2018年5月21日 (月)

倉重トーク

5月21日(月)

予想通りなのである。直前に申込みがあり、突然やってくる人ありで、定員20名のはずが、30名になってしまい、わたしはギャラリー58に椅子を借りに階段を降りる。

小学生のころの話から始まって、やはり面白エピソードが語られる。

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大学生のころに友人たちと作った、APPLE in Spaceというグループを作って活動していた話が面白かったなあ。

今回のこの企画では、作品の話はしないということに決めていたのだが、この決まりはとてもよい効果を発揮していた。

この調子で、金曜日の中村ミナトの回も突き進もう。

もちろんパーティーはまだ続いている。

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展覧会

「よこすか よう子 展」

6月11日(月)-17日(日)

月光荘(銀座8-7-2永寿ビルB1F)

Dm

吉岡はかなり身体にキテいるが、なんとか乗り切るぞ!




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2018年5月19日 (土)

十河雅典トーク

5月19日(土)

トーク4日目。十河さん。

体調悪いと聞いていたので、大丈夫ですか十河さん?と言うと

「大丈夫じゃない」

と答える。

しかし、トークにはやはり熱が入り、子供のころから、大学に入るまで、藝大、電通に勤めて、茨城大学の教授になるまで詳しく話をしてくれた。特に十河さんのお父さんとお母さんの話はとても貴重な話を伺ったという気がする。

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ステップスで個展をやるようになった経緯についても、今度ベーチェット病の人がギャラリーを始めると聞いて(藤本均定成さんからだね)やってみようという気になったらしいという話をしてくれた。初めて聞く話である。

トークのあとの懇親会も終わり、今度は同窓会の準備である。山形東高の同窓会を毎年ステップスでやるようになってから、もう7回目である。あっという間だね。

ダブルヘッダー…

せっかくだから、今回の「なぜ美術を選んだのか」の作家を説明した。自分の個展の宣伝もした。

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作品見せてよ、と、東大教授が言うので作品を見せたら、初日に買いに来ると言ってくれた。鹿島建設の部長だった奴も、見せてよと言うので、まだ完成していない作品を見せたら、一つ選んで、これ予約と言って買ってくれた。ありがたいものである。

それにしても超ハードスケジュールである。

明日はマッサージに行って、久しぶりでゆっくりしようっと。

月曜日は倉重光則のトーク。飲み会は遅くまで続くと思われる。

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2018年5月18日 (金)

トークショー②と③

5月17日(木)

日影眩トークショー。月曜に続いて2回目。

わたしの本音は、え?まだ2回目か、きついね、というところだな。なんとか乗り切っていかなくては。

今年82歳になる日影さんの話は、戦前からのスタートなので、非常に興味深かった。

小学生のころは、学校で絵を描いていたら級友たちが取り囲んで見て、凄いと驚いていたとのこと。それが評判になって、天才と言われたそうである。

中学生のころは紙芝居を描けと言われて描いて、それでずいぶん稼いだそうである。

エロ雑誌にイラストを描いていたら谷岡ヤスジがとても気に入ってくれて、谷岡邸に招待されたことなど、エピソードが尽きないのであった。

なにかつらいことや、落ち込むようなことがあったら、小学生のときに天才と言われたことを思い出すと、元気づけられるという話が印象深かった。

トークのあとは、いつものようにバルコニーでワインを飲む。

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5月18日(金)

トーク3つ目。木嶋正吾の回。

最初は参加者が少なくてあせっていた木嶋さんだったが、結局、定員を超えてのトーク、スタート。

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わたしは司会で、なんか大変だなあと思っていたのだが、じつはみなさん、放っておいてもどんどん喋ってくれるので、案外楽なのであった。

木嶋さんも小学生のころから現在まで、面白エピソードに溢れた話で盛り上がった。今日は多摩美の学生さんも参加してくれた。

バルコニーでのパーティーも遅くまで続いた。いや、現在まだ続いているのだが。

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明日は、十河さん。明日も晴れるといいなあ。




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2018年5月16日 (水)

菅沼緑トークショー

5月14日(月)

緑さんは、午前中に花巻を発って新幹線に乗り、銀座にやって来た。夜にはまた新幹線で岩手まで帰るのである。トークのためにだけ出てきてもらったことになる。なんか申し訳ない。

参加者が少なくて困っていたのだが、当日申込みがけっこう入って、結局10数人まで増えた。

よかった。

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ろくさんは、東京生まれだが、いろんな地方に移り住んできた。いずれ東京に戻るという気持ちはあるんですか?という問いには即座に

「ない」

と答えた。

参加者からの質問もあり、なごやかにトークは進んでいったのだった。

トークのあとは、バルコニーで歓談。

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明日は日影眩のトークである。当日受付もしますので、みなさん是非聞きにきてください。

☆展覧会

倉重・勝又のお二人はそれぞれ仙台で個展が控えている。

「勝又豊子 展」

5月29日(火)-6月7日(木) 月曜休廊

TURNAROUND ギャラリー ターンアラウンド(仙台市青葉区大手町6-22 久光ビル1F)

「倉重光則 展」

6月10日(日)-17日(日) 会期中無休

同上

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このちらしは、両方ともStepsでの個展のときのものですな。

『魔の山』を読み始めたが、話の中にどっぷり浸かってしまうような気持ちになり、読むのが楽しい。楽しいというかなんというか、日常でいろんなことに気を使って疲れていても、『魔の山』を読むと、読んでいる間はすべてを忘れることが出来る。マンは、やはり今の年齢だからおもしろいのではないかと思う。

ふしぎな世界に入っていける。

ドストエフスキーを思わせるところがある。エミール・ゾラのしつこい描写に似ているところもあり、これも楽しい。小川洋子の一種不思議な空間に居るのと同じ雰囲気も味わえる。太宰治のようなところもあったりして、料理でいうと隠し味がたくさん入っていて複雑なのだが、美味しくてやめられないのだった。

また帰りの電車で読むのが楽しみである。


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2018年5月13日 (日)

「なぜ美術を選んだのか」

5月13日(日)

今日は「なぜ美術を選んだのか」の展示作業を14:00から行なう。と言っても、作家6人のうち4人の分はわたしが昨日やってしまったので、今日は中村ミナトと倉重光則が、自分の作品を直接設置するのである。倉重はなんと30分で終わってしまったので、ビールを飲み始める。わたしも飲みながらキャプション作りをする。先週、長谷見先生から、カンボジアの椰子酒を貰ったので、これも味見をする。とても美味しい。椰子酒だから椰子の実から、つまりココナツから作る酒なのだろうか。『やし酒飲み』っていうだれかの小説あったよね?

ミナトさんもわりと早く作業終了。お手伝いの青年にライティングもやってもらう。

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かなりレベルの高い展覧会だと思う。明日からは、トークもあるので、わたしは細かく展示の様子やトークの様子をお伝えする余裕はなくなると思うので、今日ざっと作品の紹介をする。

個々の作品の解説も書かないことにする。たぶん、説明しなくても充分にその意図するところとメッセージは伝わるのである。良い作品というのはそういうものである。

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倉重光則 「精神」 鉄・LEDライト・紙 80×42cm 2018 ¥200,000

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ライトは一つ。眩しい。ライトの下に鉄板があり紙片が貼ってある。詩のような文が書いてある。「眩しくて読めないと思うんだけど、わざと見えないようにする」と言っていたが、近づくと簡単に読めた。

木嶋正吾 「零形」の連作4点 ミクストメディア 51.5×36.0cm×4 2017・2018 各¥400,000

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金属を貼る手法を復活させている最近の作品は力強い。

木嶋正吾 「零形 18 D-2」 ミクストメディア 12.5×5.5cm 2018 ¥30,000

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日影眩 「ユリカモメ」(左) キャンバスに油彩 80.3×60.6cm 2018 ¥300,000  「宵の月」(右) キャンバスに油彩 45.5×33.3cm 2018 ¥100,000

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日影も昔の、フロッグズアイと呼ばれる下から見上げる視点と、イラスト風の平板な画面を復活させている。

菅沼緑 「16-6B」(右) 木にウレタンラッカー 42×32×8cm 2016 ¥70,000

中村ミナト 「EDGE EFFECT」(左) アルミニウム 90×90×92cm 2018 ¥1,200,000

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緑さんんは、作品を1点だけ送ってきた。え?これ1点だけ?と思ったが、壁にかけてみると、1点で充分であることがわかる。

ミナトさんは、この展示に合わせてこの新作彫刻を作ってきた。

中村ミナト 「MEDOHATATANAI  A」 紙にミクストメディア 29×20cm 2018 ¥35,000

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みんな勝手にやっているようだが、本当はかなり考えて作品を持ってきているのだ。こういう作家ばかりだとギャラリーは楽である。

十河雅典 「プライベイト ポスター」 キャンバスにアクリル 72.8×309cm 1980 ¥1,000,000

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制作年に注目してほしい。1980年である。今から38年前の作品である。この作品は、1980年の第3回NACC展でグランプリを獲ったものである。

おそらく十河さんは、今回の「なぜ美術を選んだのか」というテーマに合わせてこの作品を出してきたのだろう。

みなさん、自分の作品の前で何を語るのか、わたしはどきどきしている。

聞き手として、質問を用意しなければならないのだが、実は何もまだ考えていない。成り行きまかせでいこうと思う。前もって考えすぎると、自然な話ができなくなるような気がするのだ。

明日は、菅沼緑さんのトーク。花巻から新幹線でやってくる。

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2018年5月10日 (木)

魔の山

『なぜアーティストは貧乏なのか』という本があって、その中に、これから美術は、科学の方向に向うか、エンターテインメントの方向に向うかどちらかであるという予言が述べられていて、面白く読んだ。今手元にないので、作者はわからない。たしかオランダの人だった。翻訳は栃木県立美術館の山本和弘さんだった。

『ホーキング宇宙を語る』を読んで、なるほど、科学はもうほとんど美術(芸術)だなあと思い知らされる箇所がたくさんあった。

美術は哲学である、と思っていたのだが、どちらかというと科学に近いようである。

科学が芸術に近いのではなく、美術が科学に追いつけずに追いかけているのである。哲学も同様で、ホーキングは、哲学は科学のスピードに追いつけなくなっていると言う。哲学や芸術の命題はいまや科学が解こうとしているのだ。

「哲学者は探求範囲を大幅に縮小し、今世紀のもっとも有名な哲学者であるヴィトゲンシュタインが、「哲学に残された唯一の任務は言語の分析である」と言うほどになった。」

科学は「何であるか」を説明することに専心していたが、今では哲学者が問題にしていた「なぜ」に科学者が取り組んでいるのである。科学は哲学や宗教の分野に辿り着こうとしているのである。同時に科学は芸術や美術をも取り込んでしまうのかもしれない。

数学者は、数学は芸術だというが、科学者も科学は芸術だと言いそうである。

この本は数式をいっさい使わずに、一般の人にわかりやすく宇宙のことを説明したものだが、わたしのぼんくら頭では、それでもついていけなかった。でも、イメージとして、なんとなく量子力学とかブラックホールとか、次元とか特異点とかが頭に入ってきたような気がする。

「われわれは過去を憶えているのに、なぜ未来を思い出せないのだろうか?」

これはT.S.エリオットの詩の一行ではない。ホーキングの、虚時間についての説明で言われた純粋な物理学の言葉なのである。

これって芸術でしょ?

また、エントロピーは時間とともにつねに増大することに関しては

「物事はつねに悪い方に向う!」

と表現するのである。

芸術はかなわないかもしれないね。

さて、次に読む本は

トーマス・マン 『魔の山』 上・下(新潮文庫)

である。

大学生のころ、ある友人が、『魔の山』はいいから読みなよとしきりに勧めてくれたのだが、わたしはスルーして読まなかった。『ヴェニスに死す』とか『トニオ・クレーゲル』とか比較的短い作品も読まなかった。マンて、なんか近づき難かったのだ。最近本屋さんで『魔の山』をぱらぱらとめくっていたら、そろそろこれを読むときだな、と思ったのだった。なにが「そろそろ」なのかわからないが、なんだか今なら読めると感じたのだった。上は700ページで下が800ページの分厚い本をいきなり読むのである。気合がいる。気合がいるので、この本の写真もこんなふうに撮ってみた。

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地下鉄銀座駅の入り口である。なんかよくない?

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2018年5月 7日 (月)

うのぜみ2018スタート

うのぜみ展はいつもは、嵯峨美術大学の卒業生から選抜して作家を選んでいるのだが、今回は、選ばれた二人はどちらも学生である。

洪 亜沙さんは嵯峨美術大学の大学院1年生。山之内 葵さんは多摩美術大学の大学院2年生。

二人は絵画、版画専攻なのだが、出品作はどちたも立体中心である。

洪さんの作品

「アンバー叙事詩の世界」というタイトルで、全体で一つの作品である。

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部分

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山之内さんの作品

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「Small works(Mattress 2)」 紙にレーザープリント・スタイロフォーム 25×16×10cm 2017 ¥4,000

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これは宇野さんの作品

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「Landscape of vestiges s-2」 和紙にシンナープリント、アクリル、コラージュ他 18×26cm 2018 ¥25,000

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事務所はこんなふうである。

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さて、ゴールデンウィークが終わった。連休後の挨拶としては「楽しかった?」が本当なのだろうが、なぜか「お疲れさま」と言ってしまうね。

わたしは自分にお疲れさまと言いたい。

田山花袋の『田舎教師』を読み終わり、今は『ホーキング宇宙を語る』を読んでいるところである。

『田舎教師』は実在の青年の日記をもとに書かれたものなのだが、その中に忘れられない一言がある。

「運命をうけ入れる者を勇者という」

というのがそれだが、感慨深いことばである。

これから次回送付するギャラリーからの案内状の封入をするところであるのだが、わたしの文章「ミリツァの家」というのを同封する予定である。エッセイとも小説ともつかないもので、ごくごく短いものなのだが、これを書くのに1年かかってしまった。これでしばらく文章は書かないかなあと思っていたが、このあいだテレビを見ていて、「コンセプト」ということばが使われていて、それが間違って使われている(ほとんどの人が間違って使っている)ので、義憤に駆られたわたしは、コンセプト論も書き始めたところである。

今読んでいる『ホーキング宇宙を語る』を使って論を進めていくつもりである。

これは秋には書き終わりたい。

さらに「山形の雪」というこれも小説風のエッセイも書くつもりである。これは来年かな。

さっき写真の州崎君が来たので、来週からの「なぜ美術を選んだのか」のトークショーの撮影を頼んだところである。映像で残すつもりである。

ところが、まだトークショーの申込みがとても少ないので、ちょっと焦っているところである。

これからでも大丈夫なので、みなさん、どんどん申し込んでください。

作家たちはみんなのんびりしていて「3人くらい居ればいいんじゃないの?」とか言う人ばかりなので、まあ、気が楽といえば気が楽なんだけどね。





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2018年5月 3日 (木)

あんぴん

今朝は遅く起きて、稲毛駅ビルで買い物をしてから電車に乗る。

昼ごはんとして、京樽のお寿司を奮発。おやつとして、神戸屋キッチンのパン「レーズンの恵み」。飲み物として横浜ロイヤルパークホテル・アールグレイティーの紙パック。気合を入れるためのグレープフルーツ一個。

連休中は、ずっとギャラリーで作品の制作なのである。

連休なのに、一人で作品制作ってどうなの?と思うかも知れないが、じつは、わたしはこういうのが好きなのである。

昔は、一人で黙々と制作するなんて、なんだか職人さんみたいで、そんな生活は退屈でいやだなあと思っていたのだが、今は逆で、こういう生活が至福だ!というふうに感じるようになってきた。

ギャラリーを始めて解ったことがいろいろあるが、自分が実は人間嫌いなのであると自覚するようになったこともそのひとつである。ギャラリーは客商売なわけなのに、それは困ったものだと思うのだが、しょうがないのである。一人で居るのが楽しい。

これはアートカクテル展最終日の搬出後みんなで飲んでいるところ。

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作家はさ、こうやっていろんな話をして、がんばって作品を作っている人がたくさんいるんだって肌で感じることが必要だよね。

自分が今こうして毎日がんばって制作しているのに、こんなことを言うのは何なんだが、みんなよくもまあ、飽きずに作品をつくっているなあ…どこからそのエネルギーが出てくるのだろうと不思議になることがある。一人ひとり違うのだろうが、いったい何を目指して作品を作り、発表しているのだろう?

不思議である。

連休最初の日は、ギャラリーのかたづけと作品の梱包などで、丸一日を費やした。

アートカクテルは、来場者は昨年の2倍。でも作品の売り上げは昨年の3分の2だった。

やっぱり今は不況なのである。

連休2日めはブランカさんの写真をカットするのに、これも一日かかってしまった。

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どういうふうに展示するか考えながら作業をしたが、なかなかいいアイデアが出ない。

3日目、やっと自分の制作を始める。

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なかなかはかどらない。休憩ばかりしている。

バルコニーでお茶を飲んで煙草を吸う。ラジオは流しっぱなしである。

そういえば、もう5月だ。ということはですね、2011年の5月からここをオープンしたのだったから、なんと8年目に入ったわけである。

早いなあ。ギャラリーを続けていくのは本当にたいへんなことなのである。それに比べたら、作品を作るなんてちょろいことである。

とにかく仕事は体力も集中力も無いので、こま切れでいろんな雑用をしながらだらだらやっている。

ギャラリーからのDMの発送準備とか、預かっている作品の整理とか、あとはちょっと本を読んだり。

田山花袋の『田舎教師』が面白くって止まらない。夏目漱石の『坑夫』とか森鷗外の『青年』と肩を並べる作品だと思う。この本の初版には、口絵に岡田三郎助の油彩画が使われている。

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岡田三郎助の絵画ってあまり好きじゃないのだが、この絵はなんか面白い。

たぶん、この件を絵にしたのではないかと思われる。

「麦倉河岸には涼しそうな茶店があった。大きな栃の樹が陰をつくって、冷たそうな水にラムネがつけてあった。かれはラムネに梨を二個ほど手ずから皮をむいて食って、さて花茣蓙の敷いてある樹の陰の縁台を借りて仰向けに寝た。昨夜ほとんど眠られなかった疲労が出て頭脳(アタマ)がぐらぐらした。涼しい心地の好い風が川から来て、青い空が葉の間からチラチラ見える。それを見ながらかれはいつか寝入った。」

次にこんな描写もあって、わたしはオッ!と声を出してしまった。

「さびしい寺とは思えぬほどその一間は明るかった。茶請けは塩煎餅か法事で貰ったアンビ餅で、文壇のことやその頃の作者気質や雑誌記者の話などがいつもきまって出たが、…」

わたしがオッ!と言ったのは「アンビ餅」という言葉に目をみはったからである。

わたしが3・4歳のころだと思うのだが、米沢に住んでいて、「ばあちゃん」と一緒に住んでいて、ばあちゃんはわたしをどこにでも連れ歩いた。途中の雑貨やさんのようなところで、よく「あんぴん」を買ってくれた。あんぴんというのは、いわゆる大福のことで、米沢ではあんぴんと呼んでいた。東京などで売られているふっくらまん丸の形ではなく、平べったいのである。丸い形のハンバーグみたいな形である。わたしはあんぴんを買ってもらうのが楽しみだった。

あんぴんというのは米沢地方でしか使わない言葉で、山形市では聞いたことがなかった。

米沢でしか使われない言葉ってたくさんあるのである。

で、「アンビ餅」である。

これは「あんぴん」のことだ!とわたしはびっくりして嬉しかった。

『田舎教師』は埼玉県の話である。埼玉県の「アンビ餅」がどういう経緯で米沢まで伝えられて「あんぴん」になったのか、非常に興味深いことである。

このあいだ、やはり田山花袋の作品の中に長野地方で使われていた「歩ゆべ」が、山形では「あべ」に変化していることを発見したが、なんか言葉っておもしろいものである。

『田舎教師』の次は

ホーキング 『ホーキング、宇宙を語る』(ハヤカワノンフィクション文庫)を読む予定である。

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さて、制作に戻ろう。

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2018年4月26日 (木)

パインアメとベトナムの香り

花粉症のせいだけでもないのだろうが、喉がひりひりする。夜、寝る前に飴を一つ口に放り込んで布団に入る。飴がなくなるころに夢の世界に入っていく、なんて書くとかっこいいようだが、実際にはそんな都合よくはいかない。

飴が気になっている。お店に行くとキャンディーのコーナーにはものすごい数の種類の飴が並んでいる。わたしはこれを分類したい衝動に駆られる。

飴は土台になるのは砂糖というか、糖分なわけであるが、いわゆる砂糖がほとんどであると思うのだが、他には麦芽糖とか蜂蜜しか思いつかない。

砂糖にいろいろな味や香りをつけるわけである。これがすごくバラエティーに富んでいるのだ。わたしが好きな飴は、抹茶味とミルク味である。蜂蜜も好きである。海外に行くときにお土産に持っていくと喜ばれるのは抹茶である。

コーヒー、紅茶、ニッキ、薄荷、そしてフルーツである。フルーツはフルーツの数だけ味があるので種類は多い。わたしはパイナップルが好きなので、パインアメが好みである。

パインアメの製造元を知っていますか?

これがなんと「パイン株式会社」っていうの。面白すぎる。会社名がパインなのだから、パインアメだけで勝負している会社なのだろうか。もしわたしがこの会社の社員で、会社名を訊かれたときに「パイン株式会社です」と言ったらなんか楽しいだろうな。

似たような飴でオレンジアメというのがあるが、袋の裏を見ると、これにも「パイン株式会社」とあるのだ。パインだけじゃなかったんだ。

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パインアメは真ん中に穴が空いているドーナツ型をしている。缶詰めのパイナップルの、あの形である。凝っている。オレンジアメのほうはどんな形かなと開けてみると、これがまあ、パインと同じ形なのである。手抜きである。

このあいだ、霜田誠二がベトナムからステップスに直行して、不思議なお土産を持ってきてくれた。

果物を煮たり焼いたりして甘く味付けした、お菓子ともおつまみとも微妙に違う、漬物のような不思議な食べ物なのである。ただ甘いだけならいいのだが、強烈なスパイスが使ってあるので、蓋を開けただけで、すごいにおいが漂う。ちょっと食べてみたが、これは一口食べたらもういいかなと思うようなものである。ギャラリーに来たお客さんに、無理やり食べさせるのが楽しい。3種類ある。

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ラベルのベトナム語は読めないので、英語の部分だけ見てみると、一つは「Salted dracontomelum with ginger」とある。これってドラゴンフルーツのことかな。もう一つには「Sour and Sweet Stir-fried Star furuit」となっている。スターフルーツだね。で、3つめは「Wampee」。ワンピーってなんだろ。とにかく漢方みたいな薬くさいにおいと味が強烈なのである。

いろいろな人に勧めて食べさせてみた。反応はみんな一緒である。

「食べられる」

「不味くないじゃん」

「大丈夫」

というもの。

美味しいと言った人は西山真実さん。

「美味しい!なんか身体が熱くなってきて、元気になる」

「本当?じゃあ、持ってかえっていいよ」

「いや、それはいらない」

そうね、みんなでこうやって食べるから食べられる、そういう食べものだね。

興味のある方は、今度来たときに試食してみてください。

今週からゴールデンウィークである。ギャラリーはお休みです。

休廊 4月29日(日)-5月6日(日)

休み明けは「うのぜみ展」

うのぜみ2018

洪 亜沙

山之内 葵

宇野 和幸

5月7日(月)-12日(土)

初日 17:00~パーティー

作家がそろいますので、みなさんお出かけください。

さて、ブログも連休に入ろうかな。

しばらくお休みします。

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2018年4月23日 (月)

漢文難理解候

今週のアートカクテル展が終わったら、ようやくゴールデンウィークである。うれしい。ゴールデンウィークはギャラリーもお休みするのである。

連休明けは「うのぜみ」展であるが、その次の「なぜ美術を選んだのか」という展覧会を先に紹介させていただきたい。トークショーがあり、「要予約」であるからだ。

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6人の作家のグループ展なのであるが、各作家一回ずつトークショーを開催する。

トークショーのときだけ、その作家の作品を展示するの?と訊いてきた方もいたのだが、いえいえ、そうではありません。これは会期中は6人の作家の作品がずっと並んでいる普通のグループ展なのです。その中で一人1日だけ、トークショーをするというものなのです。だから、トークのない日は普通に展示をやっていますので、そのつもりでいらっしゃってください。

作家インタヴュー「なぜ美術を選んだのか」

5月14日(月)-26日(土)

12:00-19:00(土曜日は17:00)

トークのある日はトークが始まる時間に展示の観覧は終了です。

トーク日程

5月14日(月) 17:00-18:00 菅沼緑

5月17日(木) 17:00-18:00 日影眩

5月18日(金) 17:00-18:00 木嶋正吾

5月19日(土) 14:30-15:30 十河雅典

5月21日(月) 17:00-18:00 倉重光則

5月25日(金) 17:00-18:00 中村ミナト

各回¥1,000

要予約・定員20名様(定員になり次第締め切らせていただきます)

ちなみに現在はまだまだ余裕がありますので、ふるってご予約ください。

tel.03-6228-6195

e-mail  stepsyoshioka@nifty.com

倉重光則は、グループ展ではあるが、例の眩しいライトの作品を持ち込むのだという。

「グループ展てさ、個展とおんなじで、真剣勝負なのよ。だからおれ本気でいくから」

中村ミナトさんにこの事を伝えると

「迷惑な人ねえ」

とつぶやいていた。ミナトさんも大きな彫刻を持ち込む予定である。

なんだかすごい展覧会になりそうである。

トークであるが、まあ、30分くらいわたしがインタヴューして、あとの30分を質問タイムにしようかなと思っている。で、終わったら軽くワインを飲むのである。

予約お待ちしています。

☆展覧会

「相澤秀人 展」

5/9(水)-14(月)

10:00-18:00

ギャラリーNEW新九郎(小田原市中里208 ダイナシティウエスト4F)JR東海道本線鴨宮駅

中村真一郎 『頼山陽とその時代』にてこずっている。

難しいのである。なにが難しいのかというと、漢文である。山陽の文章は全部漢文で、同時代の友人とか学者とか文学者も全員漢文だし、引用が多くて、読み下し文もあるのだが、読むことはできても意味が全然解らないのである。

今、「下」にはいったところであるが、もう投げ出そうかなと考えているところである。

高校時代は数学と物理が苦手だったが、その次に出来なかったのが漢文だったことを思い出した。

漢文勘弁である。

でもようやく「下」まで来たから、「日本外史」のところは読まなくては、と決意したところである。

この本は、頼山陽についてのエッセイのようなものではなく、立派な研究論文である。中村真一郎のねちっこさが充分に発揮されているのだ。

中村の考え方で面白かったのは、人間というものを「可能性の束である」と規定しているところである。山陽は、学者になるという選択肢だけでなく、他にもなる可能性のあった職業とか仕事とかあったはずであるし、あったかもしれない可能性の束全体を人間であるとしたのである。

結局選ばなかった可能性というのは、意味がないのではなく、その人の一部であるという見方にわたしは救われる思いがするのである。

そう考えると、なんだって出来るじゃん、と楽天的になれるのではないだろうか。

本を3冊予備として買ってみた。

樋口一葉 『にごりえ・たけくらべ』(岩波文庫)

永井荷風 『つゆのあとさき』(岩波文庫)

田山花袋 『田舎教師』(岩波文庫)

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頼山陽のあとの樋口一葉はなぜかすらすら読める。


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