二畳が居間兼書斎兼食堂兼寝室なのだそうである。

……

「私は、しかし、米の飯は金がかかるから、時たましか食べません」

「じゃ、何を食べるんですか」

「あんパンと味噌汁です」

「あんパンといっても、普通店に出ている新しいのでは、高くて、いくらも買えないから、売れ残りの、少し固くなったのを安く、たくさん買ってくるんです。それも近所のパン屋のおばさんと顔なじみになっていますから、ちゃんと、とっといてくれて、わたしがいくと特別にまけてくれるんです。十銭も買うと、二、三日はたっぷりあります」

「そんなあんパンを食べて、お腹をいたくしませんか」

「いや、大丈夫です。売れ残りといっても、悪くなったのとはちがいますから…」

……

谷中さんは、巣鴨周辺の焼野原に、焼けトタンや板で小さな小屋をつくり、まわりの空地にかぼちゃを作って『おかぼちゃ様、おかぼちゃ様』と、かぼちゃを唯一の食料にして生きていたらしい。これからおちついて、いよいよ、本格的な仕事をやるんだと、張り切っていたそうであるが。

谷中さんは、天涯孤独のうちに、誰も知らぬ間に、息を引きとっていたのである。如何にも、谷中さんらしい往生である。

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