2019年8月17日 (土)

串田治作品

串田治展は8月26日からですが、先に作品を紹介しておきたいと思います。

Photo_20190817143501

立体作品2点、レリーフ状作品5点、絵画51点という構成です。

Photo_20190817143701

絵画51点というのはかなり多いのですが、これでも串田作品のごく一部です。

Photo_20190817143901

とんでもないサービス価格になっています。ぜひ1点お求めくださることをお勧めします。

作品お買い上げの方には、カタログ2冊を差し上げます。

Photo_20190817144201

8月26日(月)の初日は串田さんの奥様もいらっしゃいますので、ぜひ初日に来てみてください。

Photo_20190817144301

これは立体作品ですが、1980年代のものです。

2

「補助線 A」 木にアクリル 54×50×45cm  ¥80,000

Photo_20190817144801

串田さんは、昔はこんなふうに板を構成して着彩した作品を作っていたのです。木を組んでつなげていく作業は大変だったのではないだろうか。つなぎ目には釘を使ってない。ダボという木片でつないでいるのである。39年以上経っているのに頑丈である。こんなふうに壁にとりつけても自重で緩むこともなくその形を保っている。

「CONVERSION」 木にアクリル 25×50×14cm 1988年 ¥60,000

Photo_20190817145501

「CONVERSION 16」 木にアクリル 18×28×4cm 1989年 ¥30,000

Photo_20190817145801

串田さんは後半生は立体から絵画に移行した。1点1点がすべて実験をしているように、様々な表情を見せる画面は魅力に満ちている。

作品というのは、結局のところ「人柄」なんだなあということを納得させる。

「work 19」 紙にアクリル 27×19cm  ¥22,000

Photo_20190817150501

「work 2」 紙にアクリル 12×8cm ¥8,000

Photo_20190817150701

「work 36」 紙にアクリル 8×12cm ¥9,000

Photo_20190817150901

「work 42」 紙にアクリル 14×9cm ¥10,000

Photo_20190817151101

「work 22」 紙にアクリル 27×19cm ¥22,000

Photo_20190817151501

「work 27」 紙にアクリル 19×19cm ¥15,000

Photo_20190817151701

暑い日が続きますが、みなさんバテていませんか?

わたしはもうヘロヘですが、作品に元気をもらって、また来週からがんばりたいと思います。

| | コメント (0)

2019年8月15日 (木)

まちてくギャラリー

岩手県花巻市在住の彫刻家、菅沼緑さんから、わたしがこのあいだ送った「現代絵画の問題点」が興味深かったから、「まちてくギャラリー」に原稿を書いてくれという連絡が入った。

3000字くらいでということだったので、わたしは「現代絵画の問題点」を短くして送ることにした。字数を数えてみたら8000字もあったので、5000字削らなければならない。がんばってみたのだが、4000字にするのが精一杯。これで勘弁してくれと言うと、緑さんは、何とかしようとの答え。

なにか写真もほしいということだったので、ステップスでのパーティーの様子を携帯で撮ったスナップを何枚か送った。作品写真などよりも、ギャラリーの雰囲気が伝わるような気がしたのだ。

9月号に載るということだ。

これが「まちてくギャラリー」最新号。

Photo_20190815133301

おお、もう29号なんだ。年に何回か発行される季刊誌である。無料で配っている。

そもそもまちてくギャラリーとは何かというと、それは緑さんが住んでいる花巻市の東和町という小さな町で一年中開催している「展覧会」なのである。企画・主催も緑さん一人。展覧会といっても、ギャラリーがあるでもなく、展覧会にふさわしい広い会場があるわけでもない。街中のいろんなお店に協力してもらい、店先の一画を借りて、そこに展覧会のDM(ハガキ)を飾りお客さんに見てもらうというごくごくささやかな「展覧会」なのである。

こんなことを考える緑さんももちろん「変わった人」に違いないが、協力してくれるお店も普通ではないかもしれない。どうしてこんなことが可能かというと、それはひとえに緑さんの人柄だろう。「緑さんに頼まれたら断われない」と地元の人は考えているはずである。

東北のこんな小さな田舎の町から緑さんは、美術を発信している。

どうしてこんなたいへんなことをやっているのか。小さな町の中の小さな試みが全国に知れ渡ることはないし、儲かるわけでもない。ただただ小さくてもいいから、お金にならなくてもいいから、「生きて」いたいのだろうと思う。つげ義春みたいな生き方だなあ。

まちてくギャラリーのことを知らせるための機関紙が「まちてくギャラリー」なのだった。昔は緑さんがすべての原稿を書いていたのだが、最近はいろんな人が原稿を寄せるようになってきて、ページ数も増えた。

現在の「まちてくギャラリー」は36ページ、カラー印刷で紙もしっかりしている。かなりお金がかかるはずである。印刷費は、東和町が助成金を出してくれている。いちど助成金が打ち切られることになり、この小冊子も廃刊に追い込まれそうになったのだが、みなさんの願いと寄付金で続けられるようになったのだった。今では町からの助成金も復活し、寄付金と合わせてで印刷費はまかなわれているはずである。もちろん緑さんはタダ働きである。

ちなみに29号のテキストは、鎌田大介「花巻愛したスターリン - パンクロッカーに詩人の素顔」、菅沼緑「さいとうよしとも論」、小笠原卓雄「イメージの記憶」、大倉康範「自由と社会」である。

次回のわたしの文章は、評論家の萬木康博さんと酒井忠康さんといっしょの号になるということである。

酒井さんといえば、昔、串田氏たちとグループ展を世田谷美術館でやったときの館長ではなかったか。

さて、ステップスは串田治展の展示も終わり、完全に夏休みである。

休みに入ったらアトリエのかたづけと掃除をやることにしていたのだが、こんなに暑くては体力も気力ももたない。毎日、ぼうっと過している。ときどき喫茶店に行きアイスコーヒーを飲みながら本を読む。今読んでいるのは、江藤淳 「夏目漱石」。江藤淳て好きではないのだが、この「夏目漱石」は面白い。これって、江藤23歳のときの評論である。

わたしもなにか書こうと思っている。とりあえず、9月の展覧会の評、甲斐千香子論と槙野央論に手をつけようと思っている。

串田治の資料がなにかないかと捜していたら、昔の展覧会「未在」のパンフレットが出てきた。これは、1986年に真木画廊・田村画廊で開催された「未在」展のもの。86年というと、わたしは若干30歳である。作家は越川修身、串田治、高橋睦治、中村ミナト、藤本均定成、吉岡まさみ。

Photo_20190815150701

表紙に載せた檄文に近い「ステートメント」は、今読むといかにも若くて上ずった調子で恥ずかしいが、しかしその意気込みは、なるほど、こんなことを考えて作品を作っていたのだなと懐かしくなる。

「「存在」は、私たちの外側にではなく、内面的な感覚と思惟の中にあるのではないだろうか。だからこそ、私たちは、常に覚醒した眼で現実を凝視しなければならないのだ。ただ単に見えているものが「存在」なのではなく、「存在」とは、我々が意識的に「見るもの」なのだから。「もの」を置く(set)ことによって、そこに見えてくるものは、「もの」そのものではない。置くという行為(原初的な意味でのドローイング)を付加することによって、現実のうらに潜む存在のリズムが見えてくるはずである。「もの」は「現実」と「存在」を見せてくれる媒介ではあるが、存在そのものではない。「もの」は媒介になることによって、その瞬間「未在」に変わるだろう。確かに「在る」のだが、まだ「存在」とは呼べないもの。「不在」ではなく「非在」という否定語でもない。「未在」はわれわれの切実な肯定語である。」

こんな若気の文章を、「はいはい」という突き放した優しい眼で見守ってくれたのが、真木画廊主で評論家の山岸信郎氏であった。おなじパンフレットにこんなあいさつ文を書いてくれた。

「未在」展に寄せて

「線で仕事をしている作家のグループ展を試みたい。ついては、その筋の作家を幾人か紹介してもらいたい。」という吉岡まさみ氏からの相談を受けたのは、昨年の四月か五月の頃であったと思う。私の脳裡には、即座に高橋睦治氏や藤本均定成氏が浮かんだ。線の仕事といっても、吉岡氏、高橋氏、藤本氏では、まるで性格を異にする、いな、それを敢えて約言するなら、吉岡氏は空間的であり、高橋氏は存在論的であり、藤本氏のそれは、生物界の棲み分けをモチーフとした境界的なものである。線という、最も単純にして、あらゆる認識の初元に措かれる問題に美術家の思念は限りなく、また多様であると思われる故に、吉岡氏のこの企画には、自ら深い興味を誘われた。

かくして、呼びかけに応じ、とも角も、日頃、お互に余り交友のない六人の作家が集り、この展覧会の計画は、半年に亘る何度かの会合と綿密な計画を繰りかえして進行した。しかし、問題は討議の度に拡大し、深化し、線の問題は更に大きな背景の中におかれることになったと見てよかろう。(吉岡氏はこの間の事情を恥ずかしいとしているがそれは思いすごしであると思う。)展覧会のタイトルが、「未在」という甚だ抽象的になったのも、当にこの間の困難を物語るものであると思う。つまり、この「未在」展は、線という最も基本的なところから出発し、六人の作家の対話の中から展開し、展示された、未だ存在せざる空間の提示ということになろうか。

従って、この展覧会に発表された作品は、勿論、線を主題とするものではない。六人の作家は、それぞれ各自の固有な表現の様式を貫いているにすぎないが、恐らく線に始る半年間の対話は、互に充分に作用しあったと思われる。たとえば、吉岡氏の、空間に交差する曲線はアクション性を離脱して、物的な要素を加え、越川修身氏の墝(カイ)のような薄板を組みあわせた作品は、やや重たげだった空間浮上を、以前よりは軽快に、明るく見せる。また高橋氏は、越川氏と逆に、線をめぐって、概念的になり勝ちだった最近の作品に、重い鉄材を内在させ、説話風なイメージを付して、再び現実への積極的なアプローチを意図している如くである。

壁面から自在に自己増殖するかの様な、節足動物に似た、串田治氏の作品、空間を非情に切りながら、なお有機性を留めて横たわらせるかのように仕組んだ中村ミナト氏。作意を殆ど石の層や、石組の中に圧殺してしまったように見える藤本氏の作品は、もはや吉岡氏の最初の提案からは遠く離れたところにあるようだが、この展覧会の進行の経緯を考えれば、それは特に咎めるに価しまい。むしろ、美術館や、批評家主導の展覧会が多い今日、必ずしも日頃親密ならぬ作家達が、一つの共通の問題を出発点として、作家主体の発表の機会を作ったのは意義深いと思う。大いに助長されて然るべきであろう。

1986年7月

真木、田村画廊  山岸信郎(ヤマギシノブオ)

 

 

 

 

| | コメント (0)

2019年8月 5日 (月)

ミランの葬儀

Photo_20190805121601

今日8月5日の12時からミラン・トゥーツォヴィッチの葬儀がある。日本時間の今日の夜中ということになるだろう。

会場はベオグラード市議会。

新聞全紙がミランの訃報を大きく取り上げ、テレビでは特別番組が放映されている。

あまりにも突然のことで、誰もが驚き悲しんでいる。

2時から「新墓地」に埋葬されるとのことである。この墓地は特別なので、普段は誰でも入ることはできないそうだが、墓参りはできるようなので、もしベオグラードに行く機会があったら、ぜひ墓参をお薦めする。

ミランはクロアチアのレジデンスに行っていて、亡くなる2日前に帰国していたそうである。

亡くなる前の夜、娘さんたちとクロアチアワインを飲みながら楽しそうに笑っていたそうである。

朝、娘さんが起こしに行ったら、ベッドの中で息を引き取っていた。

心筋梗塞だったようである。

娘さんは、ミランの手に日本円を握らせてあげた。また日本に行けるように。

心臓は以前からよくなかったようで、「心臓が痛い」と言うことがあったらしい。

とにかく忙しい人だった。作品がどんどん売れ出して、描いた作品はすぐ売れて、「注文」もたくさん入っていて、外国からのバイヤーも何人も訪れていたそうである。いつも追われていて、ストレスがたまっていたはずである。

そんな中、3月に日本で企画した「FAR AWAY」展のために来日した。わたしは、Steps にある作品で間に合わせようと思っていたのだが、本人は新作でないと嫌だと言った。じゃあ、作品を送ってもらえばいいと伝えたが、「行く」と言ったのだった。日本で少しゆっくりした時間を過したいとも思っていたのかもしれない。

日本では、倉重アトリエに泊まりこみ作品を仕上げた。毎日倉重とワインを飲みながら笑っていたそうである。倉重アトリエは居心地がよかったようである。

勝又さんの料理が美味しいと気に入っていた。

初めて海を見てものすごく歓んでいたようである。ミランは地中海の海は見ていたのではなかっただろうか。しかし、三浦から見た太平洋は特別な感慨を与えたようである。

「また展覧会を企画して、倉重と吉岡を呼ぶからセルビアに来てくれ」と言い残して帰国した。

わたしは、またセルビアに行くことはあるだろうか。

Steps で追悼展を企画するかな。

 

 

| | コメント (0)

2019年8月 2日 (金)

訃報

セルビアのミラン・トゥーツォヴィッチ氏が今朝亡くなったという連絡が入りました。

心筋梗塞だったようです。詳しいことがわかったら、またお知らせします。

とにかく、あまりのことにびっくりして竦んでいるだけです。

| | コメント (0)

2019年7月31日 (水)

平成元年

佐伯一麦の 『渡良瀬』 (新潮文庫)を読んでいる。

2・3日前、家を出て駅に着いたときに、本(高井有一の『この国の空』)をもってくることを忘れて、駅の本屋さんで急遽買ったのが 『渡良瀬』 だった。捜してすぐにこの本を見つけたのはラッキーだった。

Photo_20190731162801

読み始めたら止まらなくなり、高井有一は後回しということになった。

初めて佐伯一麦の 『ショート・サーキット』 を読んだときに、これは面白い!とそのあと何冊か読んだのだが、『ショート・サーキット』 ほどの感動はなかった。『ショート・サーキット』 は若いときの苦しい生活について書いたもので、たんへんだったろうなあと同情を禁じ得ない内容だった。

辛い日常を書いたものは、なぜか読む人に慰めを与えてくれる。

『ショート・サーキット』 とほぼ重なる内容を、時間が経って、また別の観点から書いたのが 『渡良瀬』である。

面白い。

佐伯一麦は1959年仙台市生まれ。仙台第一高校卒である。

わたしより3歳年下である。

わたしは高校に入るときに一浪しているので、佐伯が仙台一高の1年の時に、わたしは山形東高の3年生だったわけである。親近感が湧いた。

仙台一高といえば、東北でも1・2を争う優秀な進学校であり、全員大学に進学する。わたしの通っていた山形東高でも、同じ学年で大学に行かない生徒は1人だけであり、彼はそれだけで有名人だったほどである。

佐伯一麦も大学には行かなかった。どういう事情があったのかわからないが、彼は卒業と同時に東京に出て自活する。電気工などの仕事をしながら小説を書こうと決心する。

貧しい生活だったが、結婚して子供も3人できた。子供は喘息があったりで元気に育っているとはいえない。そんな自分の生活を書いた小説が新人文学賞を貰うのだが、あまりにも赤裸々に書いたことによって、奥さんと不仲になってしまう。

その後、電気工を辞めて、茨城県の古河に引っ越して、配電盤の会社に入って一から見習いとして働く。バスで通勤するが、工場のバス停の一つ手前で降りて50円の運賃を節約するというような生活だった。サラ金の返済もあったようである。休日出勤も厭わず、稼ぐことに専念する。

これは佐伯一麦の写真であるが、苦労が顔ににじみ出ている。

Photo_20190731165701

解説を書いている堀江敏幸が指摘しているように、『ショート・サーキット』 の暗く悲惨な書き方とは対照的に、なぜか小説の中の佐伯は生きいきとしている。配電盤の技師としての仕事に対する充実感が溢れている。

田舎の一工員として、それに全力で邁進している姿が、私に勇気を与える。

古河の会社での描写は、ちょうど昭和から平成に向かうときで、「天皇の容態」が、登場人物によっていろいろなふうに語られる。

昭和から平成に変わったのは1月8日だった。

なぜそんなことを覚えているかというと、そのとき、ちょうどわたしと何人かの作家で世田谷美術館でグループ展を開いている最中だったからである。

そのなかに、串田治もいた。

平成になった日、わたしたちは美術館に居た。

佐伯一麦が茨城で一工員として汗を流していたときに、わたしは展覧会をやっていたのだ。

佐伯が工場の給湯室に隠しておいた、もらいものの酒を茶碗でみんなと飲んでいるときに、わたしは美術館のレストランでビールを飲んでいたのである。

串田治の作品ファイルにはそのときの作品写真がある。

1989 1/5 ~ 10 世田谷美術館  桧板 アクリル樹脂絵の具

とある。

ずいぶん昔のことになってしまった。 

 

| | コメント (0)

2019年7月29日 (月)

取引をした

ギャラリーが休みに入ってから一週間経つが、わたしはまだ身体が本調子ではない。

ロサンゼルスでは、みんな搬入の真っ最中だと思う。

なんにも連絡がないということは、問題なく展示作業は進んでいるのだろう。連絡がないということは、わたしの作品も無事に届いているということだ。届いていなかったらすぐに連絡が入るはずである。

わたしの作品展示はおそらく倉重の指示で行われる。わたしは展示に関してはなにも心配していない。倉重は、自分の展示だけでなく、ほかのメンバーの作品でも同じように全力でやるということを知っているからだ。

普通は他の人に展示を任せると安心できない。その人の展示センスがわたしとずれていることが多いからである。でも今回は心配がないので気楽である。

これは、ロスのギャラリー、アートコアが作った展覧会のチラシ。現地で配るものである。われわれが作った日本用のハガキとはずいぶん雰囲気が違うね。アメリカっぽい。

Dm_20190729143001

わたしは、ロスの搬入はみなさんにまかせて、串田治展の展示をがんばろう。

Photo_20190729144301

床にならべてみると、すごい数の作品である。これは時間がかかるなあ……

少しずつ少しずつやっていくことにしよう。

額に紐がついていなかったり、大きさもまちまちだったりなので、「考える」のに時間が取られる。考えては休み、考えては休みを繰返しているので、見た目にはなにも進んでいないように見える。あせらないで展示に一週間かけるくらいの余裕でいこう。

Photo_20190729144701

串田カタログが2冊ある。一冊は昨年埼玉の彩光舎で開催された追悼展vol.1のときに作られたもので、二冊めは、今年の6月にトキ・アートスペースでの追悼展vol.2のために作られたものだ。テキストは両方とも千葉成夫。

ステップスでは両方のカタログを置く。一冊1000円なのであるが、作品を購入された方にはこの2冊をプレゼントすることにしようかと検討中。

奥さんが持ってきた作品を入れた袋のなかに、クッシー(串田のこと)の写真があったので、これは、事務所のテーブルに飾ることにする。

Photo_20190729145601

二冊めのカタログには、串田本人の言葉も載っているのだが、気になるというか、心に残る文章があった。「取引」という言葉が胸を打つ。

「見えているものは全て凄いし美しい。

朝から夜まで光と闇が変化をもたらし見えているものの色を

変えていく。

 

網膜剥離の手術後、左の眼球の中は空っぽになった。

二週間ほどの間に目の中に体液が溜まっていく過程が大変面白く、

まずは空っぽの状態では眼球ぴったりに指をつけると指の指紋が

鮮やかにくっきりと見える事に衝撃が走る。

体液は水のように眼球の上の方から溜まっていく。逆さの水の表面に

光が水面を照らすように反射している?もしかして世界は逆さま!

治る間近には、小さな気泡が眼球の中を泳いでいる。

それも無くなり機能を取り戻すと平穏な日常に戻っていく。

 

もしかして私の左手も自然治癒してくれないだろうか?

微弱ながら動かそうとすると反応は感じられていたので

機能を取り戻すまで頑張ろうかなと、しかし一生かかりそうなので

そればかり関わっていられない。取引をした!他の事にその分の時間を費やす。

機能は取り戻せないけれどこれはこれで不穏な日常を少し送っている

2012年1月   串田 治」

 

 

| | コメント (0)

2019年7月26日 (金)

敵がいる

7月25日(木)

11時、稲毛の歯科医院で治療。クリーニングの最終日。3本抜いた歯のあとどうするか、次回相談することになる。どうなるんだろう。入れ歯?いやあ、入れ歯って本当に老人て感じで嫌だなあ。差し歯になるかなあ。でもいちばん奥だから難しいだろう。インプラントなんて嫌だしねえ。インプラントって高いんだよね。考えるだけで滅入ってくる。こういうのがストレスになるんだよねえ。

今日は、アトリエ・Kのグループ展の搬出だから横浜に向かう。横浜って遠いんだけど、稲毛からだと総武線快速で一本で行けちゃうのだ。昔、港養護学校に勤めていたときは、品川まで毎日通った。稲毛→品川は50分である。横浜は品川からさらに20分強。この20分が長いのよ。

電車は混んでいて座れなかった。個展が終ってから疲れがどっと出て、今日もふらふらに近い。こんな体調でロサンゼルス行ってたら大変だったなあと思う。ロスで寝込んでいたことだろう。

本を読んで横浜までやり過ごす。

本は2冊買っておいた。

Photo_20190726164401

高井有一 『この国の空』 (新潮文庫)

アンナ・カヴァン 『アサイラム・ピース』 (ちくま文庫)

『アサイラム・ピース』 を読む。

アンナ・カヴァンは以前 『氷』を読んで、不思議な作家だと思っていたのだが、この 『アサイラム・ピース』 はさらに異様である。どんどん読み進むうちに横浜に到着。根岸線に乗り換えて石川町に着いたら1時だった。

搬出は5時からなのでギャラリーに入るにはちょっと早すぎる。時間がすごくあるので、ギャラリーの隣のドトールで休憩することにする。2階の喫煙席の窓側のカウンターにアイスコーヒーとチョコチップクッキーを運んでよっこらしょと座る。窓から外を眺めて、歩いている人たちをぼうっと眺める。

Photo_20190726165601

ファミリーマートがあり、7月30日オープンと書いてある。そうなんだ。ファミリーマートの前って何だったんだろう。わからない。2階は居酒屋 「だんまや」である。ここは、アトリエ・Kで展覧会のパーティーのあとに2次会をやる店である。まだ時間は早いのに、看板が出ている。風が強いのか、看板は飛ばされて、イーゼルから裏返しに落ちる。たまたま箒をもって階段を掃除する店員さんが降りてきて看板を元に戻して、また階段を上がっていく。

しばらくすると、また看板が落ちる。通りかかった、Tシャツに半ズボンの若者が、看板を拾ってイーゼルに戻して、何事もなかったように立ち去る。

またしばらくすると、看板が飛ばされれる。今度は誰も気づかず、看板はそのままだった。

わたしはアンナ・カヴァンを読み進める。

作家にはそれぞれ作品ごとのテーマがあるわけであるが、作品ごとではなく、その作家を貫く大きなテーマというものがある。

たとえば、ウエルベックだったら「わたしはこの世界が嫌いだ」であるし、田山花袋なら「時は過ぎゆく」ということになるだろう。

で、カヴァンはどうかというと、それはどうも 「この世界のどこかに敵がいる」ということになるのではないかと思った。なにも悪いことをしていないのに、刑罰を受けなければならないという不条理な感情なのである。

「母斑(アザ)」という作品をかいつまんで内容を紹介するとこんなふうである。

十四歳のとき、「私」は家庭の事情で地方の寄宿学校に送られる。そこで私はHという少女を知る。淡い色の髪が特徴的で、強く惹かれてしまう。Hは頭もよくスポーツもできるのだが、「何か」が邪魔をしてHは一番になることができない。

ある時、全員の成績が発表されて、それが張り出される。Hは困惑してその表を見ている。それを見てい私は、なぜだか涙が出てきて、「あなたを助けさせて……私に何かをさせて」と懇願するのだが、Hはなにも言わずに袖をまくり、傷跡の様なものを彼女に見せる。それは薔薇の花のようはアザだった。そしてHは走り去っていく。

歳月は過ぎ、私はHのことを忘れてしまったわけではないが、あまり思い出さなくなった。

ある時、外国を旅しているときにあるお城を見学する。お城は博物館になっているのだが、特別な刑務所としても使われていた。見学しているときに、古い甲冑を見つけて、その中に後から入る。足許を見ると床には鉄格子がはまっていて、したの部屋には囚人が毛布に包まれて寝ていた。男か女かもわからなかったが、その囚人は、助けを求めるように細い腕をのばしてきた。その腕には、薔薇のようなアザがあったような気がする……

というような話なのであるが、実際に読んでみることをお薦めする。

1901年フランスのカンヌ生まれのイギリスの作家。精神的に不安定で、自殺未遂もなんどもあった。ヘロインを常用しながら小説を書く。当時はヘロインは合法だったようである。『氷』を書いたあと死去したが、自殺ではないかとも言われている。

気がつくと2時間以上時間が経過していて、3時を過ぎていた。そろそろギャラリーに行ったほうがいいかなと思い腰を上げたが、だんまやの看板がどうなったかを見ないままドトールを出てしまった。

ギャラリーには何人も参加作家が来ていてみんな談笑していた。わたしも何人かとおしゃべりをする。

5時になったから早速搬出かなと思ったら、オーナーの中村さんはテーブルにワインを並べ始めた。片づけは急がなくていいから、まあ飲みなさいということらしい。パーティーが始まってしまったが、わたしは、チーズをワインで流し込み、30分ほど経過してから作品を片付けて、早めにギャラリーを出た。

 

 

 

| | コメント (0)

2019年7月20日 (土)

夏休みです

吉岡の個展も終わり、Steps Galleryは明日から夏休みに入ります。

夏季休廊

7月21日(日)~8月25日(日)

休みは5週間。ずいぶん長い休みである。当初はロサンゼルスのグループ展のためにアメリカに行く予定で休みを設定していたのだが、体調を考えて現地には行かないことにしたので、急に休みが増えたわけなのである。こうなったら思い切り休んで体調を整えたい。

休み中は、残務整理や次の展覧会の準備などでギャラリーにはときどき来る予定であるが、毎日来るわけではないので、ブログも「ときどき」ということになると思います。

次回の展覧会は串田治追悼展。8月26日(月)-9月7日(土)。今日、奥さんが作品をギャラリーに運んでくれたので、少しずつ展示をしていく予定である。

Dm_20190720194001

前回、浜田浄さんのことを書いたが、浜田さんと話がはずんでいたのは、長谷見雄二先生である。で、その次の日に京都アニメーションの火災事件があったので、今、長谷見さんは京都にいるはずである。

長谷見さんは早稲田の建築科の教授なのであるが、専門は防災である。とくに火災について詳しい。こういう大きな火災のときは呼ばれて行くわけである。糸魚川の大火事のときも検証委員だった。委員長だったかな。今回の京都アニメーションの火災でも検証で忙しいはずである。

今日は、わたしの個展の搬出なのであるが、疲れ果てているので、搬出と片づけは来週にすることにした。

作品の梱包などもあるが、気合が入らない。4点残っていたのだが、さらに1点売れたので、3点残っている。完売ではなかったけど、21点中18点売れたので、合格ということにしよう。

お買い上げいただいたみなさん、ありがとうございました。また来年がんばった作品を用意しますので、よろしくお願いします。

今、W.ジェイムズ 『プラグマティズム』を読んでいるが、非常に面白い。なるほどねえ…という内容である。

休みに入ったら、時間があるから本もたくさん読めるような気がするのだが、時間があるとのんびりしてしまい、案外本は読めないのである。

忙しい中、電車の中で読むとはかどるのである。そういうものである。

次は何を読もうか考えている。考えながら本屋さんをぶらつくのが楽しい。

パール・バック 『大地』なんてどうだろうかと思っているところである。

23日には、倉重、勝又がロスに向かうはずである。

なんだか申し訳ないな。

 

 

| | コメント (0)

2019年7月19日 (金)

セルビアの田崎亮平

7月17日(水)

ギャラリーのドアを開けて、怪しい雰囲気の男が入ってきた。白い短髪でマスクをしている。黙って、サイン帳に名前を書いている。動きが遅い。じっとこっちを見ている。誰だろうと思って見ていると、男はマスクを取りながら

「ボクだよ」

と口を開いたのは、浜田浄であった。

なあんだ、浜田さんかあ。

「風邪ひいちゃってさ、寝込んでたんだよ。久しぶりで銀座に出てきた」

六本木から銀座に廻ってきたという。

「いやあ、六本木でボルタンスキー展を見ようと思ってたんだけどさ、時間がなくなって、ボルタンスキーを見たら吉岡くんの個展見られなくなるし、吉岡展を見るためにはボルタンスキーをやめなくてはいけなくなったわけよ」

「で、ボルタンスキーでなく、わたしの個展を見ることにしたというわけですか」

「そうそう」

「わたしはボルタンスキーに勝ったというわけですね」

「そうだよ」

いい人である。

事務所で、他のお客さんたちとお茶を飲みながら談笑。

「ボクはね、吉岡くんの個展のハガキを額に入れて飾ってるの。ハガキも額に入れるとちゃんとした作品になるね」

(いやあ、ハガキでなくて本物がいいと思うけどなあ)

浜田さんは、壁の小品を見ながら

「じゃあ、ボクは7番をいただこうかな」

と言う。

「え!? 買ってくれるんですか?」

「うん、買うよ」

ワオ!嬉しい。浜田さんに買ってもらえるなんて嬉しい。作品を認めてもらったという感じがじわーんと広がる。

いい人である。

「これはブログに書かなくちゃ」

浜田さんは、一緒にいたお客さんに

「あなたはどれにするの?」

などと愛嬌たっぷりに話しかけていたが、そのお客さんは、本当に1点買ってくれた。

おかげで、作品は残り4点になった。

蛍光灯がチカチカするので、電気を消している事務所で、夕方になって暗くなった部屋で

「大丈夫だよ、暗いのもいいよ」

と言いながら、浜田さんたちはずっとおしゃべりしていた。

今、セルビアで、田崎亮平君が展覧会をしている。

これが亮平君の作品。

Photo_20190719141901

兎の作品。

亮平は、ワーキングホリデイでロンドンに行っているのだが、どうやって作品を運んだらいいでしょうか?などというメールも来たりして、心配もしたが、なんとかがんばったらしい。

ソフィヤ・ルジッチさんとの二人展である。

Photo_20190719142201

ソフィヤは以前、Stepsの「On the Steps」にも参加してもらった版画の作家。

Photo_20190719142401

なんか亮平は変わってないね。

Photo_20190719142501

金髪の女性は、このギャラリーのオーナー、クセニアさん。クセニアさんは今年の11月に来日して、Stepsで講演会をする予定になっている。

セルビア国営放送で紹介もされたらしい。

6分後あたりに出てきます。

https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=zKGKCMw7HlY

亮平は、セルビアの帰りにドイツに寄って、ウテさんに会うことになっている。

| | コメント (0)

2019年7月17日 (水)

チカチカ

蛍光灯がチカチカする。

Photo_20190717140401

わたしの個展の搬入時に、みんなが、事務所の蛍光灯がチカチカするとしきりに言うので、下田君に、ビックカメラに行って、蛍光灯を買ってきてもらい、新しいものと交換してもらったのだが、チカチカは直らなかった。

蛍光灯のせいでないとしたら、配線とか配電盤とか、そういうたぐいの不具合なのかもしれない。お客さんたちも、チカチカすると言うので、今は蛍光灯は点けないで、窓からの自然光でなんとかやりくりしている。

ビルの管理会社に今度言わなくちゃ。

みんなは、チカチカするというので、わかったわけだが、じつは、わたしの目はチカチカを感じないのである。わかんないのよ。ベーチェット病で、網膜がかなりやられてしまっているため、視力が悪いだけでなく、色も普通には見えていないらしい。ときどき色が違って見えているらしいということがある。

今回、チカチカも感じないということが判明してしまった。

昨日、「アートコレクターズ」の張さんが、7月号を持ってきてくれた。

Photo_20190717140801

展覧会ガイドに今回のわたしの個展の記事を載せてくれたのだ。

小さい紹介記事だけど、載せてくれるだけでありがたい。

Photo_20190717143301

去年の個展で、作品が完売したので、ことしも完売か、という気持ちは全くなかったのだが、いろんな人から、完売しそう?などとプレッシャーになることば掛けをされているうちに、その気にさせられるのである。

現在はこんな感じ。

Photo_20190717150101

と、これを書いていると、ちょうどビル会社の人が、電気関係の点検に来た。蛍光灯の相談をすると、安定器がおかしいのか、あるいは、蛍光灯の種類が合わないのかどちらかだろうとのことだった。

22日に電気の業者が来るので、そのときに改めて点検するということだった。来週からギャラリーは休みなので、勝手に入ってやってくださいと言っておく。

最近は、蛍光灯もLEDに換えているので、どうですかと言われる。

ただ、LEDの光は直線的で、部屋全体を包むような感じの光にならないので、嫌がる人もいるということだった。

ギャラリーとしては、包むような光がいいよね。歯医者さんもLEDを嫌がるそうだ。

どうしましょう?

 

 

| | コメント (0)

«怒りっぽい