2018年1月15日 (月)

Mellow Time Ⅲ

1月13日(土)

倉重の知り合いが3人来て、事務所でワインを開けた。

まだ昼なので、倉重は酔ってしまったようだが、調子よく自分の作品の説明をしていた。いつも驚くのだが、倉重はどんなお客さんにも丁寧に自作を説明する。みんなワインを飲みながら熱心に聞いているので、ますます調子に乗って話は弾む。

知り合い3人が腰をあげて立ち上がるのと入れ違いに、小学生3人とお母さんたちがギャラリーに入ってきた。

Photo

倉重の生徒である。彼は週2日だけ、絵画教室で「先生」をしている。小学生から高校生くらいまでの生徒の指導をしている。指導といっても「何もしていない」そうである。美術は教えるよりも放っておくぐらいがいいのである。

お母さんの話。

「一度、お試しということで教室に体験入学したんですよ。そしたらこの子は、お母さん、楽しい!って言うからそのまま通わせることにしました」

お母さんと生徒にも倉重は自分の作品や、オペラの舞台装置をやったときの話を始めた。お母さんたちは、ひょっとしたら私たちのの先生って凄い人なんじゃないの?とつぶやいていた。

倉重は、作家や評論家に話すのと全く同じ説明を子供たちにしていた。

Photo_2

生徒たちは心の中でこうつぶやいていたはずである。

「あたしたちの先生って、酔っ払いだ」

お菓子を食べてお茶を飲んだあとで、小学生たちはギャラリーの扉を開けて帰っていった。階段を降りながら小さな声でささやいていた。

「先生ってさ、隠れて煙草吸ってるよね」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月13日 (土)

Mellow Time Ⅱ

1月13日(土)

早めに銀座に着いたので、久しぶりに、ノア カフェでモーニングを食べてみることにした。たまにはいいだろう。普通は銀座でランチはするだろうが喫茶店でモーニングという体験はなかなかできないのではないだろうか。銀座に「勤めている」からこその贅沢である。

Photo

ワッフルにコーヒーとサラダがついて480円。ゆで卵はオプションでつけたので、値段はその分上乗せである。

Mellow Timeだなあ。

煙草をふかしながら、夏目漱石の紀行文集を読む。漱石は、イギリスに留学していたときは、自分の容姿にコンプレックスがあったようで、「倫敦消息」のなかで、こんなことをつぶやいている。

「先ず往来へ出て見ると、会うものも会うものもみんな背(セイ)が高くて立派な顔ばかりしている。それで第一に気が引ける。何となく肩身が狭くなる。稀(タマ)に向うから人並外れて低い男が来たと思って擦れ違う時に、念のため背を比較して見ると、先方(サキ)の方が矢っ張り自分より二寸がた高い。それから今度は変に不愉快な血色をした一寸法師が来たなと思うと、それは自分の影が店先の姿見に映ったのである。僕は醜い自分の姿を自分の正面に見て何返苦笑したか分らない。或時は僕と共に苦笑する自分の影迄見守っていた。…」

さて、「Mellow Time」であるが、この豊潤な時間という言葉は倉重の作品のタイトルとして眺めると、とたんに難解な言葉に変貌する。

わたしはまだ、今回の倉重作品の前で逡巡している。強烈な重要作品であることは認識できるのだが、なかなか言葉にならない。

2003年に倉重は神奈川県民ホールギャラリーで個展を開催した。そのときの作品に「ガス状の不確定性正方形」という作品がある。カタログの写真を見ていただきたい。

Photo_2

これは鉄板でできた部屋の奥に蛍光灯を縦に何本も並べたものである。蛍光灯の部分は2.2m四方、奥行きは14.5mある。けっこう眩しい。眩しいが、今回の「Mellow Time」と較べると、眩しいというよりは、明るいと言ったほうがいいような穏やかな光である。写真に写った人物は光の方向に向って近づいていっているような雰囲気である。

「Mellow Time」は眩しい。眼を突き刺してくるような攻撃的な光である。われわれは、この光に近づいていくというよりも、眼を逸らして逃げて行きたい衝動に駆られる。映画やドラマによく登場するサーチライトのようである。刑務所から脱走するところを見つかって光から必死に逃げる場面。

光は、我々の行状をすべて暴き出してしまう。我々の本当の醜い姿までも露わにしてしまうだろう。光によってできた影によって、われわれは自分の罪状を知るのである。

倉重は、この光で自分の影をキャンバスの上に映し出して、その輪郭をなぞった。

Photo_3

影によってわれわれは光の存在と自分の姿を知ることになる。この輪郭は影の形であると同時に光の形でもあるのだ。

Mellow Timeのテーマは光というよりも影のほうに重きを置いているような印象を受ける。

今までの倉重のネオンを用いた作品にはなかったアプローチである。

光そのものを抽出するために、ネオン作品のような光の「形」を取り払わなければならない。そのためには今回の作品に見られるような光量が必要だったのだろうと推察する。

なんだか、作品そのものに肉迫できていないままであるが、こんなことを考えた、という過程を書いてみた。

Photo_4



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月10日 (水)

Mellow Time

1月9日(火)

倉重光則展初日。

今日は暖かいぞ、と思って、パーティーの準備をバルコニーでやっていたら、夕方から急激に寒くなってきた。

ワインとおつまみを外のテーブルに置いておいたのだが、みんな寒くて、ぞろぞろとギャラリーの中に入ってきた。

Photo

結局、外にあったものを全部事務所に運んで、室内でのパーティーになってしまった。

倉重と浜田浄。

Photo_2

いつものように、徐々に人数が増えて、8時過ぎまで宴会は賑やかに続いた。そして、残った人たちは、ヤンヤンにラーメンを食べに行ったのだった。

倉重の作品は、かなり眩しいのだが、写真に撮ると、」こんな感じに落ち着いたふうに映る。

Photo_3

人間の眼とカメラの眼は全然違うんだね。

さて、この作品であるが、わたしは今、どういうふうに解釈したものか途方にくれているところである。

もう少しじっと見ながら考えたいと思う。

この考えている時間がMellow Timeなのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 7日 (日)

倉重光則作品搬入Ⅱ

1月7日(日)

搬入2日め。

昼から作業開始。昨日と同じメンバーで。

Photo_6

このペースだと今日中に終わりそうである。

途中でエイコさんが来てくれる。ドイツから帰省していて、今日は豊橋からわざわざ会いに来てくれたのだった。ドイツではいろいろとお世話になって、ドクメンタにもいっしょに行ってくれたのだ。エイコさんはブレーメンに住んでいて、旦那さんはドイツ人である。

Photo_7

お昼を食べにいっしょに行くことになる。倉重が「すぱじろう」に行きたいというので、みんなで行ったのだったが、今日は日曜日、お客さんが行列を作っていた。でもがんばって並んで、スパゲティーを食べて、ビールも飲んだ。

しばらくすると、作家の知多さんも顔を出してくれる。

Photo_8

作業はほとんど終わりに近い。ライトを1つだけ点けてみる。

Photo_9

写真で撮ると、それほどでもないのだが、これを肉眼で見るとものすごく眩しいのである。

倉重光則 展

1月9日(火)-20日(土) 日曜休廊

12:00-19:00(最終日は17:00まで)

パーティー:9日(火)17:00-19:00

来週9日はわりと暖かくなりそうなので、パーティーはバルコニーでできそうである。

そろそろ作業が終わりそうな感じだな。ビールで打ち上げをしよう。明日はゆっくり休めそうである。

小品はこんな感じの作品である。

「赤い点 DOT」 紙に鉛筆・インク 56×56cm 2018  ¥240,000

Photo_10

「補助線-豊潤な時間」 紙に鉛筆 33×33cm 2018  ¥80,000

これは今回のインスタレーションのためのドローイング

Photo_11

「点 Black Hole」 紙に鉛筆・インク 29×20cm 2017  ¥80,000

Photo_12

「黒い点 DOT」 紙に鉛筆・インク 62×46cm 2017  ¥240,000

Photo_13

Mellow Time(部分)

Photo_14

この作品は、インスタレーションとセットの作品で、キャンバスに倉重の影をなぞった作品である。インスタレーションの向かい側の壁に展示してある。インスタレーションは「Mellow Time」というタイトルなのである。

「SCARECROW(案山子)-目を閉じて描く」 紙に鉛筆・色鉛筆 45×34cm 2017  ¥100,000

Photo_15


では、みなさん、来週、ギャラリーでお待ちしています!







| | コメント (0) | トラックバック (0)

倉重光則作品搬入

1月6日(土)

昼少し前にギャラリー到着。倉重、勝又、お手伝いで小林誠さん。

まずお弁当で腹ごしらえ。

Photo

今回の倉重作品は今までとはかなり様子が違ったものになる予定で、彼が言うには

「わ、眩しい!」

という作品なのだそうである。

これがその「材料」である。

Photo_2

丸いのは鉄板で、真ん中がくり抜いてあり、そこにはLEDが仕込んである。これを16個、壁に取り付けるのである。

Photo_3

今日のメンバーは、ドイツで小林さんの個展の搬入をやったときと同じ顔ぶれなので、わたしはなんだか気楽である。

搬入って毎回とても緊張して疲れ果ててしまうのだが、「いつものメンバー」だと本当にリラックスできるし、なんでもツーカーで通じるので楽しいのである。

これは、持ってきたドローイングのうちの一点。

Photo_4

だいたいの位置を決めてから、小品の展示はわたしが一人で勝手に行なう。作品の高さとか、細かい点も本人に聞かずにわたしが独断で決める。こういうのも気楽にできる理由である。

作品リストも作ってしまう。値段はどうする?と訊くと

「まかせる」

と言うので、価格もわたしが決める。

勝又さんが、倉重は9日から禁煙するのよ、と言うので、わたしはバルコニーで煙草を吸っている倉重に確かめにいった。

「煙草やめるんだって?」

「……わからない」

こりゃ、やめないな。

壁に取り付けるのに手間取っているが、少しずつ進んでいる。

Photo_5

一つだけでもライト点けてみようかということになり、スイッチを入れてみると

「うわっ!眩しい」

と全員が叫んだ。

一つだけでこんなに眩しいのだから、16個全部点けたら大変なことになってしまうぞ、と心配しながらも楽しみになってきた。

途中で私が展示した小品が壁から落ちた。作品がかなりの重量で、爪としてつけていたプラスチックの棒が、重さに耐え切れずに取れてしまったのだ。両面テープでくっついていたらしく

「やっぱり両面テープじゃダメだな」

と、別の方法で壁に掛けることにする。

落ちた作品は額のガラスが割れてしまった。

こんなときは普通みんなパニックになって、どうしよう…とおろおろするのだが、だれも動じない。ああ、明日またガラスを切って作ってもらうよ、ということで、なにがあっても平気という雰囲気がまたいいのである。

6時に今日の分の作業は終わり、あとはまた明日、ということにして解散。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 5日 (金)

「私をスキーに連れてって」を山形弁で

「連れて行く」が少しなまると「連れでぐ」になる。

さらに東北弁っぽくなると「つぇでぐ」となる。

そしてこれに山形弁を「強」にしてスイッチを入れると「しぇでぐ」となるのである。

「しぇでぐ」は山形弁で「連れて行く」の意である。

2018年 明けましておめでとうございます!

今年もいいことがいっぱいあるといいですねえ…

年末年始に2泊だけ山形に帰りました。実家に一人暮らししている母親はもちろん山形弁で話すのですが、久しぶりに会うと、ああ、こんな山形弁があったなあ、と懐かしく思い、自分が忘れかけている山形弁がたくさんあるのを知ることになる。

Photo

JRの駅のポスターが気になっていて、この少女は誰だろう…とぼんやり見ていたら、あ、これって原田知世じゃん!と気がついたのでしたが、原田知世の若いときはこんな感じだったのだなあとしみじみしたのでした。

「私をスキーに連れてって」を山形弁にすると

「わだしばスギーさしぇでってけろ」

となるなあ、なんてしょうもないことをぼうっと考えているのでした。

ついでにもう一つだけ山形弁を。

それは「歩ぐ」という言葉です。これが「あるぐ」とは読みません。「あらぐ」と読むのです。意味は「歩く」と同じなのですが、ちょっと変った使い方もします。

遅くまで帰って来ない息子を母親が叱ります。

「どごばあらってきたんだ?」

これは直訳すると

「あなたはどこを歩いてきたのですか?」

であるが、意味は

「おまえは、どこをほっつき歩いて遊んできたの?」

と、息子を非難しているのです。「あらぐ」はそんな微妙なニュアンスを持っているのです。

Photo_2

さらにこんな使い方もします。

「この道はバスはあらがねんだ」

「この道をバスは歩かない」

と言っているのですが、バスは走るのであって歩いたりはしません。この場合、「あらぐ」とは「歩く」ではなく、「通っている」という意味に変化するのです。つまり、この道はバス通りではないということを表わしている言葉なのです。

「こごはタクシーもあらがねまな」(ここはタクシーもめったに通らない道である)

なんて言うこともあります。

標準語が全く違う意味になるのはとても面白いし、不思議なことです。

西脇順三郎は『野原をゆく』の中で、ジャン・コクトーのこんな言葉を紹介しています。

「…詩は普通の言語を特別に使用する方法でなく、詩は全く別な言語であると言っている。」

山形弁も詩に近いのかもしれません。

今日は1月5日。本当は倉重光則の搬入のはずなのですが、1日ずれて、搬入は明日から3日間ということになりました。

搬入といっても、わたしは特に手伝うということもしなくていいようなので、作業は倉重にまかせて、新年の銀座をぶらぶら「あらぐ」がなあ…と思っているのです。

作品もぼちぼち作っています。

これは、1回目の着彩が終わったところ。

Photo_3


正方形が並んでいるのを3色、あるいは5色に塗り分けたところです。正方形の真ん中にある白い部分は、あとで別の色で3色か5色に塗り分けていくことになります。

正方形の中の白い形は、縦、横、右斜め、左斜めの4種類あります。

このままではよくわからないと思いますが、正方形の色と、正方形の中の形の色と方向が、全く同じものが現われるのは、3×4×5進んだところになるのです。60です。つまり、3と4と5の最小公倍数なのですが、まだこの状態だとわかりにくいと思いますが、まあ、こんな感じで進んでいると思っていただければいいのです。もう少し進んだら、より明瞭になるはずです。

☆展覧会

「スペインの パフォーマンス以前の前衛 写真展 (1900-1950)」

1/21(日)-31(水) 月曜休

火~土 13:00-20:00

日 13:00-18:00

アトリエ第Q芸術(世田谷区成城2-36-18/小田急線 成城学園前駅 徒歩3分、オダクル成城学園前 第1駐輪場隣)

・関連イベント「霜田誠二/ニパフ行為芸術学習塾その1~6」

その1 1月21日(日)16:00-18:00(音響詩について)

その2 1月26日(金)18:00-20:00(行為詩について)

その3 1月27日(土)13:00-15:00(行為詩実践的作り方)

その4 1月27日(土)18:00-20:00(行為詩実践的作り方)

その5 1月28日(日)13:00-15:00(行為詩実践的作り方)

その6 1月28日(日)16:00-18:00(行為詩実践的作り方)

受講料/1回1,500円(学生1,200円) +珈琲または紅茶500円

映像・講義・実習という内容です。

問合せ・申込み

nipaf@avis.ne.jp

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月27日 (水)

ちょい残し症候群

終わりごろになって、ちょっとだけ残してしまう、ということはないですか?

あと一口だけ、という段になって、どうしても最後まで辿り着けないということはないですか?

え?なんのことかって?

食べ物のことですよ。ご飯とかパンとかをちょっとだけ残してしまうあの癖のことです。

わたしはこのところ、まあ、年をとってからということですが、食べ物をちょっとだけ残してしまうのです。

たとえば、トーストを食べていたとしますね。最初は勢いよく齧っていて、途中でコーヒーを啜りながら調子よく進んでいるのですが、最後の一口、ほんとにあとちょっとで食べ終わるというときになると、突然食欲が失せてしまうのです。あと一口が食べられなくなってしまうのです。お腹一杯感が突然訪れて、フードファイターが、もう喉まで食べ物がつかえて、一杯でダメです、ギブアップです、というあの状態に陥ってしまうわけなのです。どうしても食べられないのです。ご飯の場合も、やはりあと一口のお米を口に入れることができなくなってしまうのです。ピザだったら、最後の一切れを半分齧ったら、そのときが急にやってくるわけです。ラーメンの場合はあと数本の麺が喉を通らないということが起こるわけです。

こういうことって、みんなありますよね?ちょい残し。

え?ないの?

うそ… あるでしょ。

東北地方では、茶碗のご飯を全部食べないで、最後の一口を残すという風習があります。たぶんあったような気がする。東北地方だけではないかもしれない。最後の一口は「神様のために」残すわけです。お供えですね。

中国では、食事に招待されたら、お皿の料理を全部食べてしまってはいけません。ちょっと残すのです。それが正しいマナーなのです。もうお腹一杯です、充分いただきました、ありがとうございます、という気持ちをそうやって表わすのですね。全部食べちゃうと、料理が足りないぞ、けちだなあということを表現してしまうことになってしまうわけです。

わたしのちょい残しは、この風習やマナーとは関係がありません。純粋に生理的な現象なわけです。

ちょい残しは、食べ物にかぎったわけではありません。わたしの場合は、読書にもその傾向が現われたりします。小説を読んでいて、お、そろそろ話が佳境に入ってきたぞ、どのような結末になるのだろうとどきどきしているときに、突然読みたくなくなってしまう、という不思議な気分が襲ってきたりすることがしばしば起こります。

あるいは、いままでじっくり読んでいたのに、終わりに近くなると、途中を飛ばしたり、急いだりして慌しく読了ということになってしまうわけです。

その理由はわかりません。

カズオ・イシグロの『日の名残り』を読み終わってしまったので、つぎに買ったのはこの3冊。

西脇順三郎 『野原をゆく』(講談社文芸文庫)

夏目漱石 『漱石紀行文集』(岩波文庫)

カズオ・イシグロ 『夜想曲集』(ハヤカワ文庫)

Photo

この3冊もちょい残しになってしまうのでしょうか。

さて、今年も残り4日。

特に仕事はもうないので、この4日間もちょい残しになってしまいそうです。

ブログも今年はこれで終了させていただきます。

来年は1月6日か7日ごろ再開する予定でいます。

では、みなさん、よいお年を!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月24日 (日)

年末のパーティー

12月23日(土)

今日はSteps Galleryの忘年会。

去年は参加者5人で、寂しくかつ静かなパーティーだったが、今年は15名の参加があり、賑やかに始まった。

Photo_2

5時半から始まって、全員が揃ったところで、自己紹介をした。みなさんいろいろ語りたいことがるようで、みんなで、なるほどねえとうなずきながらワインを飲んだ。

15人というのはいい感じだね。20名になると多すぎるかもしれない。


Photo

Stepsの忘年会も今年で7回目になる。こうやって集まってくれる作家がいるから、やっぱりがんばろうかなあと思いを新たにするのだった。

来年も変らずこのまま、突き進んでいくことにするかな。

10時終了。

12月24日(日)午後4時から、浜田浄展のパーティー。表参道のカフェ octria 8。

Photo_3

傘寿を祝う会。浜田さんは80歳。なんでクリスマスイヴにやるのかというと、浜田さんの誕生日が12月24日だからなのである。

招待した人は人数制限があるので、だれでもどうぞという会ではなかったのだが、それでも80人くらいいただろうか。かなりぎゅうぎゅうになっていた。

Photo_4

挨拶したのは中村徹さん。マイクを持っているのが中村さんで、その右隣が浜田さんである。

Photo_5

作品は、初期のシルクスクリーンから最新作まで並んでいる。

Photo_6

わたしは、美味しいおつまみをシャンパンで流し込んで、早めに会場を後にした。お土産に花のキャンドルをいただいた。

銀座、ギャラリーに寄って、昨日の片づけ。カン・ソニョンの作品も梱包しなくてはならないが、これは明日にしようかな。

休みに入ると、身体が動かなくて、動作が緩慢になるものだね。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月20日 (水)

I am steps

朝、ギャラリーの前の道路で、クロネコの配達のお兄さんに

「あ、ステップスさん…」

と声をかけられた。

そう、わたしはステップスさんなのである。Yes,I am Steps Gallery なのさ。

「今日、集金に伺ってもいいですか?」

とのことだったので、お待ちしています、と答えた。

配達のお兄さんは、わたしの顔を覚えていて、ステップスさんだ!と思い出したのだろうね。

クロネコの宅急便やDM便は、毎月月末に前月分をまとめて請求される。いつもは30日か31日に集金に来てくれるのだが、12月は、年末ぎりぎりまではどこも営業していないので、早めに集金をするのである。

今年もあと10日余りになってしまったなあ。

今朝、稲毛駅前のサンジェルマンにコーヒーを飲みに入ったら、いつもの「よぼ爺」がいた。新聞を読んでいた。ほう、今度は新聞か。以前は文庫本を読んでいた時期があり、お婆さんたちとのおしゃべりの時代があり(最近婆さんたちの姿を見なくなった)、漢字の熟語を練習している時期を通って、水彩画に達していたのだが、今度は新聞らしい。どこから集めてきたのか、いろんな新聞が数種類ある。一誌をテーブルの上で拡げて読んでいて、他の新聞は、床に置いてある。床といっても、そこはお客さんが通る通路なわけで、コーヒーを持ってテーブルに着こうとしている人のじゃまになっている。わたしは、思い切り踏んづけてやろうかと思ったが、なんとか自制してテーブルに着いた。そうしたら、わたしの後から入ってきた紳士然としたおじさんが、その新聞を拾って、よぼ爺に、落ちてますよと言って通路の新聞を手渡していた。よぼ爺は、あ、ありがとうございますとか言っていたが、落としたのではなく、そこに「置いた」のである。もう、絶対に置いたのである。わたしは、その紳士にえらい!と喝采を送り、よぼ爺に、ざまあ見ろ!と罵声を浴びせてやった(もちろん心の中で)。

年末のギャラリーはいろいろとやることが多くて、意外に忙しい。今は、新年に発送する案内状の封入をしているところである。それから、来年の展覧会のDMを考えたり、外看板用のデザインをしたりしていると、あっという間に時間が経ってしまうのである。時間があったら、お客さんが途絶えたときに作品も作ろうと思っているが、なかなか思うようには行かない。今、作品はこんなふうである。

Photo

白い点々はシールである。このあと、正方形の部分に色を塗っていき、塗り終わったらシールを剥がして、剥がした部分にまた別の色を塗っていくのである。色は2度塗りするので、けっこう手間がかかりそうである。そして、最後にまた彫刻刀で線を入れていくのである。来年のゴールデンウィークまでには終わらせたいものである。

年末に山形に帰る予定であるが、新幹線の中で読む本をどうしようかと思っている。今読んでいるベンヤミンは面白いので、読み終わってしまいそうである。本当ならアイン・ランドの『水源』を持って行きたいのだが、重すぎて無理である。この本は聖書より重い。手に持って読んだりしたら、腱鞘炎になること必至である。

で、とりあえず、カズオ・イシグロ『日の名残り』(ハヤカワ文庫)を買ってみた。

Photo_2

カズオ・イシグロは『わたしを離さないで』しか読んだことがなかったので、少しずつ読んでみようかと思う。

『わたしを離さないで』を読んだとき、わたしは、今度日本人がノーベル文学賞を獲るとしたら、カズオ・イシグロだなあと思って、ブログにも書いた記憶がある。この人の文章は読みやすい。

実を言うと、わたしはカズオ・イシグロを敬遠していた。なぜかというと、ハヤカワの本の装丁が気に入らなかったかったからだ。なんか素人っぽいデザインなので、買いたくなかったのだ(『わたしを離さないで』の装丁は良い)。でも、我慢して買うことにしよう。

今週は23日にカンさんの展示が終わったあと、ギャラリーの忘年会、24日は浜田浄の展覧会を見に行き、25日は新宿の眼科の診察。27日に女子医大の糖尿病センターの診察で今年の主な予定は終わるのである。

来年は、1月5日~7日、3日間かけて、倉重光則の搬入作業がある。展覧会は1月9日(火)からである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月18日 (月)

カン・ソニョンの鉛筆

カンさんの作品が並んだ。

Photo

すべて鉛筆画である。

土曜日に韓国から来てそのまま搬入。

今回の作品タイトルは全部「still life」である。

still lifeというのは静物画のことである。カンさんの身の回りにある日常的なものを鉛筆で描いている。

「still life 11」 紙に鉛筆 53×119cm 2017 ¥250,000

Photo_2

静物画というのは、普通は自分の身の回りのものに愛情のこもった眼差しを投げかけながら、丁寧に描き、世界を肯定しながら完成を目指すものなのであるが、カンは、そういう態度で描いているのではない。

「わたしは、モチーフを描いているときは、鉛筆で攻撃しているような気持ちになります」

と言う。それは彼女の眼に、身の回りのものが、あるいは世界がどう映っているのかということを表わしている。描くことは喜びではない、とも言う。

「still life 12」 紙に鉛筆 73×53cm 2017 ¥120,000

Photo_3

2011年の東日本大震災、原発事故のとき、カンは日本に居た。そうしたら、韓国の家族から、一時帰国するように、と連絡が来た。震災や事故よりも、彼女は家族から帰国せよと言われたことのほうがショックだったらしい。

「今でもそれはトラウマになっています」

と彼女は言う。そのときに、彼女と世界の関係が変わってしまったのだろう。

「still life 5」 紙に鉛筆 27×30cm 2017 ¥42,000

Photo_4

おそらく、攻撃態勢でもって制作をしないと、世界にやられてしまう、という強迫観念が彼女に居ついてしまったのではないか、と想像してしまう。

鉛筆はHBしか使っていないそうである。

「still life 10」 紙に鉛筆・アクリル 27×30cm 2017 ¥42,000 

Photo_5

カンさんは実は明日韓国に帰る。急用である。助成金の申請が水曜日にあるそうで、急遽帰ることになったのである。本人はクリスマスまで居たいといっていたのだが、残念である。

「still life 13 」 紙に鉛筆 27×30cm 2017 ¥42,000

Photo_6

さて、わたしは今年最後の1週間をギャラリーでひっそりと過ごすことにしようかなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«どんパ