2020年6月 4日 (木)

鯖のスモーク

昨日は女子医大の眼科受診で曙橋まで。

ちょうどお昼だったので駅前でランチを食べることにする。

豚カツと考えたが、今日は揚げ物という気分ではないので、隣りのお店に入ってみることにする。

OLIVEという店で、夜は飲み屋かなという雰囲気。地下まで階段を降りてドアを開けると、レストランバーのようなテーブルと椅子が少し高めに設定してある、洋風な造り。昼なのにお客さんは一人もいない。ガムランの音楽が流れていて、アジア風でもある。一人ですと言うと、お好きなところへというので、6人がけの大きなテーブルに腰を落ち着ける。カウンターの黒板に書いてあるランチメニューには、豚肉のしょうが焼きとか、クリームコロッケとかあったが、鯖のスモークというのがあったので、迷わず「鯖で…」と注文する。

水を飲みながら待っていたが、なかなか出てこない。鯖を燻製にしているところなのかな?鯖のほかに味噌汁とかお新香とか出てくる定食なのだろうか。しばらくすると、中年のおじさんが、カップスープを運んでくる。コンソメっぽいが、ワカメが浮かんでいる。一口飲む。美味しい。スープを飲みながら待ち続ける。お腹が空いてきたなあと思っているところへ、ようやくランチが到着。お待たせしました。(はい、待ちました)。おお、ワンプレートか。小さめの鯖の切り身が3切れ、ソースがかかっている。チャーハンの形をした白いご飯がドン。丼にご飯を入れてぱかっとひっくり返したような形。本当に丼を使ったのかもしれない。それにサラダがたっぷり載っている。さっそく鯖を一口。タルタルのようなソースがかかっているのだが、うっすらと黄色である。アジア系の香辛料の香りとかすかなカレー味。鯖は燻製が効いていて香ばしい。美味しいじゃん!ソースがいい。井之頭五郎の言葉を借りるなら、「ナイス・アシスト!」である。

「鯖美味しいですね」

というと

「うちはいい鯖を使ってるんですよね」

と、どや顔で答えるマスター。

思ったよりもボリュームがあり、お腹がふくれた。

マスターは、はい、これサービス、といいながら、アイスコーヒーを持ってきてくれる。

「お客さんいないからね… 今晩もお客さん来ないのかなあ。東京アラート出ちゃったしねえ」

わたしがお店を出るまで、お客さんは一人も入ってこなかった。

女子医大は、緊急事態宣言中も患者さんの数は減っていなかったのに、昨日は妙に患者が少なくて、診察は早めに終った。

さて、今日は、ギャラリーで、作品用の箱作り。

段ボール箱を使って作る。

まず、作品の大きさに合わせて、下図を鉛筆で書く。

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これが意外と時間がかかる。

で、そのあと、線に沿ってカッターで切っていく。

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折り目にも軽くカッターを入れて、形を整える。

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白いガムテープを使って、組み立てる。

そうすると、こんなふうに完成するのである。

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めでたし。

箱を一つ作るだけなら楽しいのだが、これを20個作るとなると、内職の作業みたいになってきて、辛くなってくる。

休みながら、少しずつやろうかな。

 

 

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2020年6月 2日 (火)

そろそろ気合を入れる

6月2日(火)

銀座を歩いてみる。伊東屋に行ってみる。開いている。アクリル絵の具を1本買う。東急ハンズに行ってみる。開いている。エアキャップ(プチプチ)の10mロールを1本、タコ糸、金具を買う。

買い物ができるということはなんと便利なのであろうか。嬉しい。

スクラッチドローイングの作品が終ったので、製品としての仕上げをやっている。まず、作品の裏にサインをする。20点のサインとタイトルを書くだけでけっこうな作業である。作品は木製のパネルなので、壁に釘を打ってそのまま掛ければいいのだが、ヒートンを捻じ込んで、紐をつける。紐で飾ったほうが、地震が来たときなど安心なのである。そして、段ボールを使って、箱を手作りで作る。これも作品が売れたときに使う。エアキャップで包むのが普通なのだが、エアキャップで包むのは面倒である。へたに包むと、作品のアクリル絵の具と密着してしまう恐れがある。アクリル絵の具は2、30分で乾くのだが、それは表面だけのことで、完全に乾くには3ヶ月かかるのである。厚塗りだと半年かかる。段ボールの箱に作品を直接入れる。包むことはしない。この方が安全なのである。郵送するときもこのままでいいので便利なのである。箱作りは大変なのであるが、わたしは箱作りが嫌いではないのである。

作品は、完成してからの「製品化」が大切である。

下のギャラリー58は昨日から展覧会がスタートしている。

ステップスもそろそろ気合を入れなければならない。

カポーティの 『叶えられた祈り』 は順調に読み進んでいる。

「……ロメーヌ・ブルックスの絵を見せた。おそらく七十点はある。どの絵も陳腐な、スーパー・リアリズムで、女を描いていた。……ロメーヌはたしかに腕はいいわ。でも芸術家ではないわね」

「あなたが考えている大人になるっていうことは、知性だけのひからびた服を着た人間になるってことなの?羨望とか悪意とか貪欲さとか罪とか、そうした欠点をみんななくしてしまうということ?」

「ひとが大事なお守りを売ってしまうというのは少なくとも二つの場合だけだ。手もとに何もなくなってしまった時か、逆にすべてのものを手にしてしまった時。どちらも地獄だ。」

「どんな作家も自分の手法というものを持っている。批評家は遅かれ早かれそれをかぎつける。それはいい。彼らはその手法で作家を見分けられる限り作家を愛してくれる。わたしはあるとき自分の手法にうんざりして新しい手法を学んだ。これが私の失敗だった。批評家たちはそれに我慢できなかった。彼らは多様な才能というものを憎むんだ―彼らは作家が作家なりに成長したり変ったりするのが好きではない。」

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2020年5月30日 (土)

叶えられた祈り

緊急事態宣言が解除されて、ギャラリーも少しずつ動き出しているようである。来週の6月1日から展覧会をスタートさせるギャラリーは多いのではないだろうか。ステップスはちょっと遅れて15日からになる。

休んでいたギャラリーが多い中で、全く休まず、ずっと開けていたつわものギャラリーもあったようだが、お客さんは来たのだろうか?

ギャラリー・オカベからハガキが届いた。閉廊のお知らせとある。新型コロナウィルスの影響などの事情によりと書いてあるから、やはり休廊が続いたことが響いたのであろう。オカベはわたしが大学生のころからある老舗で、50年くらいの歴史があるのではないだろうか。残念である。

ステップスもぎりぎりで、なんとか持ちこたえている。がんばらなければならない。

銀座も少しずつお店が開いている。教文館が、時短で営業していたので覗いてみる。文庫本を3冊買う。

スタインベック 『スタインベック短編集』 (新潮文庫)

ミラン・クンデラ 『邂逅』 (河出文庫)

トルーマン・カポーティ 『叶えられた祈り』 (新潮文庫)

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スタインベックは、なんていうか、特別な技巧とか捻りとか何にもなくて、拍子抜けするような気もするのだが、このストレートに進んでいく文章がとても心地よい。

『邂逅』 はクンデラの評論集なのだが、第一部が 「画家の乱暴な手つき」 と題された、フランシス・ベーコン論なのである。買わないわけにはいかない。クセナキスに言及した文章などもあり、楽しく読めそうである。

カポーティといえば 『ティファニーで朝食を』 であるが、わたしは興味がなかった。しかし、この 『叶えられた祈り』 は冒頭から引き込まれてしまい、カポーティの印象が全く変ってしまった。面白い!ヘンリー・ミラーぐらい面白い。実在の人物についてあからさまに書いているので、物議を醸し、社交界の人々を激怒させた作品である。こういう作品は刺激的である。

タイトルの 「叶えられた祈り」 は、聖テレサの言葉からの引用だそうである。

「叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される」

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2020年5月27日 (水)

ハツカネズミと人間

5月27日(水)

待ちに待った血糖値測定のセンサーを外す日である。診察もないので気が楽である。

消毒液を手にとって女子医大病院に入る。予定は10:30からだったが、5分ほど待つとすぐに名前を呼ばれる。2週間分の食事の記録を出す。毎日、起床時刻とか、何をしていたかとかといっしょに、何を食べたか、こと細かに記録していくのである。これが面倒くさいのである。何を食べたのかを書くときに、天ぷらはまずいだろうと思ったり、野菜が少ないとか、なにかと気を使うのである。これももう書かなくていいので嬉しい。会計に行くと、きょうは外しただけなので会計はなしだった。

嬉しいので、曙橋駅前でロースかつ定食を食べる。

曙橋から市ヶ谷まで行き、有楽町線に乗り換えて、銀座1丁目へ。東急ハンズの前を通って、まだ営業していないのを確認してからギャラリーへ。今日は作品をがんばろう。

以前から気にしていたスタインベックの本を購入。魯迅も買う。

スタインベック 『ハツカネズミと人間』 (新潮文庫)

魯迅 『阿Q正伝・狂人日記』 (岩波文庫)

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どちらも昔読んだのだが、まったく覚えていないので、また読むのである。

『ハツカネズミと人間』 は高校生のときに読んだ、同じ新潮文庫で読んだのだが、そのときはタイトルが 『ハツカネズミと人間』 ではなく、漢字を使って 『二十日鼠と人間』 だったはずである。なぜ覚えているかというと、看板を描いたからである。大きな板の立て看板にアクリル絵の具で、デザインした二十日鼠という漢字を描いたからである。その横に、山形東高校 演劇部定期公演 とも描いたのである。

山形東の演劇部の大道具を手伝ったりしていたのだが、「二十日鼠」のときは、役者としても出演したので、忘れたくても忘れられないのである。

演劇部の部長に呼び出されて、無理やり役を押し付けられたのだった。「二十日鼠」はそれほど登場人物は多くないはずだが、それでもわたしを呼び出したのは、演劇部員はかなり少なかったということなのだろう。

わたしの役は身体の曲がった黒人だった。黒人だったので、顔を黒く塗った。黒いドーランみたいなのを塗ったのだろうか。髪の毛はチリチリだ、と言われて、親戚のパーマやさんに行ってパーマをかけた。チリチリになった。ヤンキーにしては毛足が長い。

わたしのやった黒人の役って、小説の中ではどんな役だったのだろう?実はなにも覚えていないのだ。小説も、さらさらと流し読みをしたのではなかっただろうか。小説をちゃんと読まないで、演劇部の部長が書いた台本だけを読んだ。しかも自分のセリフのところだけを読んで、他の個所は読まなかった。どんな話なのかわかるはずはない。全体を把握することなく、セリフを覚えることだけに集中していた。セリフが長くて、なかなか覚えることが難しかったからだ。俳優さんとかさ、よくセリフが覚えられるものだと感心していた。

で、わたしは、自分がやった役はどんな人物だったのだろうかと気になっていて、もう一度ちゃんと読んでみようと思ったのだった。読み進むと、わたしがやった役は、クルックスという馬屋係だった。虐げられている人物である。その中で、彼が独白するシーンがあって、そこの部分が息継ぎも無いくらい長かったのだ。小説を読むと、クルックスは淡々と語る場面なのだが、わたしは思い入れが過ぎてしまい、ほとんど叫ぶようにセリフを吐き出したのだった。「青年の主張」の演説調である。今ごろになって恥ずかしくなる。

演劇をやった会場は、山形県民会館ホールという大きな会場だった。ここは、他にもいろんな施設があった。図書館もあり、わたしはここで本を読んだ。夜になると学生が読書室を占拠してみんな学業に勤しんでいたが、わたしはそれに気圧されて、落ち着かない気分を味わっていた。地下には展示用ホールがあり、東高美術部は毎年ここで「部展」をひらいたりしていた。

小説を読んで、なるほど、そういう話だったのね、とようやく納得したのだった。

県民ホールは大きな会場なので、高校生の演劇部が会場をいっぱいにできるはずもなく、会場の前の方にお客さんが詰めて坐っても4分の一にも満たなかったのではなかっただろうか。それでも、学校の友達は見に来るし、数少ない女子生徒も駆けつけていたので、わたしたちにとっては晴れ舞台だったのだ。ほかの学校の演劇部も見に来ていたと思う。山形西高の演劇部も見に来ていた。ここには渡辺えりが居たはずである。わたしが演劇部に居た頃には卒業していたが。

公演が終ったら髪型をもとに戻そうと考えていたのだが、慣れてくると、この髪型も悪く無いじゃんと感じるようになり、髪はチリチリのままにしておいた。

 

 

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2020年5月24日 (日)

出口

5月24日(日)

朝早く目が覚めてしまった。睡眠時間がそれほど長くなかったのに、ぐっすり寝たからか気分が良い。昨日のマッサージで凝りがほぐれたからよく眠れたのだろう。

日曜にギャラリーに行くことはほとんど無いのだが、今日はギャラリーに来た。用事があるからである。昨日、勝又さんから電話があり、今デザインしているカタログの文字校正をしてほしいということだった。昨年のロサンゼルスでのグループ展のカタログを作っているのである。で、デザインをギャラリーのパソコンに送るということだったのだ。

倉重が電話に出る。11月の横須賀美術館の個展の打ち合わせがあったそうである。これもやはりコロナの影響で、いろんなことが面倒になっているらしい。美術館は、お客さんがたくさん詰め掛けて「三密」になるのを心配しているようである。床に作品を設置すると、床面が狭くなるので、お客さん同士のソーシャルディスタンスを取るのが難しくなるのではないか、とか。リモートで展覧会の様子を流すとか…。

「ことばがわかんなくて、何を言ってるんだか全然理解できなかったよ」

と困っていた。

ギャラリーに着いて、勝又さんからのメールをチェックする。問題なかったので、これで大丈夫だと思うよ、と電話する。

せっかくギャラリーに来たので、作品も作ろう。

倉重が購入したヨヴァナの作品を宅配便で送ったりもするかな。

『カフカ寓話集』 を読んでいるが、池内 紀さんの解説が面白い。

われわれが抱いているカフカのイメージ、名声を願わず、謙虚で、死が近づいたときに友人に作品を全部焼却してくれと頼んだカフカ。これは実際のカフカとは違うということ。

作品を燃やしてくれとマックス・ブロートに頼んだのであるが、カフカはブロートは燃やしたりしないだろうということをよくわかっていて、こういうことを言ったのである。本当に燃やしたかったら、自分で燃やすことができただろうし、そのほうが確実である。「燃やしてくれ」ということばは、「大切に保存してくれ」という意味なのである。

カフカは労働者傷害保険協会に勤める役人だったが、なかなか有能であり、部長待遇にまでなった。仕事のかたわら小説を書いていたと言われているが、実際は、仕事から帰ると、ソファでひと眠りしたあと、執筆にとりかかる。毎日明け方まで小説を書いた。母親の作ってくれた晩ご飯を持って部屋に閉じこもった。家族はみんなカフカの執筆に理解を示していたようである。朝が近づくと、軽く眠ったあと、また仕事に出かける。こういう生活を20年続けた。

ものすごい執念である。なぜ、こんなにがんばったのか。それは自分の才能をよく知っていたからである。自分の書く小説が重要であることをよくわかっていた。野心家である。

「ある学会報告」より

「……自由などほしくありません。出口さえあればいいのです。右であれ左であれ、どこに向けてであれですね、ただこれ一つを願いました。それが錯覚であろうともかまわない、要求がささやかならば錯覚もまたささやかなものであるはずです。……生きていたければ出口を見つけなくてはならず、その出口は逃亡によってはひらけない。」

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2020年5月22日 (金)

失敗がつづく

昨日、美容・上松に電話してみたら、あら、営業してるということで、予約をして、たった今カットをしてもらってきたところである。ああ、さっぱり!同じく、リラクゼーションスタジオHOTに行ってみたら、ここも営業を再開していたので、予約してきた。明日行く予定である。久しぶりのマッサージである。助かった。入れ歯は先週直ったので、今つけている。6月1日にまた歯科に行って具合を調整しに行くことになっている。眼がちくちくしていたのだが、月曜日に診察してもらい、ものすごく細かい逆さ睫毛を抜いてもらい、塗り薬ももらって、楽になった。さすがS先生である。

身体のイライラがひとつずつ消えていくとうれしい。

銀座は少しずつ人が増えているような気もするが、それでも寂しい感じである。お昼はどこかでお弁当を買おうと思って、ぶらぶら歩く。飲食店はどこも持ち帰りのお弁当をやっているのである。1丁目の魚や一丁でもお弁当を販売していたので、鯖焼き弁当を購入して、ギャラリーで食べる。

作品のほうであるが、失敗が続いていて、困っている。

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こんな感じで完成しつつあるのだが、よく見ると、なんかダメなのよ。

これは、彫った溝に絵の具が入り込んでしまって、線がつぶれている。

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細い筆を使い修正する。

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がんばってやったんだけど、やっぱりはみ出してしまうので、最初からやり直しである。落ち込む。

これは、着色を間違った。

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線の色と地の色の明るさが近すぎて、よく見えないのだ。地の色を明るくして塗りなおす。しかしやってみると、そもそも線のいろが薄すぎるので、何度やってもうまくいかないのである。これもやり直しである。落ち込んで、投げ遣りな気分になる。今日は天気が悪いので、絵の具の乾きも遅くてうまく行かないのである。

どうしようかなあ…なんか憂鬱である。

今日はもうやめてしまうかなあ。

本を読んで過ごそうっと。

昨日2冊購入した。

高野悦子 『二十歳の原点』 (新潮文庫)

カフカ 『カフカ寓話集』 (岩波文庫)

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『二十歳の原点』 は昔読んだはずだが、全く覚えていなかったので、また読むことにした。高野悦子は二十歳で自殺してしまうのだが、生きていたら70歳のはずである。二十歳のときの日記である。若いなあ。書いてあることも若いので、読んでいて気恥ずかしい感じもするのだが、これがベストセラーになったのは、彼女が嘘をついたり格好をつけたりしていないからだと思う。素直は強い。

カフカは、彼が描いた絵も何枚か掲載されているので興味深い。

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絵を描く文学者は多い。

負けていられないね。

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2020年5月17日 (日)

ローラーがけ

作品制作を続けている。絵の具を筆で塗る作業が終わったので、今日からローラーを使って、地の部分を塗っていく。ここからは筆でなくてローラーだけでの作業である。西城秀樹の「ローラ」などをローオーラアー!とか口ずさんでみたいがやめておく。

図の部分が緑青の作品を選ぶ。反対色はオレンジだからオレンジ系でいきたいが、あからさまな補色だとおもしろくないので、黄色にする。

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白を大量に入れて混ぜる。しつこく混ぜる。混ぜ方が足りないと、混ぜ残した部分があとで画面に広がったりするので、何十回も混ぜるのである。ここで手を抜くと痛い目に遭う。水も入れる。水の量も加減が難しい。入れすぎると、ローラーをかけたときに、ゆるくて彫刻刀で彫った溝に絵の具が入り込む。そうすると、もう取り返しがつかなくなり、「失敗」ということになる。水が足りなくても絵の具がうまく伸びない。

黒をちょい足し。

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ふつう、ローラーがけは、板の上に絵の具を載せてその上をローラーをころころ転がして絵の具をつけるのだが、それだとうまく行かない。アクリル絵の具は水性なので、なかなかスムースにローラーに巻きついていかないのだ。油性インクだと簡単なんだけどね。それで、絵の具を筆で直接ローラーに塗りつけたりするのだ。

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これを段ボールの上で転がす。段ボールは適度に水分を吸ってくれるので、具合がいいのである。ローラーに絵の具がついてるの?というくらい、ごくごく薄く塗っていく。少しずつ、少しずつやっていくのである。前回の同じ技法の作品では、地の部分の色が図の部分よりも濃い色を使ったので、作業はやり易かったのだが、今回は地の部分を薄くすることにしたので、下塗りの色を消していくのが、至難の業なのである。

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これを何回も繰返す。

これで3回塗りくらい。

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さらに10回くらい塗っていき、ようやく完成。

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今日はこれで作業終了。あと片づけをしてローラーを洗うと、ローラーが完全に乾くまで時間がかかるので、連続で作業ができないのである。

まあまあの出来ではないだろうか。

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本屋さんをうろついていたら、見田さんの本を見つけたので買う。

見田宗介 『社会学入門』 (岩波新書)

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三田さんはとても面白いので、文庫や新書はすぐに買ってしまう。社会学者なんだけど、いろんなジャンルを渡り歩く。『宮沢賢治-存在の祭りの中へ』 と『時間の比較社会学』 は特に面白かった。

三田さんの謎があって、この人は本を書くときに、二つの名前を使い分けることなのである。見田宗介のほかに、真木悠介という名前でも本を書いている。なぜそうするのかはわからない。もし、みなさんこれから彼の本を読もうとするときは、見田宗介と真木悠介は同一人物であることを覚えておいたほうがいい。で、この本のあとがきにこんな個所があったので、真木悠介という名前は、娘さんの名前から作り出したものであることがわかった。

「資料の整理とグラフの作成、パソコンへの打ち込み、等において、子どもたち(朱子、悠子、真木子)の、楽しい協力を得た。」

三田さんは今83歳で東大名誉教授であるのだが、コンセプトということばを、正しく使ってらっしゃるので、わたしはますます信頼してしまうのだった。

「…ホビの言葉では「時間」というコンセプトはなく、近代文明を形成してきた諸文化の言語のように「過去/現在/未来」という基本的な「時制」もなくて…」

コンセプトということばに出会ったら、概念という日本語に置き換えてみるとよい。そのまま意味が通じるなら、その使い方は正しくて、なんだか変だなあと思ったら、そのコンセプトという語の使い方は間違っているのである。

 

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2020年5月13日 (水)

ロボット化

5月13日(水)

朝、9時前に女子医大到着。眠い。

入り口で検温の係の人の前を通り抜けて、消毒液を手につけてこすりながら中に入る。

いつもより心持ち空いているような気もするが気のせいかもしれない。

朝一番に家で採った尿を検査の人に渡し、更に尿検査のあと採血。

今日は診察の前に血糖値を測るセンサーを取り付けることになっているので、ケアルームに行って処置。センサーというのは、24時間ぶっ続けで血糖値を測る機械である。以前にも一度やったことがあり、そのときはお腹に機械についた針を機械ごと刺し、上からビニールの覆いをかけた。装着するとものすごい違和感があり、具合が悪いことこの上ない。今回は、お腹につけるタイプでなく、腕に取り付けるタイプだった。かなり小さく、お腹タイプよりもずいぶん快適である。針も痛くはない。二の腕の裏側につける。ビニールで覆うこともしなくていいようである。これを2週間つけっぱなしにして、センサーに血糖値を記録するのである。

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機械とともに過ごす2週間が始る。わたしはこういうものをつけるのはどうにも嫌でたまらないのだが、こういうのが好きな人もいる。モドコンと呼ばれる人体改造を趣味としているグループが世界各国にいるのである。自分が機械の一部分になったり、ロボット化していくのを悦楽とする人々のことである。アクセサリーのいろんな形のプラスティックを皮膚の下に埋め込み歓ぶ感性を持った人たちであり、刺青とか、極端な整形なども同じグループに入るだろう。金原ひとみの『蛇にピアス』に出てくる、舌の先を蛇の舌のように二股に切り開くなどというのは、彼らにとっては普通のことなのである。血糖値測定のセンサーなんてちゃんちゃらおかしいとなるわけだが、なぜ彼らはそんなことをするのかといえば、自分にとって理想の身体にするには人体改造が必要なのであると考えるからである。「なぜあなたは改造するのですか?」という質問に彼らは「なぜあなたは改造しないのですか?」と逆に質問してくるのである。

ロボット化するというのも彼らの喜びの一つである。徹底的にロボットになりたいようなのである。皮膚の下に時計を埋め込み、時間を見るときにはランプをつけて浮き出た数字を自分の皮膚越しに見るなんてどうってことないのである。

なんとかレンジャーなどという戦士は変身して機械(ロボット)に変る。あれって、われわれの深層意識の中でうごめいているロボット化に対する憧れなのかもしれない。

スマホが肉体に埋め込まれる日もそう遠くはないだろう。

理想の身体ってなんなのよって話だけど、理想は人それぞれなわけだから、とんでもない「理想」をもった人はとんでもない身体になるはずである。

片手がない人を見ると、羨ましくてしょうがないという人の話はすごい。両手があるのはかっこよくない。片手だけの身体が理想形である。で、彼は、自分の片腕を丸のこで切断してしまうのである。もちろん事故に見せかけて決行した。その後彼は大満足で人生を送っていくのである。

理想を追い求めるとなんか大変なことになっていくような気がする。美容整形なんかもやりすぎるとやばいのではないだろうか。

話がどんどんあらぬ方向に来てしまったが、わたしは2週間後のセンサー取り外しを目指しながら生きていこうと思う。

曙橋駅前のいきなりステーキでお弁当を売っていたので、牛タン弁当を買って銀座へ。

作品を少し進める。

彫ったところに絵の具を塗っていく作業。

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色作りに時間がかかる。白を入れて、パステル調にしていくのだが、途中で必ず黒を少量加える。こうすると微妙に色が落ち着くのである。

色塗りは簡単なようだが、思ったように絵の具が溝に入っていかないので、時間がかかる。

なにも考えないで、ただただ作業を進める。作品を作っているという気持ちがなくなる。なんかお土産屋さんで売っている民芸品を仕上げているような気持ちになる。民芸品の持っている丁寧実直さを目指そう。

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2020年5月 9日 (土)

意識と本質

フフフフフ…

フフフフ…

絵の具が届いた。

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萩谷君が茨城から送ってくれたものである。9本、指定した色を届けてくれた。

嬉しい。絵の具を手に入れて、こんなに嬉しかったことはない。

これで、作品を作ることができる。少しずつ進めていこう。

白が4本、黒が1本、黄色系が2本、緑が1本、紫が1本である。それだけ?と言われそうだが、他に必要な色はすでに持っているので大丈夫なのである。「彫り」の作業も終わり、あとは色をつけていくだけである。ゆっくりゆっくりやっていこうっと。

また本を買ってしまった。読むスピードよりも、買うスピードの方が勝ってしまっている。ま、いいや。

瀬木慎一 『画狂人北斎』 (河出文庫)

マルティン・ハイデッガー 『芸術作品の根源』 (平凡社ライブラリー)

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井筒俊彦 『意識と本質』 (岩波文庫)が読み終わりそうである。難しい本であるが、そしてほとんど理解できなかったのだが、なるほど!と「ためになったね~」と言いたくなる個所がいくつかあった。難しい議論が展開していても、「例えば」という魔法のことばが入ると、凡人でもとても分かりやすくなるものである。

例えば、と井筒さんは言う。ここに火と紙がある。二つを近づけると紙は燃える。必ず燃える。なぜか。火の本質(の一つ)として、紙に近づくと燃やしてしまうということがあるからである。火に近づくと燃えるということが紙の本質(の一つ)である。

当然のことのようであるが、このことに関して、昔のイスラーム哲学の世界で論争が起こった。有名な論争であると井筒さんは言うのだが、われわれにはピンとこない。イスラーム文化というものが、いかにわれわれの日常から離れたものになっているか、ということを実感させられる。

火と紙の本質について、そもそも本質なんていうものは無いんだよ、という反対論が出てくるのである。

紙に火を近づけると本当に燃えるのか?「必ず」燃えるのか?という議論である。反対派は必ず燃えるわけではないと言う。何万回、何億回やっても必ず燃えるだろうか?燃えないときだって必ずあるのである。紙が燃えるのは「たまたま」であって、必ず燃えるわけではない。燃えるか燃えないかは偶然である。従って、ものには本質などないのである。

すべてのものに本質というものがあるとしたら、すべての事象に因果関係というものが起こり、すべては決められた通りに展開していく。だとしたら、この世界に神が介入する余地は無くなるというのである。

本質が支配する世界には奇跡は起こらない。

この論争は、アインシュタインと量子力学のボーアとの論争を思い起こさせる。偶然はあるのか?という議論だが、アインシュタインは偶然はないと主張する。原因が同一であれば、結果もすべて同じになる。「神はサイコロを振らない」と言ったわけあるが、ボーアは、量子力学の世界では予想できない現象が起こる、ということを説明する。論争は、アインシュタインに有利には展開せずに、ボーアの主張が認められることになる。

これも本質論ということになるわけだ。

人間の意識ということに言及しているのが第8章なのであるが、ここはわたしにとって、一番エキサイティングなことがたくさん書いてあり、イメージ(イマージュ)ということについて改めて考えさせられる個所だった。内容も分かりやすい。

ひとことで要約すると

「意識はイマージュの連続である」

ということになる。

うーん、とうなってしまった。意識はイメージなのである。

人間は、全てのものをイメージとして捉えるのである。

例えば、ここに1本の木がある。わたしはそれを見ている。それは映像として残る。後日、全く違った場所に居て、たとえば海とか。そこで以前見た木のことを思い描く。それがイメージと呼ばれるものである。そこに無いものを「イメージ」するのである。ところが、井筒さんは言う。実際の木を眼の前に見ているときでも、われわれは木そのものを見ているのではなく、イメージを見ているのである。われわれはイメージとしてものを見ているのである。普通の人は、実物の木とイメージの木が近すぎるのでそれに気づかないだけである。

ハイデガーは 「芸術作品の根源」 の「根源」とは本質のことであると言っているので、ハイデガーも面白く読めそうである。

 

 

 

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2020年5月 5日 (火)

展覧会は6月15日から

緊急事態宣言の延長に伴い、ステップスギャラリーは、6月14日(日)まで休廊とすることにしました。

まだ1ヶ月以上あり、なんだか調子が狂うのですが、ゆっくり準備していきたいと思います。

またみなさんとギャラリーでお会いすることを楽しみにしています。

次回展覧会は

「うのぜみ 2020」

宇野 和幸/勝木 有香/蘇理 愛花

6月15日(月)-20日(土)

宇野さんは、やる気満々で準備していますので、ご期待ください。

昨日、茨城の萩谷君から、ミランの作品が届いたというメールがあり、近くの画材屋さんで額を作るということだった。え?画材屋で?ということは画材屋が開いているということ?なんと茨城は営業しているとのこと。そこでわたしは、萩谷君にアクリル絵具を買ってもらい、それを送ってもらうということにした。

これで一安心…

自分の作品も読書もなかなか進まないのであるが、頭をあんまり使いたくないから、軽い内容の本を読んでいたのだが、どうも面白くないので、難解の代表ともいうべき、井筒俊彦 『意識と本質』 を読み始めたのだが、あら不思議、これがとても面白い。井筒さんの本は気合を入れないと読めないので、逆に目が覚めるのであった。

井筒さんは日本の哲学者のなかでは、とびぬけている。

哲学者だから、ものすごい量の本を読んでいるのは当たり前なのだが、それが桁違いなのよ。読んでない本はないのではないだろうか。自由自在に引用してくる力技は尋常ではない。

前にも書いたが、井筒さんは30ヶ国語を自由に読み書きできる。専門はイスラーム哲学で、コーランを翻訳しているのも井筒さんである。西洋の哲学と宗教、東洋の哲学と宗教、全部カバーしている。文学にも明るい。

日本語で書いた本はあるのだが、日本に帰ってきてから書いたものなので、その何倍もの量の著書は、英語をはじめ、外国語で発表されたものである。ジャック・デリダも尊敬していたというからすごい。

今読んでいる 『意識と本質』 を読み始めたところなのだが、その中に出てくる本や人物たちもバラエティーに富んでいる。リルケ、マラルメ、松尾芭蕉、本居宣長、古今和歌集、サルトル…

難しいけど面白い本というのは、なかなかないのだけれど、今は井筒さんかなあ。

また本を買ってみた。

安部公房 『けものたちは故郷をめざす』 (新潮文庫)

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ずいぶん昔に読んだはずなのだが、また読んでみよう。

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