2025年2月17日 (月)

風景あるいは絵画

2015年にベオグラードで開催された「2+2」について何回も書いているのだが、ミラン・トゥーツォヴィッチと倉重光則を取り上げたが、サーシャについてはあまり詳しい紹介はしなかったように思う。

「2+2」に、サーシャ・マリアノヴィッチは二つのシリーズを展示した。一つは横5メートルほどの作品で、「ヒロシマ」をアクリルで描いたもの。もう一つは、紙に鉛筆で描いた海景なのだが、その海には潜水艦が浮かんでいる。これは原子力潜水艦だ。この時のサーシャの作品のテーマは「戦争」だった。

今回の「風景あるいは絵画」にも海を描いた作品を2点展示したが、これは2018年作で潜水艦は浮かんでいない。波がうねっているだけだ。キャンバスに油彩の作品と、アルミの板に絵の具を塗って、それを引っ搔いて波を描いている。

加藤慶子、有坂ゆかり、萩谷将司の作品もそれぞれ風景を描いているのだがだが、テーマの「風景あるいは絵画」の意味するところを考えながら見ていただくとありがたい。

サーシャのこの作品は、ステップスで展示するのはこれが最後になる。

ブログを書くのは久しぶりだ。疲れていたのですよ。

9日に高知から帰ってきて、10日、11日とOn the Steps があり、12日は女子医大で眼科の診察。ドクター内村に逆さ睫毛を抜いてもらったら、すっきり眼が開くようになった。13日は今回の作品を展示。夕方に築地の「上松」でヘアカット。これでさらにすっきり。」14日は久しぶりのマッサージでやっと体がほぐれる。眼、髪、肩と三大やっかいをやっつけて楽になった。楽になったまま金・土・日と3日間休ませてもらった。3連休っていいねえ!疲れが取れる。

ハン・ガンを4冊読み終わる。「菜食主義者」が面白かったが、「少年が来る」も衝撃的だった。光州事件は言葉としては知っていたが、こんな風だったのかと驚く。

ハン・ガンの次は関川夏央の私説昭和史3部作を読むことにした。

『砂のように眠る』1 (中公文庫)

『家族の昭和』2

『昭和時代回想』3

2だけ見つからなくて、1と3だけ買った。2はこんど見つけたら買おう。

 

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2025年2月10日 (月)

高知県美の浜田浄展

2月7日(金)

成田からジェットスターで高知空港へ。

一人だといろいろ心配だから奥さんについてきてもらう。

バスで高知市内へ。ホテル到着。

7DAYS HOTEL PLUS

ロビーには浜田さんの大作が展示してある。

今回は東京から来ている人が35人くらいなのだが、浜田さんの要望で全員このホテルに泊まる。

展覧会は明日からなのだが、今夜は宴会がある。

夕方からみんなで宴会場へ。浜田さんは意外と元気な様子である。司という店。土佐料理では有名な店らしい。

東京からのお客さんは35人だが、東京以外の方々も含めて、45・6人の大勢になった。

浜田さんの挨拶、美術館長の挨拶の後、ビールで乾杯。

わたしの向かいに中村徹さんが座ったが、ほかの人たちの顔と名前がわからない。テーブルには皿鉢料理の大皿がでんと置かれていて、これを5・6人で食べる。これ一皿で料理は全部である。これだけなの?と思ったが、食べ始めて焦る。食べても食べても料理が減らないのである。カツオのたたき始め、いろいろな刺身、イセエビのフライ、お寿司などが並んでいるのだが、並んでいるというより重なっているというほうが的確だろう。一緒に皿を囲んだ靖山(セイザン)画廊の3人と中村さんとで、「これ絶対食べきれないですよねえ」と言い合いながら食べる。ちょっとあったかいものが飲みたいねえ、と中村さんが言うので、お銚子を熱燗で頼み、二人でちびちびと飲む。

しばらくして、わたしは参加者がどんな人たちなのか気になったので、司会をしている√K(ルートケイ)の亀山さんに、「参加している人の名前と、どんな方なのかわからないので、お一人ずつ自己紹介をお願いしてはいかがですか?」と進言する。亀山さんはすぐに自己紹介をお願いします、とマイクを回した。東京以外からもいろんな人が来ていた。ギャラリー関係者が多い。いろんなギャラリーが居たが、ほとんどは銀座のギャラリーだった。日本橋三越からも一人来ている。浜田さんは今年の10月に、日本橋三越とみぞえ画廊共催で個展が予定されている。ギャラリー以外では作家が多かったが、意外と多かったのはコレクターである。浜田さんのコレクターは全国に居るのである。「秋元雄史です」という声が聞こえたので、振り向くと「今回カタログにテキストを書かせてもらってます」と言う。おお、秋元さんが書いているのかと顔を見る。あとで話しかけてみる。「昔、真木画廊とかかねこ・あーととかで作品発表してましたよね?全部見てますよ」と言うと、ちょっと慌てていた。秋元さんはもともと現代美術の作家だったが、途中から評論に転身した。昔、作品を発表していたということを知っているのは少数だろうな。今回の展覧会カタログはまだ出来ていない。3月になってから出来上がるらしい。楽しみである。

わたしにもマイクが回ってきたので「ステップスギャラリーの吉岡です。カタログにテキスト書きました」と挨拶する。

宴会は延々と続いていたが、わたしは疲れてしまったので、途中で抜け出して、ホテルで休むことにした。

2月8日(土)

ホテルで朝食のあと、美術館へ。どうやって行くのかな、路面電車に乗るのかなと思っていたら、なんとホテル前にチャーターバスが横づけされて高知県立美術館までわれわれを運んでくれたのだった。

開展式というのがあった。館長と浜田さんの挨拶の後、さんさんテレビの社長が挨拶、そしてテープカットがあった。テープカットって今時珍しくないか?なんか昭和な感じがして味わい深い。

展示を見て回る。美しくてわかりやすい展示である。浜田さんは展示を担当した学芸員の塚本さんをほめていた。

わたしは塚本さんを見つけたので、挨拶をした。

展示を見たあと、県民ギャラリーを覗く。美術愛好家たちのグループ展かなんかだろうと思いながら見る。あれ?そういう素人さんたちのグループ展にしては妙にレベルが高い。途中で知った名前の作家がいたりした。あら?浜田さんの作品まであるよ。あとで聞いたら、これは神戸のGALLERY AO(ギャラリー アオ)のコレクション展だったらしい。なるほど。

美術館のレストランでアイスコーヒーを飲んで休む。なんかものすごく疲れてしまう。午後はトークショーがあるのだが、これだともたないなと考えて、わたしは失礼して早めにホテルに帰って休むことに決める。路面電車ではりまや橋まで行ってホテルに戻る。夕方までずっと寝て過ごす。なんかもうエネルギーがないのだ。

夜になって、ようやく起きられるようになったので、食事に行く。居酒屋がいいかなと思っていたのだが、土曜の夜だからか混んでいたので、ちょっとおしゃれな創作料理の店のコース料理を食べる。奥のテーブルで手を振る人が居た。ギャラリー川船さんと中村さんだった。

 

さて、ステップスは明日でOn the Steps が終了。そのあと日曜まで休みになる。その間、わたしは搬入をやったり、病院に通院したりする。それ以外はゆっくり休ませてもらうのである。

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2025年2月 5日 (水)

ランダ・ムダー

ジョン・バージャーの『画家たちの「肖像」』読み終わる。取り上げられている作家74人の最後がランダ・ムダーである。パレスチナの作家である。

バージャーがこの評論を書いた時、ムダーは29歳だった。彼女は1983年生まれなので、2012年に書かれた文章である。バージャーが亡くなる5年前だ。現在は42歳のはずだが、彼女は生きているのだろうか?

上條陽子は何度もガザを訪れているが、行くたびに、自分は何も悪いことをしていないのに犯罪者になったような気持ちになると言った。ガザ地区の周囲には高い塀が張り巡らされていて、監視されている。

「ガザ、この世界最大の監獄は殺戮の場と化しつつある。(ガザ地区の)「地区」という言葉は血にまみれている。六五年前に「ゲットー」という言葉がそうだったように。

昼も夜も、爆弾、砲弾、放射性爆弾GBU三九、機関銃の弾丸が、イスラエル国防軍によって、空から、海から、地上から、一五〇万人の民間人に向かって発射されている。

……

虐殺のあとは、じきに疫病が蔓延するだろう。住居のほとんどには水も電気もなく、病院には医者もおらず、薬も発電機もない。虐殺は封鎖と攻囲に続いて行われる。

世界中で抗議の声がますます高まっている。だが、世界のマスコミを従え核兵器の保有を誇る豊かな者たちの政府は、国防軍の所業については見て見ぬふりをすることをイスラエルに請け合っている。」

ガザは現在までずっとこういう状況だったわけだ。こういう中でアーティストたちが作品を作り続けていることを、わたしたちはどう受け止めるべきだろうか。

「私は数カ月前ラマッラに戻り、使われなくなった地下駐車場を訪れた。パレスチナの視覚芸術家たちの小さなグループがここを占拠して作業場にしていて、その中にランダ・ムダーという名の彫刻家がいる。私は彼女が構想し制作した《人形芝居》という題のインスタレーションを見ている。

この作品を構成するのは大きさが三メートル×二メートルほどのレリーフで、それが壁のように直立している。その前の床には、人間の全身像が三体ある。」

「彼らの体は三本の横棒からぶら下がった糸につながっていて、その横棒はさらに天井からぶら下がっている。彼らは操り人形なのだ。横棒は、この場にいない、または目に見えない人形遣いが操るための棒だ。」

「目に見えない人形遣いが操る糸につながれた、実体を持ちおののく三体の人物像は、地面にまっさかさまに放り出される。何度も何度も、彼らの頭が割れるまで。彼らの手、胴、顔は苦痛にゆがんでいる。終わることのない苦痛だ。彼らの足を見ればわかる。何度も。何度も。」

「レリーフの無力な見物人たちと地面にだらりと横たわる犠牲者たちの間を歩くこともできるだろう。だが、私はそうはしない。この作品には、私がこれまでほかのどの作品にも見たことのない力がある。これは、自らが立つその大地を要求している。」

 

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2025年2月 1日 (土)

ピビンパ

韓国の作家にピビンパの発音について教えてもらったことがある。日本ではビビンバと言うことが多いが、正しくはピビンパであると。ピビンは混ぜるという意味で、パは漢字で書くと飯である。だからビビンバと書くのはおかしい。日本には韓国人がたくさん居るのに、だれも指摘しない。スーパーなどで売っているインスタント食品にもビビンバと書いてあったりする。バビブベボとパピプペポの発音の違いに神経質にうるさく言うことがないのかもしれない。

ハン・ガンの『菜食主義者』を読んでいたら、ピビンパが出てきた。訳しているのは韓国人のきむ ふなさんなのだが、ビビンバではなくちゃんとピビンパと書いていた。なんだかちょっと安心した。

ピビンパは混ぜご飯ということだから、混ぜて食べる。肉や野菜などとご飯をかき混ぜてから食べるわけだ。これはこれで美味しいのだが、わたしはこれをピビンしないで食べたい。肉は肉、野菜は野菜、ご飯はご飯と別々に食べたいのだ。混ぜてしまうと、味が均一になってしまい、最初の一口から最後の一口まで同じ味になってしまうからだ。飽きる。

カレー。インドではカレーを食べるときは、ご飯とカレーをピビンする。全部混ぜてしまう。これも味が均一になってしまいつまらない。見た目もよくない。ルーはルー、ご飯はご飯で食べたい。その点、スープカレーはいいね。スープ、ご飯、スープ、ご飯と交互に食べられる。ときどきスプーンに載せたご飯をスープに浸して食べる。

とにかく混ぜるのは嫌いだ。

納豆に玉子を混ぜ入れるのも勘弁してほしい。

そもそも何にでも玉子を載せると美味しいと勘違いしている人が多いのではないか。ハンバーグに目玉焼き、焼きそばにまで目玉焼きを載せたりする。やめてほしい。

でもインスタントラーメンを食べるときは、わたしは生玉子を落とす。これは例外…

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2025年1月29日 (水)

On the Steps 2025

今日からOn the Steps 展。

若い作家ばかりである。作家本人が居なくても作品を見ただけで若いということがわかるのは不思議である。

若い作家の特徴は、写真や映像の影響をかなり受けているということかな。イメージで攻めてくるのである。安藤菫はイメージというよりもモノ、物質にこだわっているが、他の4人は図像を重視している。

若い作家のフレッシュさを見に来てください。

コロナ以降、ギャラリーのお客さんは激減したのだが、最近はまた大勢の方が来てくれるようになった。

普通は、一回の個展で、少ない人で100人、多い人で200人を超えるくらいの来場者があるのだが、先週の一色映理子展には300人の来場者があった。

月曜日はマッサージに行ったあと、家に帰って昼寝をした。疲れがとれないのである。

昨日は女子医大の糖尿病の診察。いつもは時間がかかってかなり待たされるのだが、不思議と空いていて、待ち時間がなかった。早く終わったので、家に帰って昼寝をした。

疲れが取れないような年齢になってきたのかもしれない。

ジョン・バージャーの『画家たちの「肖像」』を持って行ったのだが、眼が開かなくてあまり読めなかったが、モネとゴッホを読んだ。彼の批評は意表を突いていて夢中になってしまう。

詳細は省くが、印象派の作品に共通しているのは「悲しさ」であるという、驚くべき結論に達するのだ。印象派の絵のモチーフは、光あふれる平和な光景ばかりである。悲惨な状況や戦争を描くことはない。なぜか、というところから切り込んでいく。

ゴッホが人気があるのはなぜか、それはゴッホがこの世界を愛しているからだ、という単純明快な答えを導き出す手腕には恐れ入るばかりだ。

曽根原正好さんが、『画家たちの「肖像」』の書評が出てるよ、と新聞の記事を送ってくれた。評者は金沢百枝さん。多摩美の教授である。ステップスにも来たことがある方だ。

 

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2025年1月24日 (金)

低血糖の夜

一色映理子展は今年1本目の展示だが、わたしは何かじわーっと疲れが出てきた。弱っているのである。

次回の展覧会は「On the Steps 2025」だが、初日は29日水曜日になります。最終日は2月11日火曜日。いつもは土曜日が最終日なのだが、2月7日(金)ー9日(日)まで浜田浄展のオープニングに出るために高知まで行っているからだ。

0n the Steps は新埜康平君が34歳で一番年上。他の4人、安藤菫、泰地朋香、たてやまともか、當間里実は20代。新世代なのである。

たてやまともかは2月にグループ展がある。東北芸術工科大学卒業生支援プログラムの展覧会。

「ティーユーディーアートリンクス 2025」(4人展)

2月12日(水)ー 24日(月) 10:30-19:30

新宿高島屋10階美術画廊

トークイベント

2月22日(土) 13:00~

出品作家×深井聡一郎(芸術工科大学)・三瀬夏之助(芸術工科大学)・石川卓磨(美術批評家)

1月22日(水)

新宿の眼科で瞼を診てもらう。ひりひり痛いのだ。ちょっと傷があるらしいので、軟膏を処方してもらう。新宿を後にして横浜に向かうが、疲れが酷くて目が明かない。電車の中で立っているのもつらい。しかし電車に乗ってしまったので行くしかないのである。石川町に着いて、ポティエでコーヒーとソフトクリーム。ソフトクリームはもう一つ食べられる勢いだったがやめておく。

アトリエ・Kの勝又豊子展。面白い立体を床に広げている。

しばらく話をしてからギャラリーを出る。

帰りの総武線のグリーン車では、ずっと目をつぶっていた。疲れが酷くなる。

1月23日(木)

銀座画廊会議の新年会。イタリアンのラ・ベットラ落合で。

ギャラリーQ、ギャラリィ・K、藍画廊、ギャラリー椿、ギャラリィ・ユマニテ、ギャラリー58、コバヤシ画廊、ステップス。

コバヤシさんが仕切って、メニューを決める。ラ・ベットラはコース料理しかないのだが、料理の内容は選べるので、3人一組になって、ちがう皿を頼んでシェアする。前菜からメインまで非常に美味しいのだが、わたしは味があまりわからなかった。なぜかというと疲れと低血糖でふらふらだったのである。ビールとワインを飲んだのもいけなかったかもしれない。途中で血糖値を測ったら完全に低血糖だった。インスリンを打ち過ぎたのかもしれない。急いで料理を口に運ぶ。お腹がいっぱいになってしまうからパンは食べない方がいいよ、という小林さんのアドバイスを無視して、ウニのスパゲティのソースをパンにつけた。ふらふらする。背中も痛い。つらい。お腹いっぱいに食べて、もうこれ以上入らないくらいなのに、血糖値は低いままだった。変だ。

お開きになってみんなで店を出たが、わたしは歩けないくらいだったので、皆さんには先に行ってもらい、近くの公園で休む。しかし、ベンチにたどり着く前にしゃがみこんでしまう。通りかかった男の人が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる。「ちょっと酔っただけなので大丈夫です」と答えるが、その人は水を買ってきてくれて「飲んでください」と渡してくれる。親切な人だ。

持っていたパンを少し食べて血糖値を上げて歩き出す。途中でローソンを見つけて、紅茶とチョコレートを買って食べる。血糖値を測ったが、低いままだった。なんとか京橋駅にたどり着いて電車に乗る。紅茶が効いてきたのか少し楽になる。

ほうほうの体で家にたどり着く。

いやあ、やばかったなあ。

1月24日(金)

なんとかギャラリーに着いたが、まだ疲れたままである…

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2025年1月21日 (火)

知らなかった画家

稲毛のくまざわ書店にジョン・バージャーの『画家たちの「肖像」』があった。あれ?このあいだ買ったよね。でも表紙がフリーダ・カーロで、なんかちがう。よく見ると、続編だった。このあいだ買ったのは「古代-近代」なのだが、これは「近代ー現代」なのだ。このあいだは1000円のサービス券があったからよかったが、今はない。JREカードのポイントもハン・ガンで使ってしまったし。でもくまざわ書店の新刊の棚に一冊だけ立てかけてあって、わたしに語りかけてくるのだ。「吉岡さんのためにこの本を用意しておきました」と。こんなふうに言われて買わないわけにはいかない。3700円で購入。

近代から現代だから、ピカソとか知っている作家が多いんだろうなと思って目次を開いてびっくり。知らない作家の名前がずらっと並んでいる。

数えてみたら、取り上げられている画家49人のうち知っているのは18人だけだった。せっかくだから、知っている作家と知らない作家の名前を列挙してみる。

〈知っている名前の作家〉

エドガー・ドガ

ポール・セザンヌ

クロード・モネ

フィンセント・ファン・ゴッホ

ケーテ・コルヴィッツ

アンリ・マティス

パブロ・ピカソ

フェルナン・レジェ

オシップ・ザッキン

ヘンリー・ムーア

アルベルト・ジャコメッティ

マーク・ロスコ

フリーダ・カーロ

フランシス・ベーコン

ジャクソン・ポロック

リー・クラズナー

サイ・トゥオンブリー

ジャン=ミシェル・バスキア

知らない作家の名前も書いていくけど、知ってる人を見つけたらご一報ください。

〈知らない名前の作家〉

フェルディナン・シュヴァル

ピーター・ラースロー・ペリ

ロバート・メドレー

レナート・グットゥーゾ

アビディン・ディーノ

二コラ・ド・スタール

プルネラ・クラフ

スヴェン・ブロンバーグ

フリソ・テン・ホルト

ピーター・デ・フランシア

フランシス・ニュートン・ソウザ

イヴォンヌ・バーロウ

エルンスト・ネイズヴェスヌイ

レオン・コゾフ

アンソニー・フライ

フランク・アウアーバッハ

ヴィヤ・セルミンス

マイケル・クワン

マギ・ハンブリング

リアーネ・ビルンベルク

ピーター・ケナード

アンドレス・セラーノ

ファン・ムニョス

ロスティア・クノフスキー

ジャウメ・プレンサ

クリスティーナ・イグレシアス

マルティン・ノエル

マリサ・カミーノ

クリストフ・ヘンスリ

マイケル・ブロートン

ランダ・ムダ―

以上

何も知らないことを知った、などとソクラテスの口真似をしている場合ではない。

最後のランダ・ムダ―は1982年生まれである。バージャーの守備範囲の広さには驚かされる。

とりあえず読んでみよう。

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2025年1月17日 (金)

『菜食主義者』

最初の一行を読んで、これって「やばい」小説じゃないの?と思ってしまった。

「妻がベジタリアンになるまで、私は彼女が変わった女だと思ったことはなかった。」

なんか怖い書き出しなのである。読み進んでいくと、予想以上の「やばい」感じが濃くなっていく。

ハン・ガンの『回復する人間』を読み終えて、かなり凝った内容だとは感じたが、透き通った文章が心地よかった。、二冊目に手に取った『菜食主義者』で印象ががらりと変わってしまった。

三部構成である。最初が『菜食主義者』。

ある日、明け方の4時ごろ目を覚ました夫は冷蔵庫に向かって黙って立っていた妻ヨンへを見つける。次の日もやはりヨンへは黙って、冷蔵庫の中の「肉」をゴミ袋に捨てていた。「何をしてるんだ?」と言うと、ヨンへは「夢を見たの」というだけだった。

夢のせいで、寝ることができなくなる。寝ると夢を見てしまうからだ。肉を食べなければ夢を見なくなるんじゃないかと思い込み、ヨンへは肉を食べなくなる。ご飯とキムチとサラダだけの食事のせいだけではなく、ほとんど寝ないので、やつれてしまう。

夫婦の生活は破綻していく。どうにもならなくなった夫は、ヨンへのお姉さんに窮状を訴える。

姉夫婦が新居に引っ越したので、そのお祝いの食事会に行くことになる。厳格な父親も同席する。

父親は無理やり肉を娘の口に入れようとするが、ヨンへは拒否する。父親は娘を殴る。うめき声をあげながら肉を吐き出したヨンへは、果物ナイフで自分の腕を切る。

血を流しているヨンへを抱えて、姉の夫が車で病院に向かう。

入院してなんとか回復するのだが、結局離婚することになる。

ここで話は終わるのかなと思ったら次の「蒙古斑」はなんとその続きだった。

姉の夫はアーティストであるが、彼の話に移っていく。ハン・ガンの小説には絵描きがよく登場する。この夫も美術大学を卒業してから、ビデオアーティストとして活動していて、ときどき個展を開いたりしている。

夫は義理の妹に蒙古斑があるということを聞いて、興味を覚える。ヨンへのお尻を見てみたい…

映像作家である夫は、ヨンへをモデルにした作品を妄想する。ヨンへの身体に花の絵を描き、それをビデオに録る。できることなら男と絡ませたい。彼はさっそく実行に移す。夫はアトリエの同僚である若い男にモデルになってくれと頼む。彼の身体にも花の絵を描き撮影する。しかし、同僚の男は途中でびびってしまい「最後」までいくことはできなかった。

「おれの身体に花の絵を描いたら、おれとできるか?」

と訊くと、ヨンへは否定しない。

夫は、ヨンへの部屋で、「撮影」をして成功する。

夫は疲れて寝入ってしまう。朝になってカメラをチェックしに行くが、カメラがない。隣の部屋に行ってみると、そこには彼の妻がいた。

さらに話は三作目の「木の花火」に入る。

ヨンへの姉は精神病院に向かっている。ヨンへは精神病院に入っているのだ。

まだ続きは読んでいないが、この先どういうふうに話が進んでいくのか、どきどきしている。

なんか調子に乗って書いてしまったけど、やっぱりハン・ガンはすごいワ。

 

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2025年1月13日 (月)

YES TO LIFE

2025年最初の展覧会がスタート。

晴れてよかった。

今日は祝日なので、一色の知り合いが連続で訪れている。

前回わたしのテキストを紹介したので、今日は一色のコメントを載せる。

 

YES TO LIFE それでも人生にイエスと言う」

私の最初の記憶は(10歳まで住んでいた神戸の家の)リビングのカーテンの側に座り、柔らかな光に包まれている記憶です。何歳頃なのかは不明です。(出品作品「First Memory」)

その光の世界では全てが完結し完璧で、すべてが満たされていました。

私は塵が空中を舞い浮遊していくのをじっと目で追っていました。

ただし、この家での家庭生活は異様で、絶対に他言してはいけない事ばかりでした。

この家で感じる美しい自然現象とは対照的な家庭生活があったことで、私は自然現象をより美しいと感じ、この世の不思議なエネルギーを感じ取り、光のエネルギーが私の居場所になったのかもしれません。

私(魂)はエネルギーの一部だと。

センス・オブ・ワンダーは私をこの世界にふれるきっかけをくれました。

DM掲載作品「あなたの気持ちを叶えて」は、幼少期の私がサンタクロースにお祈りしていたシャンデリアと色々な記憶がある玄関の扉です。

この玄関は吹き抜けで日中は教会のような空間でしたが、夜は恐怖の場所でした。

そこに扉がある。この扉を開ける幸せがあれば、この扉を閉めておく幸せもある。

鑑賞者の皆様にはこの玄関のドアの前に立ち、会いたい誰かを待つ、会いに行く、新しい場所へ飛び出す等々、希望ある未来をご想像して頂けると幸いです。

私はこの扉の前に立ち、YESと呟き、やっと未来へ飛び出す準備ができたのかもしれません。

夫と娘、周りの方々に感謝しています。

2025.1.4 一色映理子

 

*展覧会名「YES TO LIFE」はヴィクトール・フランクル(オーストリアの精神科医、心理学者、ホロコースト生還者、ロゴセラピー提唱者、代表作「夜と霧」)の著書のタイトルから引用。

◆ハン・ガン

ハン・ガンの文庫がまだ出ないようなので、もう単行本を買うしかないと思って、4冊買った。JRE POINT というカードがあり、ポイントがかなりたまったようなので、このポイントを全部使って、思い切って買うことにした。

『回復する人間』(白水社 斎藤真理子訳)

『ギリシャ語の時間』(晶文社 斎藤真理子訳)

『菜食主義者』(クオン  きむ ふな訳)

『少年が来る』(クオン 井手俊作訳)

全部で9000円くらいだったが、ポイントのほかに1000円を現金で払った。

実は、ディケンズの『デイヴィッド・コパーフィールド』は断念した。内容は面白いし、文章も上手なのだが、なんかペースが合わないのである。話の展開がのろのろ過ぎるし、細部を書きすぎるきらいがある。

ハン・ガンはペースがぴったり合う!読みやすいし、文体が美しい。斎藤真理子さんの訳が上手っていうのもあるけど、やはり原文がいいのだろう。読後感が小説を読んだ後のようではなく、詩を読んだような後味なのである。内容についてはまたそのうち感想を書きたい。

もう一冊買っておく。

矢代幸雄 『太陽を慕ふ者』(中公文庫)

矢代さんは明治23年生まれの美術史家。

◆小柳津さんの記事

以前、山形の本屋さん「八文字屋」の冊子に、小柳津さんがセルビアの本屋さんを紹介していることをお伝えしたが、ネットで見られるようなのでごらんください。

 

 

 

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2025年1月11日 (土)

一色映理子展

今日はこれから一色映理子の搬入。大作4点と小品8点を展示する。他に、昨年末の「素描」展に出品したドローイングも並べる予定。DMにも載せた大作の1点「あなたの気持ちを叶えて」について紹介文を書いたので読んでください。会場でもプリントしたものを配ります。

「あなたの気持ちを叶えて」について

吉岡まさみ

 

 一色映理子の新作絵画である。玄関を描いている。なんでもない普通の日本家屋の玄関であるが、平均的な住宅の玄関に比べると立派な造りと広さである。こんなふうに玄関を内側から描いた絵は今まで見たことがないような気がする。高い天井付近にはシャンデリアが下がっていて洋風であるのだが、上がり框があり、家の中に入る際は靴を脱ぐようになっているところは和風である。ただの玄関をこんなふうに丹念に描く理由はどこにあるのだろうとじっと見ていると、この情景の中に、奇妙な点が見つかる。シャーロック・ホームズなら、この玄関を見て、不穏な空気と事件の臭いを嗅ぎ出すかもしれない。

 最初に目につくのは(目につかないのは)靴が描かれてないという点。玄関なのに靴が一足もない。綺麗に片付いている。この家には誰も住んでいないのだろうか。誰も住んでいない家だとしたら、鉢植えの棕櫚の葉が、きれいな緑色をしていて小さな湖のように見える玄関マットに葉を差しかけているのは不自然である。そして、画家である一色は玄関から上がって正面の玄関マットの後ろに立っていることになるわけだが、画家本人の靴も見当たらない。靴があると不都合なことがあるのだろうか。

 画家は、この玄関をモチーフにして一枚の絵画を作ろうとしているわけなのだが、やはり気になる点が出てくる。その構図である。「絵画にする」には、こんなふうに玄関のドアを真正面から描くであろうか。わたしなら正面を避けて少し斜めからのアングルを採用するだろう。全体の遠近法にも変化がついて絵画らしくなる。玄関のドアが閉まっているが、やはり絵描きなら板チョコレートを思わせる重たそうなドアを少し開けておくだろう。ドアの隙間からは、道路を通る車や遊ぶ子供の後姿やその声が聞こえてくるかもしれない。外の空間と時間を取り入れることで、絵画としての空間に奥行きを持たせることに成功するだろう。しかし、一色はこのドアをガシャンと閉じてしまい、外気を遮断する。ドアの両脇の曇りガラスからは外の様子を伺うことができず。ほのかな光だけが差し込んで玄関全体を照らし出している。右端には二階に上がる階段と手すりが描かれていて、ここから外に出る手がかりをつかめるかも知れないという微かな希望が見え隠れしているだけだ。

 

 今回の個展(2025113日(月)- 25日(土)Steps Gallery/東京)のタイトルを、一色は「YES TO LIFE」とした。「NO」ではなく「YES」である。この場合の「YES」は「受容する」ということであり、「希望をもつ」ということなのだろうか。

 

 この絵の家は、一色が生まれ育った神戸の実家である。懐かしいはずの家だが、郷愁を描いているわけではない。幼少期の彼女は、この家にいい思い出が少ないという。子供ながらにつらい日々を過ごした。一色は何度もこの家を描こうとして描けなかった時期もあったようなのだが、今はこの家と向かい合っている。

 

 靴を描かないことは、ただ単に余計な想像をさせないためなのかもしれないが、結果として現在という時間を消し去る効果がある。ドアを閉め切ってしまうことで、外の空気を遮断する。そうすることで一色は彼女の過去と向き合う。玄関は正面から描く。描かれた扉は、閉めたままで安心のようなものを確保してくれるのだが、同時に大きく開けて外に飛び出していくことも出来るはずである。過去に向き合うために描いたドアは現在を通過しながら、未来につながる入口になるだろう。一色が自分のために描いた絵は、われわれにも希望というものを指し示しているはずだ。

 一色はこの絵画を描き終えたら、玄関の扉をそっと開けるのだろう。

 

「人は希望とともに生きるか絶望とともに生きるかのどちらかだ。中間はない。」

(ジョン・バージャー『画家たちの「肖像」』)

 

 

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