2017年6月26日 (月)

坂本美紗希の発色

いよいよ梅雨に入ってしまったが、今日はなんとか降らずに持ちそうである。よかった。雨がザーっと降ってしまうとお客さんが来なくなるので、心配なのである。雨が降るというのは、わたしのせいではないのではあるが、降ってしまって、お客さんが少ないと、作家に申し訳ない気持ちになってしまうのが、ギャラリーなのだった。

今週の坂本さんは、武蔵美の学生さん二人を伴って搬入をした。

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初個展ではあるが、搬入はてきぱきしてセンスよく展示をした。

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事務所の作品はわたしが飾りつけをした。

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岸田劉生の随筆からいくつか紹介する、と前に言ったので、坂本さんの作品とからめながらやろうかな。岸田劉生を引用しながら坂本作品を解説するということにしよう。

作品のサイズについて、劉生は、大きな作品は描かないほうがいいと言っている。

「ついでだからいうが今日の展覧会に行ってみると、画が皆大きすぎる。あんなでっかいものを何だって描くのだといいたくなる。美を本当に見ると、あんなまねは出来なくなるものだという結論だけを、ここに唯かきそえておこう。」

劉生によると、100cm四方の絵は大きいということになるらしい。

制作している人はよくわかると思うが、大きい絵を描くよりも小さい絵を描くほうが何倍も難しいのである。

坂本美紗希の作品は、今回は、20×20cmと15×15cm、それと10×10cm、合計50点である。小さい。小さいけど、作品としての強度はしっかりしていて、絵画としての深い空間もできている。初個展でこれくらい小さい作品をもってくるのは、じつは実力があるからだ。

「by your side 7」 20×20cm 2017 ¥30,000

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素材は、綿布、綿オーガンジー、綿糸、反応染料、顔料。筆描き染めと刺繍で作られている。テキスタイルというジャンルに入るといえるわけだが、そのへんはあまりこだわらなくていいのではないかと思う。これは絵画である。

飾っておきたくなる「可愛い」作品ではあるのだが、見る人を安心させる何かがあり、染料ならではの発色がそれにつけ加わって、程よいバランスを保っているのが魅力であろうと思う。

技法について、劉生は「技巧」はうまいほうが良いと言っている。

「よく技巧ばかりがうますぎるとか、あまりうま過ぎて面白味がないとかいって、技巧の上手という事を幾分いやしむ考えがある。」

しかし、劉生は、それはバランスの問題であると言い切っていて、とてもわかりやすい。

「だから技巧のうますぎるという画はつまり、技巧が見えすく画なのであって、内容がないか不足であるところから技巧だけが目に入るのである。」

ということである。内容と技術のバランスが取れていると、技術がどうのこうのという議論は起こらないのである。

坂本の作品は、とてもよくバランスが取れているので、見ていると心地よいのである。

「by your side 18」 15×15cm 2017 ¥20,000

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劉生の美術教育についての考え。

「現今、各国の美術学生の教育の仕方は凡て不可である。あの教室から、美術は断じて生れない。生れるものは、「習作」と称する醜怪なものである。」

劉生は共同アトリエはよくないという。みんなで描くのではなく、「一人」にならないとダメだという。

習作を描かないで「画」を描けという。要するに最初から本番なのである。

「何しろ、今日の教育では本当の画家を生むことは絶対に不可能だ。」

「by your side 36」 10×10cm 2017 ¥10,000 

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学校で美術教育が無理だとしたら、どこで教育をするのか。

それはギャラリーでしょ。ギャラリーで発表することが、一番の勉強なんだよね。

ブックカバーやアクセサリーの小物も販売しています。

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2017年6月22日 (木)

セルビアの夜

6月22日(木)

今日はギャラリーを閉めてから、パーティー。セルビアから山崎洋、佳代子夫妻が来ているので、歓迎会という名の飲み会。

「典子食堂」の典子さんにセルビア料理を作ってもらうことになっている。

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ステップスギャラリーは、知らないうちにセルビア関係の人が集まるようになってしまったなあ。このあいだ大使館の文化担当のイェレナさんが来て、ステップスギャラリーはセルビアの銀座領事館である、と宣言して帰った。

20人くらい集まって、とても賑やかなのである。バルコニーはわりと蒸し暑く、ギャラリー内は冷房効いていて、涼しいのだが、誰も中に入ってこずに、バルコニーで談笑しているのであった。

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さて、来週の展覧会は坂本美紗希展、以前にも言ったが、略歴が「短い」若い作家である。

坂本美紗希

1990 長野県生まれ

2014 武蔵野美術大学 工芸工業デザイン学科 テキスタイル専攻 卒業

2017 個展(Steps Gallery/東京)

例によって、個展の行はわたしが付け加えた。

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可愛いイラストのように見えるが、これは染色と刺繍でできている作品である。実物を見るとちょっと驚くかも。

坂本さんは現在、武蔵美で助手をしているので忙しいのだが、個展中は全日ギャラリーに来る予定ですので、ぜひ会いに来てください。作品のほかに、アクセサリーなどの小物も販売します。







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2017年6月20日 (火)

ドイツは遠いなあ…

ドイツに留学していた斉藤茂吉は、ドイツ人に、日本てどこ?どれぐらい遠いの?と訊かれて、40日かかると答えていたりする。昔は海外に行くというのはそれくらいかかったわけである。船だしね。

今は飛行機であっという間に行けるわけだけど、わたしは、そのあっという間がかなり辛い。飛行機に乗りたくない。12時間もじっと座っていると具合が悪くなってくるのである。あと一月半で、ドイツに行くことが迫ってきているわたしは、少しずつ憂鬱になってきている。

ドイツのウテさんからメールも来ていて、それを見たらますます本当に行くんだなあ…と元気がなくなってくるのであった。

どんなメールかというと、今度の展覧会の小さなカタログを作るから、略歴のデータを送れというものである。文字数はこれくらいで、展覧会などの表記は新しいほうから書いていくように、などと細かい指示がある。やっぱりドイツ人は細かいのである。写真を送れとは書いていないので、これは現地で展示した作品の写真を載せるのかな?とわからなかったので、倉重光則に電話。それはたぶん現地での作品を使うのだろうね、ということで、勝又さんが確認のメールを送ってくれることになる。

ウテさんは、現地でのわれわれの日程も細かく書いてくれていた。こんな感じである。

8月4日 ブレーメン到着

8月5日 小林誠さんの個展搬入。(小林さんはブレーメンのウテさんのギャラリーで個展を開く)

8月6日 小林さんの個展のオープニング。

8月7日 アガーテンブルグにみんなで移動。

8月11日まで搬入作業。(わたしの搬入は多分1日で終わるので、あとはどうしようかなあ)

8月12日 展覧会オープニング

8月13日 アーティストトークとアーティストクッキング。(アーティストクッキングって何だろう?)

ブレーメンに戻る。夜はフランスワインの試飲会。(それってパーティーってことかな?)

8月14日 ドクメンタを見に日帰り旅行。

8月15日 帰国準備

8月16日 帰国

てな感じでなのであるが、どうなるかなあ…

わたしは今斉藤茂吉の随筆を読んでいて、そこにはドイツのことがたくさん書かれてあるので、面白い。

買った本3冊。

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芥川龍之介『大導寺信輔の半生・手巾・湘南の扇』(岩波文庫)

『斉藤茂吉随筆集』(岩波文庫)

井伏鱒二『点滴/釣鐘の音』(講談社文芸文庫)

岸田劉生の随筆から紹介する前に、斉藤茂吉の随筆からいくつか紹介しようかな…

斉藤茂吉は山形出身なので、わたしはとても親しく感じるのだが、歌や歌論は少し難しくて読みきれないが、随筆は味わいがあって、平易で読みやすい。随筆もとても上手いのである。

「ドナウ源流行」では地名が面白い。

「…ドナウが墺太利(オーストリー)に入り東に流れて洪牙利(ハンガリー)に入る。その沿岸に、Linz(リンツ)があり、Wien(ウイン)があり、Budapest(ブダペスト)がある。Budapest以後は、急に道を南方に取り、バルカンの諸国を貫いて、遂に黒海に入るのである。ドナウの流れるバルカンには、セルボ、クロアト、スロヴェーンがある。ルーマニアがある。ブルガリアがある。」

セルボはセルビアのことだろうな。クロアトがクロアチアで、スロヴェーンがスロヴェニアか。

アインシュタインが生れたウルムという町で、茂吉はレストランに入って鯉を食べるのである。

「「それでは、一つ鯉をあげましょうか。ドーナウの鯉でございますよ」

「そいつは珍しいね。ひとつ旨く料理してくれ」

「よございます。お国ではどうして召上がりますか」

「そうだね。ちょっとむずかしいが、まずMaggi(マギーブイヨンとかか?)のようなもので煮ても食べるね。それは様々だ。何しろ日本は魚を沢山食べるところだから。料理の為方がなかなか発達しているからね」

思い切って肥ったお上は愛想よく僕にのしかかるようにして、今日は獣肉を食わないことを説き、卵と魚ならあるというので、此の如き問答が始まったのであった。僕はここで鯉を食べて秘かに幸福を感じていた。それから葡萄酒をやめて、Goldochsen‐Bierという銘の麦酒を飲んだ。これは通人の飲むものではなかろうが、微かに植物の花のような香がして僕は気に入った。僕の味覚は、ここのウルムの住民ぐらいのものであった。」

山形生れの斉藤茂吉なら、醤油と砂糖と酒で煮込んだ鯉の旨煮を知らないわけはないのだが、マギーで煮るとか言っているのが面白い。

私がセルビアに行ったときに、ミラン・トゥーツォヴィッチが、やはり、ドナウ河の鯉を料理してくれた。鉄板で焼いて、カレー味をつけてくれたのだが、絶妙に美味しかったのを思い出した。

斉藤茂吉。もう少し読み進んでみようかな。

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2017年6月19日 (月)

うのぜみ展スタート

今日からうのぜみ2017がスタート。

いつもながら、若い作家の作品には、なにかしら驚かされるものがあるものである。

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宇野和幸 「Landscape of vestiges 6」 紙にシンナープリント、アクリル、墨、木、他 20×25.5cm 2017 ¥23,000

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宇野さんの最近の作品は微妙に変化してきていて、画面がゆったりしてきたような気がする。これからさらに変化していくのを楽しみにしていたい。

國吉文浩 「世界は同時に存在する『茂』」 木に油彩、砂、エッグテンペラ 91×91cm 2016 ¥240,000

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一見普通に描いた風景であるが、その風景の描写というよりも、世の中の見方が独特で面白い。

徳岡真帆 「左に行けばユンソナが助けてくれる。」 木にアクリル絵具、アクリル板 91.5×120cm 2017 ¥40,000

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ね、面白いでしょ、若い人は面白いのである。最初これは「無題」だったのだが、無題じゃダメよとわたしが言ったので、こんなタイトルになったのである。

徳岡真帆 「おれのむら」 木にアクリル、バルサ材 8×8×7.5cm 2017 ¥15,000

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今日は日射がすごくてどうなるかな…

でも、天気がいいので、楽しいパーティーになることだろうな。



 

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2017年6月17日 (土)

うのぜみ2017

京都嵯峨芸術大学の宇野和幸先生と、その教え子のグループ展「うのぜみ」は今回で6回目。今回は、「証明され得ない仮説」というタイトルで、國吉文浩、徳岡真帆との3人展。

6月19日(月)-24日(土)

初日19日(月)17:00-19:00 オープニングパーティー

3人が揃っていますので、ぜひお越しください。

「岸田劉生随筆集」(岩波文庫)読み終わる。

劉生が中心になって立ち上げたグループ「草土社」の思い出話が、若い作家たちの情熱とドタバタが面白く書かれている。若いときというのは、なかなか努力は報われないものだが、それだけに大切な思い出としてのこるのだろう。

草土社は何回か開催されたが、草土社という名前は劉生が考えたらしい。

「この会をはじめる当時はまだこの会に草土社という名はついていなかった。目録も印刷にまわり、いよいよふたを開けるという二、三日前、秋のいい日に私は椿君かだれかと、多分武者(武者小路実篤)の家をたずねようと、代々木の道を歩きながら、会の名を考えていて、ふと、道ばたの草を見て、「草土社」という名を思いついたのであった。」

劉生は絵を描くだけでなく、いろんな企画をしていた。

「この第一回の展覧会へは、私は今でも自作中で好きな代々木附近の八号の風景等を出している。

入場者はあまりなかった。世評もあまり香(カン)ばしくなかった。しかし、それは私たちにそう大して苦労でなかった。私たちはどちらかといえば友達同志で画をならべ合うというような気持ちでいたので、世評のわるい事にもう前から慣れていたし、人の大ぜい来るということは文展あたりのことで我々の事ではないと思っていたから当然の事としていた。その点は今日もそうだけれど。画も勿論売れなかった。それで北山君の発案で、最終日に入札をやった。ところが誰れかの画が一点札が入っていたとかいなかったとか位の事で、全然これもだめだった。

ともかくも我々はこの展覧会をはじめて大元気であった。…」

なんか初々しくて微笑ましい感じさえある。

「この時の展覧会は、銀座一丁目の玉木商会で開いた。やはり北山君が万事とり仕切ってくれていた。入場料はとらず、目録を売った。「入場無料入場ない」草土社の御経というのを中川(一政)がこしらえたのはこの時で、無視の中に開かれ閉じられた。しかし、仕事の上のよき友は少しずつふえて行った。」

若い作家の気負いというのは、その思い出とともに貴重な宝になるものである。

「第三回の展覧会はわれわれだけの手でやったのだが、しかし、ともかく、磯ヶ谷を呼び、三会堂にスクリンを作り、白樺社から印度のズックの幕をもらい、これを張ったところは、一っぱしの展覧会らしく見えた。

世間の立派な展覧会からみたら誠に貧乏くさいものだったにもせよ、われわれの展覧会としてはともかくも本式にスクリンを立て幕を張ってやるのはこれが始めてで、何となく立派になったようで、「堂々とやった」などと私がいったりしている。しかしこの幕もだんだんと古くなり穴などもあいたので、石井(柏亭)君あたりにその貧乏ぶりを揶揄されたりした。」

まあこんなかんじなのだが、これを読むと、なんだか元気になってくるのだ。

草土社の展覧会は回を重ねるごとに、「赤札がボツボツあるようになり」作品が売れ出すのである。

劉生の美術教育についての考え、作品の大きさについて、技術についての見解なども紹介したいが、それは次回にしよう。

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2017年6月15日 (木)

さよならマスキング

6月12日(月)

わたしの作品、カラード バー シリーズが終わりに近づいてきた。

棒に縞模様をつけているだけの作品で、1本につき7色の色分けを試みていたのだが、最後の7色目のためのマスキングテープ貼りが終了したので、あとは最後の1色を塗るだけなのである。テープを貼るのは辛かった。ここまで1年近くかかったのである。

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最初の一色目はテープを使わないので、2色目から7色目までの6色のマスキングをやったわけなのであるが、ちょっと計算してみた。1つのラインを塗るためにはラインの両側にテーピングするので2つ。バー1本につき同じ色のラインが7本くらいある。それが6色分なので×6。そして棒は60本あるので2×7×6×60=5040。

おお、わたしは5000回もマスキング作業をしたことになる。すっごく面倒だった。これでマスキングをすることはしばらくないと考えると、自然に笑みが浮かぶ。

常々、わたしは作家に、作品は個展の1ヶ月前には終わるようにと言っているのだが、これではわたしも終わりそうにない。でも2週間前には終わるはずである。

朝日新聞の東京マリオンから電話。わたしの個展の記事を載せてくれるらしいのだが、個展の会期が始まってからの掲載になってしまうけどそれでかまわないか。それと、高校野球の最中なので、そちらの記事が増えてしまったらひょっとして載らなくなることがないとはいえないが…ということだった。わたしは構いませんよと答えておいた。担当の人はとても丁寧だった。7月26日の東京マリオンに載るとのこと。覚えておかなくちゃ。

有楽町のビックカメラに買い物に行って、帰りに銀座に向かって歩いていたら、鍵屋さんがあって、「靴磨き」という看板もでていたので、入って値段を訊いてみると、磨くだけなら500円で、色もつけると1000円とのこと。おお、こんどやってもらおう。わたしの靴はつま先の色が剥げてしまって、みすぼらしい姿になっていたので、どこかに靴磨き屋さんないかなあ…と思っていたのである。

6月13日(火) 雨

雨だったので、靴磨きには行かず。また今度にしよう。

マスキングの終わったバーを点検。きちんと貼られているか点検しながら、テープを上から押して、密着させていく。これを怠ると絵具が浸入してくるので、大切な作業なのである。この点検だけで1時間かかった。さらに60本のバーを塗る色ごとにグループ分けする。これもけっこう面倒で、さらに1時間かかる。

6月14日(水)

今日は病院の日。

新宿の眼科に行って、目薬をもらう。7階にある眼科を出てエレベーターに乗る。途中の階で止まって、大勢のおばさんたちが乗り込んでくる。10人以上いたが、乗り切れない人が3人ほどいた。中の一人が、「もう一人乗れるわよ!」と言って声をかけると、残った3人のうちの一人がおそるおそる足を踏み入れて、「ブーってなったらどうしよう」と怖がっている。これ以上乗れないという重さになったらブザーが鳴るわけなのだが、それは最後に乗った人の責任ではないはずだが、なぜかみんな自分のせいだと思うわけなのである。

ブザーは鳴らなかったのだが、中にいた一人のおばさんが「ブー!」とブザーの音真似をしたので、エレベーター内に笑いの渦が起こった。おばさんたちは元気である。

女子医大の眼科で診察。視力検査と視野検査。

診察は陳先生。陳先生は日本とカナダをしょっちゅう行き来しているらしい。個展の案内状をあげたら、ああ、この時期は日本に居ない…と残念がっていた。

ドクターに相談事をする。

わたしは37歳のときからベーチェット病になって、難病指定を受けて、特定疾患受給者票というのをもらっているのだが、これをもう止めようか迷っているので陳先生に相談したのだ。昔は難病の患者は診察代や薬代が無料だった。初期のころは眼注(眼に注射)や免疫抑制剤などが必要だったので、とても助かっていた。眼注の注射代と薬代だけで1ヶ月50万円とかかかっていたはずなのである。何年か後にこの診察代と薬代が0%だったのが10%負担になった。もちろん上限ももうけられたが、症状の重い人はきついのだった。みんなで署名活動とかやったがダメだった。そしてさらに近年ではこれが30%負担になった。これは普通の人といっしょである。上限は月20000円になった。

わたしは症状も軽くて薬も飲んでいないので、1ヶ月2万円を超えることはないのである。受給者票の申請手続きは毎年とても煩瑣なので、やめてしまおうと思ったのである。

陳先生は、、吉岡さんは受給者票なくても大丈夫だと思いますよ。今安定しているし、レミケードやってるわけじゃないし。レミケードというのは、ベーチェット病の新しい治療のことである。

ということで、今年からわたしは難病の受給者票をもらうことは止めるのである。

6月15日(木)

作家の加藤さんにギャラリーの留守番を頼んで、築地の美容室「上松」でヘアカット。

久しぶりに髪を切ったので、とても気分がよい。

担当の上野さんと「共謀罪」が決まってしまったねえ…としばらく話。日本はどんどん北朝鮮化していくなあ。

美容室「上松」とステップスギャラリーは悪だくみをしているらしいとか疑われたりしてね…とジョークを飛ばすが、ジョークで済んだらよい世の中になってほしいものである。

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2017年6月12日 (月)

歌舞伎ショック

わたしは能とか狂言とか、歌舞伎とか、古典芸能と呼ばれるものには全く興味がない。つまらないものだと思っている。

昨年、ステップスで個展をやったアメリカの作家イヴァさんは、日本中を旅して回ったが、東京でもいろんなところに出掛けた。歌舞伎も見た。吉岡は歌舞伎は見ないのか?と訊くので、わたしは一度も見たことがないというと、驚いていた。

外国人はよく歌舞伎を見たりするが、何が面白いのだろう?理解できない。歌舞伎も好きではないが歌舞伎俳優も好きではない。なんかちょっと威張っている感じがする。

金曜の夜のNKKテレビでは「ドキュメント72時間」が終わってから、NHK教育では古典芸能をやっている。歌舞伎をやっていた。わたしは興味がないので、チャンネルを変えようと思ったのだが、なんかぼうっとしてしまってそのままにしていた。そうしたらですね、画面から目が離せなくなってしまったのである。なにか特別な演目で面白い場面だったわけではない。普通のいわゆる歌舞伎である。道成寺みたいな地味なものだったような気がする。

見ていても何も面白くないのに、なぜか目が吸い寄せられて、結局最後まで見てしまったのだった。

なぜなんだろう?自分でもそこのところが理解できないのである。別に感動したわけでもないし、なかなか素晴らしいと思ったわけでもない。いや、つまらないと思いながら見てしまったのである。

次の週も見てしまった。

なんといえばよいのだろう…

あえてことばにすれば「怖い」というのが一番近いかもしれない。

いままでわたしが見て来たものを評価することばでは表せない何かを感じてしまったのだろうと思う。

とにかくあまりに奇妙で、あっけにとられたといってもよいだろう。いったい何なんだろうこれは?これが演劇だとしたら、地球の演劇ではない。どこかほかの天体の高等生物が地球に観光にやって来て、その印象を演劇にしたような不思議なものなのである。

書き割りが変である。なんかとらえどころのない、やる気のないイラストみたいだ。お囃子というのだろうか、いよー!とか叫んで鼓をポンと叩いたりして本当に変だ。登場人物にいたっては、その動きが奇妙すぎる。何かを表現しているつもりなのだろうが、洗練されているようで、よけいな動きも多くて、なんなんだこれは?!と岡本太郎の顔で叫びたくなってくる。

次の週も見てしまった。

なぜ見てしまうのか、それについては、またゆっくり自己分析しなくてはならないかもしれない。

今週、4Fのギャラリー58では鍵井保秀展をやっているが、彼の今回の展示のテーマは歌舞伎である。歌舞伎が好きなの?と訊くと、好きだと言う。

へえ…

岸田劉生は日記の中で、歌舞伎のことを書いている。

大正10年1月25日(火) 晴

「…

とにかく旧劇というものはやはり立派な芸術だという感じをうけた。あの舞台全体が一つの創作で、これはやはり内から生まれなくてはとてもあれだけに人の心を魅し去る力はない本当に内から生まれた自然さがある。これを創造した人はかなり大きな芸術家といえると思った。

日本の歌舞伎はかなり進んだ芸術だと思った。

…」

わたしは、劉生のようにまだ歌舞伎を評価できないが、「かなり進んだ芸術」というのはわかるような気がする。

ひょっとすると進みすぎているのかもしれない。なんか未来の演劇という感じがするのである。現代のわれわれの評価基準では全く対応しきれないような、別の次元の芸術なのかもしれない。ずっと先というのは1000年2000年先という意味である。それぐらい先を行ってしまっているので、ものすごい周回遅れでわれわれはそれを見ているので、そんなに先を行っているとは感じないのかもしれない。

また今週も見てしまうかもしれない。

☆展覧会案内

①ブランコ・ブランダイス写真展「WALKING BELGRADE」

6月15日(木)-23日(金)

11:00-17:00

セルビア共和国大使館(品川)

②「エピクロスの空き地」

相澤秀人さんが参加しています。

6月25日(日)-7月6日(木) 7/3(月)休

9:30-17:30

東京都美術館 ギャラリーB

岸田劉生が面白くてまた買ってしまった。劉生と仲がよかったという理由だけで武者小路も

『岸田劉生随筆集』(岩波文庫)

武者小路実篤『友情』(新潮文庫)

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2017年6月 8日 (木)

劉生の個展

ステップスギャラリーの向かいのビルは完成してだいぶ経つのに、1階から3階はお店が入ってなくて、いったいどうするんだろう、といらぬ心配をしていたのだが、昨日、ビルを見たら、イッセーミヤケが入ると掲示してあった。

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わたしは勝手に、家賃が高いから、誰も入る人がいないんじゃないかと思っていたのだが、そういうことだったのね。イッセーミヤケなら難なく家賃を払えるのだろう。

ステップスはグッチの隣です、と言っていたのだが、これからは、イッセーミヤケの向かいです、と言うこともできるようになったわけである。7月1日がオープンらしい。

前回、岸田劉生の個展が一週間だけだったと書いたが、『劉生日記』(岩波文庫)を読んでいるからわかったのであった。井伏鱒二『夜ふけと梅の花 山椒魚』(講談社文芸文庫)といっしょに買った。

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面白すぎて止まらない。

神田で個展をやったときは一週間だったらしい。次の年は5日間の個展を開いたようだ。今われわれがギャラリーで個展をやるのとあまり変わらないようである。

一週間だと短くて、都合が合わなくて来れない人も居るだろうから、2週間やりたいという作家も居るが、そもそも都合が合わなくて来れないという人には来てもらわなくていいのである。個展は、どうしても見たい!という人が来れば良いのである。都合が悪くて、という人は、その人の個展はそれほど重要と考えていないだけのことである。この展覧会は見なくてはいけないと思ったら、最優先で仕事を休んででも来るものである。

劉生の個展でも、いつも作品が売れたわけではないらしい。劉生は当時はすでに大御所だったわけであるが、作品を買ってくれるのは、知り合いと、いつも作品を買ってくれる「パトロン」だけだったようである。

知り合いしか作品を買ってくれなくて、こんなんでどうするのか?という作家も居るのだが、いったい何様か。知り合いも買ってくれない作品を知り合いでもない誰が買うというのか。こういうやつの作品は知り合いにも売れないのである。

劉生の作品が売れなかったのには2つの理由が考えられる。一つは、当時の(今でもそうだが)一般の人にとって、絵を買うというのは、一部の特権階級がするのであって、われわれ庶民には関係のないことである、という雰囲気があったのではないか。もう一つは、劉生はすでに有名作家であったわけなので、一般の人には手の届かない高価な買い物だったのではないだろうか。ちなみにこのとき劉生は30歳である。

劉生の個展の最終日の日記を紹介したいと思う。

大正九年

11月18日(木) 晴

昨夜の雨は晴れて、今日はまたいい天気となった。展覧会最後の日なので上京。

停車場で余の展覧会の批評がもしかしたら出ているかと思って『万朝』見たら出ていたので買う。批評は少々不愉快のものなり。会場に行けばやはり売約は一点もふえていずがっかりする。しかし、入場者は一日二百人平均にて、千三百人を超えていると聞き驚き喜ぶ。結局千四百六十人、招待者入れて千六百人は来た由、かかる事は余のみならず個人展覧会としても稀なる事ならん。

横浜の原善一郎、太三郎両君が来て善一郎君は水彩の「村娘肩掛」と、油の「鵠沼の路傍」、太三郎君は「新緑風景」を買約、

もうないと思っていたのに俄かにバタバタと三点も売約があったのですっかり元気になる。

…」

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2017年6月 7日 (水)

加藤慶子展始まる

水曜日からという不規則な日程で加藤慶子展スタート。会期は1週間だとちょっと物足りないけど、2週間はなんだか長い感じがするという人が多いが、10日間くらいが丁度良いのかもしれない。岸田劉生が大正時代に神田で個展をやったときも1週間だけだったようだよ。

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加藤慶子さんは、個展前に、何度も作品の途中経過を見せに来てくれたのだが、彼女の絵で気になることがあったので、搬入のときに聞いてみた。

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花を描いてるのは、花そのものを描きたくて描いているの?それとも花というよりも花のある情景を描きたいわけ?

花は好きだけど、花を描いているというよりも、やっぱり風景を描いているのだと思う。花瓶に挿した切花は、全く描きたいと思わないから。

「道 ~ 立葵リズムⅣ」 キャンバスにアクリル 116.7×80.3cm 2017 ¥300,000

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やっぱりそうなんだ。

風景と加藤さんの距離感がすごく気になっていたわたしは、それを聞いて安心した、というか納得したのだった。

普通の風景画に見えるが、ずっと見ていると、とても不思議な画面であることがわかるのである。この風景の中の花、というよりは、この風景の中の私、そして私と風景の不思議な距離、言ってみれば、この世界に対するかすかな違和感と不安というものが感じられるのである。

「道 ~ 白い立葵」 キャンバスにアクリル 90.9×60.6cm 2017 ¥200,000

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大袈裟に言うなら、今生きているここはいったい何処なのか、私と世界とはいったいどのような関係になっているのか、という疑問符としての作品である。

花を一つずつ丹念に描いていくという世界に対しての親和性というものは持ち合わせていない、と宣言している絵画なのである。極めて心理的な作品である。

「光の中に アジサイのある処」 キャンバスにアクリル 100×72.7cm 2017 ¥150,000

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このアジサイなんて、まるで宇宙人が初めて地球を訪れてその印象を描いた絵のようである。

なんか怖いのである。

意識的にか無意識的なのかはわからないが、加藤が描こうとしているものは、世界に対する畏怖と違和感と驚きなのである、とわたしは強烈に感じてしまったのであった。

「カンナの道 Ⅲ」 キャンバスにアクリル 45.5×23cm 2017 ¥35,000

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2017年6月 3日 (土)

来週は6/7(水)から

Steps Gallery、来週の展覧会は加藤慶子展

6月7日(水)スタートですのでご確認ください。

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初日にはパーティーを開催します。お誘いあわせの上、どうぞお立ち寄りください。17:00~

加藤さんの「略歴」は今回は、あえて掲示しません。

「謎の作家」ということでよろしくお願いします。彫刻の相澤秀人さんと、藝大で同級生だったということだけお知らせしておきます。

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大岡信 編 『窪田空穂随筆集』(岩波文庫)を読んでいるところである。

いやあ、昔の人の文章は心に沁みるなあ…


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