2018年9月16日 (日)

十河さん搬入

9月16日(日)

十河さんの搬入。

いつものように、展示のプロ、アートワークスから二人のスタッフが来てくれる。

150号が4点ある。

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今回は壁2面に跨らせないでの展示なので、わりと楽に作業は進む。

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またまた度肝を抜く強烈な作品なのだが、本人は「ふつうの展示だな。ちょっとおとなしかったかな」などとつぶやいているが、充分驚かせてくれる作品である。

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作品の紹介は初日の19日(水)に書きたいと思う。

十河さんは会場には土曜日に来る予定。22日(土)と29日(土)。体調がよければ13:00過ぎくらいになるというのだが、体調が思わしくなければ、もっと遅くなるか、キャンセルになるか…

作業をしながら、十河さんとは来年の早稲田大学での展覧会の打ち合わせ。作品もおおよそ決まっているらしい。

わたしが書いた「コンセプト論」についての十河さんの意見。今度詳しく書きたいが、コンセプトという言葉は、あれは日本では広告業界で使っていた特殊な業界用語なのだそうである。哲学用語としてのコンセプトではなく、広告の説明をするときにクライアントに説明するときに、広告のコンセプトは…と使っていたそうである。昔から使っていたが、いつの間にか一般の人も使うようになってしまった、ということだった。クライアントという言葉も流布してしまった感があるが、あれだって、元々は広告依頼主という意味なので、広告業界でしか使わなかったのである。…

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面白い話だったので、また次回。

いくつかお知らせ

①佐渡さんのこと

佐渡富士夫 回顧展のチラシを持ってきてくれた人がある。

回顧展ということは、亡くなっていたのだ。知らなかった。

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佐渡富士夫 回顧展

9/12(水)-17(月)

市立小樽美術館市民ギャラリー

今日までの会期で、小樽だから行けないけど…

小樽の佐渡さんとは、1999年のアメリカ、サンノゼでのグループ展でいっしょだった。

2017年逝去。享年78歳とある。

②昔の作品

古い友人の K氏がギャラリーに寄ってくれた。以前パソコンが壊れて、住所録も消えてしまったので、案内状も出せないままになっていたのだが、わたしのこのブログをいつも読んでくれているそうで、この間の横浜の個展にも行ってくれたそうである。ありがたいものである。今年、奥さんが亡くなったという話をした。

「寂しいよね」

「寂しいね」

家にわたしの作品を飾ってくれている。その写真を見せてくれた。

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かなり昔の作品なので懐かしい。これもありがたいことである。

③本

国木田独歩を読んでいる。すごく面白いので、「武蔵野」も読まなくては(昔読んだような気もするが)。手元に本がないと落ち着かないので、また一冊買い足した。

『三島由紀夫紀行文集』(岩波文庫)

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岩波はこのところ、紀行に力を入れているような気がするなあ。

④田崎亮平のこと

亮平が倫敦に行くとこの間書いたが、昨日ギャラリーに寄って、最後の握手をして帰った。

作品のカタログが出来上がったので、持ってきてくれたのである。

ロンドンに持っていくのである。

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テキストはわたしが書いた。せっかくなので、載せてみる。

田崎亮平の手わざ

吉岡まさみ

 美術作品というものは、われわれの眼に訴えかけてくるものが多い。いや、そのほとんどが視覚芸術の範疇に入ると言ってもよいだろう。絵画はもちろんのこと、彫刻も写真も映像もしかりである。色彩や形、イメージや動きを見せることで、われわれの網膜を通して心に訴えかけることで、その効果を発揮するわけである。

 ところが、そのなかに、われわれの網膜と視覚に語りかけるのではなく、われわれの頭脳に直接訴えかけてくる作品のグループがある。われわれの網膜を喜ばせることを目的とせずに、作品の意味やその中に含まれる思想や物語を伝えることを第一に据える作品である。これをわれわれは概念芸術(コンセプチュアルアート)と呼ぶ。概念芸術はわれわれの知的興味を刺激する。

 そういう意味では、田崎亮平の作る作品群は、まさに概念芸術と呼んでいいだろう。

 2013年、東京のSteps Galleryで発表した『欲望の展覧会』(Exhibition of desire)というタイトルの展覧会では、本物の宝石から型を取って樹脂を流し込んで作ったフェイク宝石を3000個並べた。これは本物とコピーの境界線をはっきり示すものなのか、逆にあいまいにしてしまおうとしているのか、そのどちらかを決めないまま、われわれの側に決定と理由づけを迫るのである。

 贈り物のパッケージに使うリボンを使った作品では、箱に絡ませて結んだリボンを結び目ごと樹脂で固めてしまい、箱を抜いたリボンだけを提示した作品である。贈り物とは、いったい何を送るのか、贈与という行為に対してのわれわれの立ち位置と姿勢を確認させる作品になっている。

 あるいは、樹脂で地面そのものを型取り、地面の表面を写し取り、さらにその上に樹脂を流し込み、地平線を意識させる作品では、一見なんの変哲もない、樹脂の小さなキューブが、われわれの意識とイメージを根底から揺さぶるのである。


 作品を見るわれわれの頭の中に浮かぶ、作品の構造体としてのイメージやそれにまつわる一連の想念のことを概念と呼ぶとすれば、概念(コンセプト)とは、作品の中に備わっているのではなく、見るものの心のなかに想起されるものであることになる。田崎の作品はそのことを明確に気づかせるものになるだろう。


 田崎の作品は、まぎれもなくコンセプチュアルアートであるのだが、通常のコンセプチュアルと違うところがある。それは、まるで彫刻家が粘土を扱うように、画家がパレット上で絵具を調合するように、丁寧に作品を仕上げて、美しく、見るという鑑賞に耐えられるものにしてしまっている点にある。つまり、田崎の作品は、われわれの頭脳に訴えかけてくるだけでなく、手わざを駆使してわれわれの網膜にも刺激を与える力を獲得しているのだ。 

 コンセプチュアルアートでありながら、ことばの非常に素朴な意味で「美しさ」を備えた田崎作品は、難解になりがちな現代アートを逆方向から照らし出して、美術の新たな魅力を引き出しているのである。

 

 

 

 

 

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2018年9月14日 (金)

ヂゴク イコウ

今日は意外と涼しい。よし、ギャラリーに着いたら温かいお茶を淹れようと思っていたのだが、外は涼しいのに、ギャラリー内は暑いのである。昨日の熱気がこもっている。5階なので、熱気は下から上に昇ってくるのだ。

冷房を入れる。部屋の温度を下げるというよりは、湿度を下げるために冷房を入れるのだ。ポットでお湯も沸かす。

外気とギャラリー内の温度は相関関係にない。

地下鉄銀座の駅と同じである。銀座駅はいつも暑い。とんでもなく暑いのである。たとえば外気温が25度だったとすると、銀座駅のホームは35度になる。だいたい10度は違うな。外気が30度で、なんとかやり過ごせる気温でも銀座駅は40度を軽く超えているのだ。電車から発せられる熱がこもってしまうのだろうか。銀座に来たら、ぜひこの暑さを体感してほしい。サウナである。地獄といってもいい。

銀座駅ということばで「地獄」をいつも連想するのであるが、「地獄」ということばで連想するのは、今は十河雅典展の案内状のことばである。

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裏文字で「ソウダ ヂゴク イコウ」とある。しかも作品は「JR」である。「そうだ 京都 行こう」のもじりであることは説明を要しないだろうが、ヂゴク イコウ には虚を突かれる。

このハガキがすでに作品になっているよね。

明後日の日曜日に搬入である。スタートは19日(水)ですので、お気をつけください。

とにかくこれは見ておかないといけない作品になるはずである。

見ない人はヂゴクに行くことになるだろう。

評論の萬木康博さんが来る。今日はわりと涼しいですよね、というと、「いや、暑いよ。暑い暑い。湿度が高いからね」

「じゃお茶は冷たいのがいいですね?」

「いや、温かいのもらおうかな」

面倒な人である。

藤本均定成さんのいつもの茶碗にお茶を注ぐ。わたしも飲む。う~ん、ほっとするねえ。

藤本さんの茶碗は、新しいのを10個購入した。

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奥の黒い茶碗が以前のもので、今回の新作は手前の2つである。少しずんぐりしてきた。飲み口をちょっと厚めにしてある。飲み口は薄いほうが飲みやすいのかもしれないのだが、割れやすいのである。今回のは割れにくいという長所がある。1つ¥1,600である。

ベルリンの川辺美咲さんから作品集が送られてきた。

「Fukushima mon amour」というタイトルである。

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がんばっているなあ。

作品集を見たい方は、ギャラリーに来て、「見せて」と言ってください。

☆展覧会

「タシロサトミ展」

9/24(月)-29(土)

Gallery Q (銀座1-14-12 楠本17ビル 3F)

タシロさんは、10月の中国文化センターのグループ展でいっしょになる作家。

中国文化センターの展覧会については、また今度紹介します。

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2018年9月10日 (月)

郷戸一行のイメージ

9月8日(土)

甲斐千香子展最終日。今週も暑かったのだが、甲斐展のお客さんは元気にギャラリーに来てくれた。本人も毎日詰めてがんばったのである。甲斐さんは固定ファンがつき始めているので、さらに作品を展開していく必要があるだろう。

郷戸一行展の搬入。

お手伝いに一人女の子がついてきているのだが、聞いてみると、高校の教え子で、今年、茨城大学に入ったのだそうだ。郷戸くんの教え子で唯一美術系に進んだそうで、やはりそれは嬉しいだろう。わたしは、4年生になったらウチで個展をやりなさいと言う。

こんな感じに展示が終了。

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搬入後、教え子にご飯をおごりたい、肉がいいというので、焼肉「でですけ」の場所を教えて、わたしは一人で中華「ヤンヤン」に行く。

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「お一人様」はなんか寂しいのではないかと思われるかもしれないが、わたしはちっとも寂しくはなく、一人で気楽に食事するのが好きなのである。

ヤンヤンの中国人のおばさんを最近見かけないがどうしたんだろう?中国に帰っちゃったのかな?代わりに若い中国人の女の子が二人、元気に働いている。

わたしは生ビールと餃子を一皿注文する。

ビールをぐいとあおって、煙草をふかしていると餃子が来る。ヤンヤンの餃子は大きいので5つ食べるとけっこうお腹がいっぱいになる。太宰治の文庫本を読みながらゆっくり食べる。

本の中に見つけた一行。

「よく笑う人は、よく泣くのではないか。」

太宰は忘れてはならない作家だ。

餃子だけでは、インスリン注射を打つから低血糖になる。なにか他にお腹に入れなければならない。五目冷やしそばを食べたいのだが、あれは量が多すぎて食べきれない。で、メニューを見たら、サラダ冷やしそばというのがあった。うん、これだ。さっそく注文する。煙草をもう一本吸っていると、サラダそばが到着する。おお、サラダだ。レタスとトマトと胡瓜が満載である。人参もある。麺が見えない。さっそく食べてみる。う、、美味しい。途中まで食べて、なんか物足りないと感じたのだが、あ、カラシだ。カラシが足りないのである。わたしは中国人の店員を呼んでカラシを持ってきてほしいと言う。すぐに皿にカラシを載せて持ってきてくれる。スープにカラシを溶かして味わうと、これだよこれ!やっぱりカラシがうまいのである。これが米沢だったら、さらにマヨネーズを加えるところなのだが、ここは我慢である。と、ごちゃごちゃ考えながら麺を啜っていると、中国人の若い店員がわたしのテーブルに来て

「あの、すいません」

「なに?」

「その本、見せてもらっていいですか?」

と言う。

「いいよ」

「かわいい!」

文庫本が小さいのと、表紙の絵が綺麗だったからかわいいと言ったのだろう。日本人のかわいいと同じ使い方をしている。

「読める?」

「うん、ちょっと難しい」

「日本語勉強してるの?しゃべるのはできるかもしれないけど読んだり書いたりは難しいんじゃない?」

「できるよ。読むと書くはできる。でも聞くが難しい」

「へえ」

ヒアリングが苦手なのね。

「たとえば、大丈夫という言葉ね、あれは中国では……なんて言うのかな」

「ああ、元気でたくましい男ってことでしょ?」

「そうそう!」

「日本でもね、昔はそういう意味だったのよ。だけどだんだん意味が変ってきてオーケーという意味になっちゃったんだな」

「難しいね」

「がんばって勉強してね」

9月10日(月)

個展初日。

明日から涼しくなりそうだから、たくさん来てくれるといいなあ。

「archetype ‐circulate‐」 屏風・和紙・箔・胡粉・墨 136×128cm 2018 ¥450,000

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樹の幹のような形、水などをモチーフにしているようである。確かな技術と真面目な姿勢が感じられる。

「archetype -fall-」 紙・岩絵具・墨 53×45.5cm 2018 ¥80,000

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「archetype -nuclear- 3」 和紙・箔・胡粉・墨 22.7×15.8cm 2018 ¥8,000

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nuclearは核という意味であるが、郷戸はそれをイメージとして提出している。モチーフをそのまま表出するのではなく、咀嚼して消化してから描くのである。真面目である。

この上に「毒」が盛られると、さらに強烈になるだろう。

こんな作品も持ってきた。

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「雲丹型土器」 オーブン粘土・箔・塗料 2018 ¥4500

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2018年9月 8日 (土)

郷戸一行展

来週から少しは涼しくなるだろうか。郷戸くんの個展がある。

日本画である。

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1982 新潟県生まれ

2006 茨城大学卒業

2009 筑波大学大学院修了

個展やグループ展を多数行なっているが、東京での展示は今回が初めてである。

茨城大学?ははあ、そういうことかと思った方は当たりである。十河先生の息がかかっている。

現在、茨城で高校の教員をしている。

これから伸びていくといいなあ。

教員なのでとても忙しく、ギャラリーに在廊できるのは15日(土)だけである。本人に会いたい方は土曜日にどうぞ。

田崎亮平くんが来た。

彼は今月ロンドンに行くのである。ワーキングホリデイ。2年間。

大丈夫だろうか…

こちらが心配になってしまうのが、亮平の亮平たる所以である。

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2018年9月 6日 (木)

ウテさんが来ます

今朝は、北海道の地震のニュースを見ていたら、家を出るのが遅くなってしまった。

横浜で個展開催のために、ウテさんがブレーメンから来日します。

ウテ・ザイフェルト 展 -DAZWISCHEN 間に-

9月28日(金)-10月9日(火) 10/1休廊

11:30-19:00(日・祝18:00、最終日17:00まで)

オープニングパーティー:9月29日(土)17:00~

ATELIER・K(横浜市中区石川町1-6 三甚ビル3F)JR石川町駅から徒歩1分

tel.045-651-9037

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今回は平面作品だそうです。

ウテさん本人に会いたい方は、ぜひパーティーにお越しください。

展覧会をもうひとつ

☆霜田誠二 展 「すずめ式」

9月1日(土)-30日(日) 木曜休

12:00-22:00

西荻窪珈琲「驢馬とオレンジ」(杉並区西荻窪2-21-3 佐久間ビル1階)7

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わたしは、火曜日に叔父さんのお葬式で米沢に日帰りで行ってきた。

水曜日は新宿の眼科へ。

二葉亭四迷の『平凡』を読んでいたのだが、面白くて読み終わってしまった。次に読もうと思っていた国木田独歩はギャラリーに置いたままにしてあったので、なにか読むものがほしいと思って本屋さんに入り、選んだのが、太宰治『パンドラの匣』(新潮文庫)。

太宰治の作品は、文庫になっているものはすべて読んだはずなのだが、読んだといっても、ぜんぶ10代のころだから、忘れているかもしれない。このところ太宰が妙に気になっているのである。少しずつ読み直してみようと思ったのだった。『パンドラ…』のは表題作と「正義と微笑」という2作が入っているのだが、読んでみると、あれ?こんな作品あったっけ?完全に忘れているのだ。そして、ものすごく面白い。

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2018年9月 3日 (月)

甲斐千香子のすごろく

台風接近中だが、甲斐千香子展は台風をものともせずに走り抜けるのである。

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短期間にすごい数の作品を仕上げた。作品にはそれぞれ番号が振ってあり、すごろくになっている。

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サイコロを振って実際に遊ぶわけではないが、それぞれの作品には「一回休み」などの指示が入っている。

これはそのすごろくのプレイシートである。

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ちょっと暗い感じの作品が多いのだが、じっくり見ていくととても味わい深い。人生の一場面といった趣で、それぞれ自分の人生と重ね合わせたりして楽しむことが出来そうである。

「衝動買い 一回休み」 木にアクリル 30×30cm 2018 ¥35,000

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「まだ足りない 街を彷徨う 1モドル」 木にアクリル 30×30cm 2018 ¥35,000

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事務所には別のシリーズが飾ってある。

「今日も一日が始まる」 紙にアクリル 18×24cm 2018 ¥32,000(額込)

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「手段と効果」 紙にアクリル 10×14.8cm 2018 ¥23,000(額込)

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なにげない風景の中にある様々な亀裂を表現するこの作品は、人生のすごろくのようである。

わたしなんかは、すぐに「ふりだしに戻る」になってしまいそうな気がする。





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2018年9月 1日 (土)

セルビア料理

シェフの和田真一さんのレストラン「トレオンエレナ」がセルビア料理を始めました。下記をクリックしていただけたら、様子がわかると思います。

http://www.tokyo.mfa.gov.rs/jpn/newstext.php?subaction=showfull&id=1535698023&ucat=106&template=Frontpage3Cir&

和田さんはもともとフレンチのシェフで、トレオンエレナもフレンチの店なのですが、セルビア料理も作ってくれることになったのです。

ぜひ一度行ってみてください。

場所は、銀座から歌舞伎座の方に歩いて、歌舞伎座からしばらく歩いて七十七銀行を左に曲がってちょっと行った右側です。

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2018年8月31日 (金)

おじいちゃん

あまり面白くない夢を見たのだけれど、みんなに話したらウケたので書いてみる。

公園かどこかで、10人くらいの人たちが、なにやらお盆のようなものを囲んでいるので、近寄ってみると、それは大太鼓を横に寝かせたくらいの大きさで、お皿のようだった。中にはきな粉がたっぷり入っていて、それをお餅につけて食べるのだった。私も食べてみた。どら焼きの形をしているが、色は薄いグリーン。ヨモギ餅のようだった。そのままかぶりついたら、とても美味しかった。アンコなどは入っていない。今度はきな粉をつけて食べてみた。おお、美味しいじゃん。続けてきな粉をつけようとしたのだが、なかなかうまくつかない。意地汚くたくさんつけようと欲張ったので、さらにうまくいかなくて、餅をお皿の中に落としてしまったりした。バツが悪くなったわたしは、照れながら「おじいちゃんみたいだな」とつぶやいた。

そうしたら、それを遠くで見ていた女子学生が二人いて、こっちを見ながら言うのだった。

「おじいちゃんじゃんね…」

これだけの話だが、目が覚めたときにわたしは軽いショックを受けていた。

みんな面白いというのだが、わたしは全然面白くはないのだった。

さて、来週のStepsの展覧会である。

甲斐 千香子

9月3日(月)-8日(土)

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この週は、もともと金澤 麻由子がはいっていたのだが、体調がすぐれないということで、急遽、甲斐さんに入ってもらったのだった。

しばらくして、金澤から電話があって、

「元気になりました!」

とのことだった。やれやれと思いながらも一安心である。

金澤の個展は来年の2月に設定した。

甲斐さんは8月に日本橋で個展をやったばかりなのだが、そのままの勢いでStepsになだれ込むのである。出品予定作品は30点。

すごろくのような配置にすると言っているのだが、どんなふうになるのか想像がつかない。自由にやってもらおう。

このところ作風が変ってきていて、新しい境地に入っている。

学校ももう新学期が始まるねえ。宿題がないから大人はいいよね。

わたしは、終わらない「宿題」を抱えていて、苦しんでいる。それは「一色映理子論」である。これがなかなかうまく書けない。とりあえずざっと書いて一色に送ったのだが、「海の部分は短くしてください。今書いている作品ができたら画像を送りますので」、と、それについて書いてほしいということだった。

一色の絵画は、美しくて一見わかりやすいのだが、批評を書くとなると、非常に難しいのである。かなり気合を入れないと書けない。

大幅に書き直すことになりそうである。

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2018年8月29日 (水)

エアコンちゃん

7月に霜田誠二がパフォーマンスをやったときに、ギャラリーのエアコンから水がぽたぽた落ちてきて慌てたのだが、このエアコンちゃんは最近もずっと調子が悪くて、連日水害に遭っている。人がたくさん入るとポタポタが起きやすい。気温が上昇して35度とかになっても、やはり水が出る。気温よりも湿度に関係があるようであるが、いずれにしても困ったことなのである。ビルの管理会社に電話をしたら、すぐに見に来てくれた。ほら、ここ湿っているでしょ?と脚立に昇ってもらって、エアコン本体を触ってもらった。新しいエアコンにするという計画はあるようであり、見積もりをしてもらっているとのことだが、でもこの夏は無理だろうな。

唐さんのアイデアで、エアコンの下に棚をつけたらどうか、ということだったので、さっそく付けてみた。

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棚の上には重箱とタッパーを置いて水を受けとめるようにした。なんだか神棚みたいだが、これで今年の夏はなんとか切り抜けるしかないだろう。がんばれエアコンちゃん!

夏目漱石の『明暗』を読み終えた。なんだかなあ…という作品だった。新聞の連載小説だったこともあるのだろうが、ねちねちと話が進むのである。登場人物も、癖がありすぎて、あまり好きになれない。「渡る世間は鬼ばかり」みたいだった。

作家の代表作も面白いが、わたしは、あまり知られていないような作品が好きだなあ。

漱石は『坑夫』、森鷗外の『青年』、芥川竜之介『歯車』とか…

で、わたしはこの2冊を買った。

二葉亭四迷『平凡』(岩波文庫)

国木田独歩『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』(新潮文庫)

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二葉亭といえば『浮雲』だし、独歩は『武蔵野』であるが、わたしはこっちの方に興味が湧くのである。『平凡』も「牛肉…』も評価はあまり高くないのである。でも、それは文芸評論家が言ってるのであって、わたしとは関係ない。

もう一冊、今読んでいるのは

小谷野 敦 『江藤淳と大江健三郎』(ちくま文庫)

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ぱらぱらとページをめくってみたら、字面がもう面白そうで、すぐに買ってしまった。大江健三郎の小説は、わたしはそれほど好きではないし、江藤淳は、昔、藍画廊の読書会に参加していたときに、『成熟と喪失』を読んだだけだが、たいしたことがなかった。

大江も江藤も実はそれほど興味はないのだが、小谷野の文章が面白くてやめられないのである。小谷野は『もてない男』(ちくま新書)で有名になったが、なんかくせになりそうである。


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2018年8月27日 (月)

唐の映像

結局、唐さんは4日かかってようやく作品が完成した。

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壁にステイトメントを貼ろうかという話をしていたので、文章はもう出来てるの?と訊くと、これから書くということだったので、それならステイトメントは必要ないとわたしは指示したのだった。

唐さんの作品は、とてもシンプルで、「見ればわかる」という種類の作品なので、よけいな説明は要らないのである。

プロジェクターを3台使って3つの映像を同時に流している。

一番大きなサイズのものには、住宅街のような風景が映っている。ここは京都の嵐山だそうである。道の周りには家や畑や樹木などのなんでもない風景が映し出されていて、唐さんはゆっくり歩きながらそれをを撮っているのだが、普通の撮影方法と違うのは、それが後ろ向きに進んでいるという点である。これは映像を逆に送っているのではなく、唐さんが後ろ向きに歩いているのである。ちょっと不思議である。後ろ向きに歩いているというだけで、面白い映像になっていて飽きない。車の後部座席に座ってリアウィンドウから後ろを見ているあの感じである。

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後ろ向きになって住宅街を撮影している情景はとても「怪しい」。変な目で見られることが多かったそうである。後ろ向きにカメラを覗きながら進むので「危ない」。だれか先導してくれる人を頼んでの撮影になったらしい。カメラはスマホである。立派なカメラを使わなくても、これだけの映像が撮れて作品になってしまうのが現代だな。

二つ目の小さいサイズの画面にもおなじような風景が映っているのだが、こちらのほうは少しスピードが感じられる。街中の同じルートを、今度は横向きになって撮影したということである。電車に乗って、ベンチシートに座って、そとの風景を見ているのと似ている。風景はどんどん流れていく。

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そして3つ目の画面には空が映し出されている。こちらは、画面を細長く絞ってスリット状にしてあり変化をつけている。空は遠くにあるので、動いているようには見えないのだが、ときどき電線が通過するので撮影者が動いているのがわかる。

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後ろ向きで移動していくと、次にどんな風景が現われるのかわからないので、わくわくしながら見ることになるのだが、それよりも唐の作品は同じ位置と同じルートから、複数の視点を向けているというところが肝要だろう。キュビスムの視点と似ているが、キュビスムと違うのは、ある一つの対象に対しての視点ではなく、いろいろな方向に拡散する視覚であるところである。拡散することによって、ある対象に集中するのではなく、視点がさまようことで、逆に自分の立ち位置が強烈に意識される。私は何処にいるのだろう。ここは本当は何処なんだろう。

視点は3つだけでなく、地面を写したり、斜めを写したりして、さらに多声的(ポリフォニー)な表現になることを予感させる。

多声的なのは映像だけでなく、唐が映像といっしょに流している音も、いろいろな音を重ねて重層的な表現になっている。鳥の鳴き声、地震の音、ピンポンゲームをしている音声などが重ね合わさっているのだ。

唐の映像は、単純明快なのだが、われわれに考えさせる内容が複雑で込み入っている。それは、われわれ自身の存在の不確かさや不安を思い出させてくれるという点で貴重である。

もともと唐さんは絵画専攻なので、絵も描くし、写真も撮るのである。

「happning 1」 紙にインク 15×21cm 2018 ¥15,000

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「Taipei cocnut palm」 写真 19×21cm 2018 ¥20,000

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