2019年4月17日 (水)

ロースかつ定食

昨日は、女子医大の診察で曙橋まで行く。以前は中華の和平で定食かラーメンを食べていたのだが、和平がなくなったので、とんかつの「山さき」に行ってみることにした。糖尿病の診察を受ける前に豚カツというのも問題であるが、まあ、仕方がないだろう。

わりと新しい店で、何回も前を通過はしていたのだが、たいしたことのない普通の豚カツ屋さんだろうと思っていた。

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わたしは豚カツが妙に気になるのである。昔からそうだったような気がする。

小学生のころは、母親が病気がちだったので、晩ご飯のおかずを買いに出かけることがよくあった。100円くらい貰って、それでおかずを調達するのである。魚とか豆腐だったら100円で充分なのであるが、豚カツは確か一枚50円だったはずで、それだと他になにも買えなくなるので迷うところなのであるが、どうしても豚カツが食べたいと思ってしまうと、ついつい買ってしまうのだった。

大学受験に失敗して、一年浪人した。中野区の上高田というところに四畳半のアパートを借りて自炊生活をした。今日は玉子かけご飯、明日は食パンにジャムをつけて食べる、というようなボンビーな生活だったわけであるが、仕送りが届いて少し余裕があるときは、近所の定食屋さんに行った。アジフライ定食が280円だったかな。豚カツ定食は350円だったと思う。お店に入っていざ注文する段になると、豚カツを頼もうと思っていたのが、思わず「とん…、いやアジフライで」と節約してしまったりすることがほとんどだった。豚カツ定食を頼んだときは、どきどきして、夢のような食事を始めるのだった。

大学に入ると、ときどきギャラリーめぐりなどをして、いろんなところをまわった。浪人時代よりも余裕があったので、普通に定食屋さんに入ることができた。時どきは豚カツ定食も食べた。神保町にある「いもや」の豚カツが絶品であった。白い暖簾、一枚板のカウンター。きびきびした動きの店員さん。そしてシンプルなメニュー。豚カツと千切りキャベツ、蜆の味噌汁にお新香。これが美味しいのである。豚カツに蜆の味噌汁を合わせるというのは誰が考えたのだろう。豚カツには蜆なのである。よく豚カツに豚汁なんかを食べる人があるが、あれは間違いだね。

曙橋の「山さき」は、期待しないで入ったのだが、入ったとたんに、おお、やるな!という雰囲気が横溢していた。

「いもや」のような長いカウンター。テーブル席もあって広い。待つ人のための丸椅子も用意されていた。カウンターの向こう側には元気の良い男性店員が5・6人も入っている。店内には美味しそうな匂い。ふつうは豚カツ屋さんというと、揚げ油の匂いが充満しているのだが、ここ「山さき」では豚のラードの匂いが流れている。これだけで、ここの豚カツは美味しいということがはっきりわかるのであった。

昼時なので、お客さんでいっぱいだったが、運よくカウンターの席が一つだけ空いていて、そこに坐ることができた。

「ロースかつ定食」

お茶がカウンター越しに出される。隣のおじさんは、うう…と唸りながら豚カツとご飯を交互に口に運んで満足そうである。

いよいよわたしの前にもロースかつが出された。皿にはかつと千切りキャベツ、それとたっぷりのカラシだけ。レモンだのマカロニだのという余計なものはない。かつにレモンを絞る人がいるが、あれは間違いであると指摘していたのは誰だっけな。レモンはキャベツにかけるためにあるって知っている人は少ない。

ソースをかけてさっそく食べてみる。揚げたてなので、ロースの脂が滴る。

ぎゃあー、うめえ。

ご飯を口に入れて咀嚼すると天国である。

豚肉は、脂身が美味いのである。

花村萬月の小説に、「あぶらかつ」というのが出てくるのがある。パン工場で働いていた主人公は、完全に「ブラック」であるその工場でぼろぼろになって働くのであるが、社員食堂には豚カツ定食がある。豚カツというのは名ばかりで、実際は、豚の脂身だけを揚げたものなのだ。「肉」はない。とんでもない豚カツなのだが、ひょっとしたら、それってかなり美味しいのでは?と思われる。

作者は忘れてしまったが、『恋する豚』という本に、サーロというのが出てくる。ウクライナの食べ物で、豚の脂身を塩漬けしたもので、熱は通していない。写真を見ると、すごく美味しそうなのである。いつか食べたいと思っていたのだが、昨年、ブランカさんのお家に招かれたときに、ブランカさんは手作りのサーロを出してくれた。夢のように美味しかった。

やはり、昨年、ウクライナに行った金澤麻由子は、サーロを食べてきたそうである。

「すごく美味しいけど、あんなの食べてたらデブになっちゃう」

とも言っていた。

「山さき」はやはり蜆汁を出す。

最後にお新香を食べてお茶を飲むと終了である。一気に食べてしまった。

「山さき」にレジはない。支払いはすべてカウンター越しに現金で遣り取りをする。こういうのも味があって良いものなのである。

また行かなくては。

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2019年4月15日 (月)

めまい

4月13日(土)

ギャラリーを5時で閉めて、そのあと、ロサンゼルスのグループ展の打ち合わせをする。

日本人作家7人の展覧会である。8月1日ー29日、アートコアというギャラリーで開催される。

今日でうちあわせは3回目かな。海外での展覧会は細かい打ち合わせを何回もしなくてはならない。

これが参加作家。

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左から、中村圭、小林誠、千崎千恵夫、勝又豊子、神田毎実、倉重光則、それとわたし吉岡である。わたしはロスまで行かないことにしたので、旅程のことは上の空である。会場の配置なども考えたのだが、これもわたしは上の空であった。

展覧会のタイトルをまだ決めていなかったので、今日決めなくてはならない。

7人の作家なんだから、7人の侍、セブンサムライズで良いんじゃないの?とわたしが言ったら、みんな、わたしの方を見向きもしないで、スルーされてしまった。

結局、タイトルは「めまい」ということになる。

めまいは英語でなんというのだろうか。dizzyでしょ?とわたしが言うと、いやvertigoのほうがいいんじゃない?と喧々諤々となるが、そのままあやふやになってしまった。

アメリカに行くのもみんなバラバラなので、どうなることやら…である。

日本向けの案内状(チラシ)も作ることになったので、もう少ししたらギャラリーから発送することになると思う。

まだカズオ・イシグロを読んでいる途中なのだが、芥川を一冊買ってしまった。いつも一冊余計に本がないと落ち着かない。

芥川龍之介 『戯作三昧・一塊の土』(新潮文庫)

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それにしても今日はいい天気である。

ぼうっとしてしまうなあ…

 

 

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2019年4月13日 (土)

ぼちぼち

少しずつ暖かくなってきているが、夜はまだ寒いし、体調は相変わらずだし、集中力もまったくないので、ぼうっと過している。ちこちゃんに叱られる。

ぼちぼち自分の作品に取りかからねばならない。集中できる時間は30分程度なので、本当に少しずつなのである。

太い線を彫る作業に入る。

これは左にあるのが下絵で、いろんなパターンがある。

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下絵の線のとおりに彫っていくのである。

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彫りは難しい。彫刻刀で曲線を彫っていくのは簡単である。しかし、直線を同じ太さで真っすぐに彫り進むのは至難の業なのであった。

細かいところは、カッターを使ったりする。

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これで完成。どんなもんでしょう?

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☆展覧会案内

「雨引きの里と彫刻 2019」

4/1(月)-6/9(日)

9:00-17:00

茨城県桜川市

http://www.amabiki.org

38人の彫刻家による野外展

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島田忠幸さん、望月久也さんが出品しています。

「美しきセルビア -食を通して知るバルカンの国-」

4/26(金)-5/18(土)

GALLERY TEN てん(港区新橋2-20-15 新橋駅ビル1号館8階)

www.gallery-ten.tokyo

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・トークイベント

「大使秘書・ティヤナのセルビア紹介」

4/26(金)

17:30からトーク/18:30よりセルビアの軽食つき懇親会

参加費:2000円(申込み 090-7429-0629

「不在の絵画」

倉重光則+高島芳幸

5/4(土)-15(水)

ギャラリー睦(千葉市中央区弁天3-8-11)

「石倉仁一郎 展」

6/2(日)-30(日)

ゆう桜ヶ丘ギャラリー(多摩市桜ヶ丘1-17-7 桜ヶ丘コミュニティーセンター内)

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2019年4月10日 (水)

神様のいたずら

4月7日(日)

アートカクテルの搬入日。11時からスタート。唐さんと下田君が来て手伝ってくれる。作品が多いので、二人にがんばってもらうしかない。

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松屋で買ってきたお魚弁当を食べてがんばる。作業が終わっても終らなくても、6時には終わりにして、ご飯を食べに行くよということにする。

途中で、今日作品を持ってくる人たちがいて、入れ替わり立ち代わりが続く。

キャプションもつけて、ライティングもやって、ほぼ作業完了したのがちょうど6時だった。

じゃあ、飲みに行こう、と二人に声をかけたら、下田君が具合悪いので、今日は止めておきますという。顔を見ると蒼い。疲れてしまって調子がおかしくなってしまったのだろうと申し訳ない気持ちになる。

わたしも疲れたので、今日はこのまま帰って、また今度食事に行こうねと誘っておく。

4月8日(月)

新宿の眼科で診察を受けたあと、ステップスに寄って、展示の仕上げをする。作りなおさないといけないキャプションを作って、壁の補修などをしていたら、遅くなってしまった。

帰りは稲毛駅からタクシーに乗って帰る。

タクシーの運ちゃんが、最初は何も話をしていなかったのだが、途中でいきなり話を始める。

「いやあ、人生って不思議ですよねえ。信じられないことが起こるものですよねえ。面白いもんですよねえ…」

「そうですねえ(なんのことだろう?)」

「1年半前に女房をガンで亡くしましてねえ…」

「あらあ、それは…」

「私も寂しくなりましてねえ。ある所で女性と知り合ったんですよ」

「(ほう)」

「だんだん親しくなってきて家に連れてきたんですよね」

「(そういうことになるだろうね)」

年の頃はわたしと同じくらいで、頭に白いものがかなり混じっている。

「で、いろいろ話をするじゃないですか。誕生日はいつ?って聞いたんですよね。そうしたら驚くじゃありませんか、亡くなった女房と同じなんですよ!いやあ、こんなことってあるんですねえ。でね、好きな歌手とか歌とかも女房と全く同じだったんですよ。びっくりしますよね、こんなことってあるんですねえ…」

「それはすごいことですね」

「誕生日が同じって、確率は365分の1ですよ。これは、亡くなった女房が、あんた、この人に面倒見てもらいなさいって言ってるような気がしましてねえ…きっと神様がなんかいたずらしているんでしょうね。こんなことめったに言えないですけどねえ。身内にはこんなこと言えませんよ。お客さんだから言えるんです。この場限りだから。」

タクシーはわたしの家の前まで来たので、わたしは料金を払い、タクシーを降りた。

運ちゃんは、もうちょっと話したいような顔をしていた。

人生はいろんなことがあって、どうしようもない事態が起こったり、困り果てたり、泣きたかったり、辛かったりすることばかりだけど、全部、神様のいたずらって考えたら、少しは気持ちが軽くなったりすることもあるだろうな。

4月10日(水)

生憎の雨で、すごく寒いけど、アートカクテルは賑やかにスタートです。

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全体はこんな感じです。

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展示は来週の20(土)までです。

 

 

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2019年4月 6日 (土)

アートカクテルは(水)から

来週のステップスは10日(水)から始まります。(月)(火)は休みですのでご注意ください。

Art Cocktail 2019

4月10日(水)-20日(土) 日曜休廊

12:00-19:00(土曜日は17:00まで)

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明日搬入なのであるが、作品は100点あるので、たぶんへとへとになるような気がします。

唐さんと下田君が手伝いに来てくれるので、終ったらビールを飲む!それを楽しみにがんばろうっと。

夏目漱石 『草枕』 読み終わる。江藤 淳が言っているように、これはかなり奇妙な小説なのかもしれない。でも、わたしは好きですねえ。

文明批評や芸術批評がちりばめられていて飽きない。茶道についての文などは痛快である。

「茶と聞いて少し辟易した。世間に茶人程勿体振った風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張りをして、極めて自尊的に、極めてことさらに、、極めてせせこましく、必要もないのに鞠躬如(キッキュウジョ)として、あぶくを飲んで結構がるものは所謂茶人である。……あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当が付かぬ所から、器械的に利休以後の規則を鵜呑みにして、これで大方風流なんだろう、と却って真の風流人を馬鹿にする為めの芸である。」

汽車についての箇所は、現代でもそのまま通用する。汽車が初めて走ったのは、たしか明治36年じゃなかったかな。ということは、漱石がこれを書いたときはまだ3年かそこらしか経ってないはずである。みんなが汽車に熱狂しているときに、こういう感覚を持つ漱石の凄さ。

「汽車の見える所を現実世界と云う。汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場(ステーション)へとまってそうして、同様に蒸滊の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車程個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付け様とする。……」

次に読んでいるのはこの2冊。

岡 潔/森田真生 編 『数学する人生』(新潮文庫)

カズオ・イシグロ 『わたしたちが孤児だったころ』(ハヤカワepi文庫)

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2冊同時に読むのである。

 

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2019年4月 5日 (金)

クロネコショック

アートカクテル2019作品つづき。

鈴木 純子

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平塚 良一

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森 彬博

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槙野 央

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カセイ イノウエ

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ちょっとショックなことがあった。ちょっとではないかもしれない。クロネコヤマトが値上げをするのである。宅急便ではなく、DM便である。以前はメール便といっていたものである。ステップスでは案内状を送るのに毎回利用している。

案内状とかチラシとかたくさん入れても80円なので、とても重宝していた。

値上げって10円くらいかなあ…と思っていたら、なんと160円になるのだそうだ。倍じゃん!

げげっ、それはとても困る。値上げのことを書いたプリントを持ってきた社員さんも、申し訳なさそうな顔をしていた。

それだったら郵便局で普通に封書で出したほうが安いのである。

5月から値上げだそうだから、4月に1回DM便で出して、そのあとは郵便局から出すことになりそうである。

なんでこういうことになってしまったのだろう。なんか落ち込む。

☆ダンス公演のお知らせ

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ワーク イン プログレス 「Other World」

ワカコ イシダ&カセイ イノウエ

5月3日(金) 15:00

入場無料

谷中区民館 多目的ホール (台東区谷中5-6-5)

千代田千駄木駅から7分

JR日暮里駅から10分

ニューヨークダンスクリエイターズのワカコさんとカセイさんは、ことしの6月にスイスのバーゼルで公演が予定されているのだが、そのための新作のワークインプログレスということらしい。

NYDC/New York Dance Creators

03-3818-8863

info@nydcreators.org

www.nydcreators.org

 

 

 

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2019年4月 4日 (木)

アートカクテル2019作品②

前回の続きです。

片岡 操

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永野 のり子

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菅沼 緑

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古賀 亜希子

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服部 純子

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槙野 匠

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達 和子

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吉岡 まさみ

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夏目漱石の 『草枕』を読んでいるのだが、やはり読んでいたというのは間違いで、たぶん読んでいないか、途中でやめてしまったのかもしれないと思い始めた。初めて出会う描写が多すぎる。

主人公の若い絵描きは、温泉に逗留して、そこの出戻り娘に「まいって」しまうのだが、彼が翻弄される描写が秀逸である。こんな会話はどうか。

「観海寺の和尚ですか。肥ってるでしょう」

「西洋画で唐紙をかいてくれって、云いましたよ。禅坊さんなんてものは随分訳のわからない事を云いますね」

「それだから、あんなに肥れるんでしょう」

「それから、もう一人若い人に逢いましたよ。……」

「久一でしょう」

「ええ久一君です」

「よく御存じです事」

「なに久一君だけ知ってるんです。その外には何も知りゃしません。口を聞くのが嫌な人ですね」

「なに、遠慮しているんです。まだ小供ですから……」

「小供って、あなたと同じ位じゃありませんか」

「ホホホホそうですか。あれは私の従弟ですが、今度戦地へ行くので、暇乞に来たのです」

「ここに留って、いるんですか」

「いいえ、兄の家に居ります」

「じゃ、わざわざ御茶を飲みに来た訳ですね」

「御茶より御白湯(オユ)の方が好なんですよ。父がよせばいいのに、呼ぶものですから。麻痺が切れて困ったでしょう。私が居れば中途から帰してやったんですが……」

「あなたは何所へ入らしったんです。和尚が聞いていましたぜ、又一人散歩かって」

「ええ鏡の池の方を廻って来ました」

「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」

「行って御覧なさい」

「画にかくに好い所ですか」

「身を投げるに好い所です」

「身はまだ中々投げない積りです」

「私は近々投げるかも知れません」

あまりに女としては思い切った冗談だから、余は不図顔を上げた。女は存外慥(タシ)かである。

「私が身を投げて浮いている所を―苦しんで浮いている所じゃないんです―やすやすと往生して浮いている所を―奇麗な画にかいて下さい」

「え?」

「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」

女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧みてにこりと笑った。茫然たる事多時。、

 

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2019年4月 2日 (火)

アートカクテル2019作品

来週からのArt Cocktail 2019の作品を少しずつ紹介していきます。

作家と作品1点です。タイトルとか素材とかなしで、「こんな感じの作品なんだ…」というふうに軽い気持ちで見てくださいね。

ウテ・ザイフェルト

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大森 梨紗子

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平塚 ショウ

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スネジャナ・ペトロヴィッチ

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長見 有方

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前田 精史

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中村 ミナト

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十河 雅典

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今日はここまでです。また明後日、続きを紹介します。

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2019年4月 1日 (月)

小出恵理奈のpicturesque

4月1日(月)

今日から小出恵理奈展スタート

 

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土曜日に搬入をしているときに、小出はわたしが読んでいた 『抽象の力』を見つけて

「あ、これ読みたかったんですよねえ」

と言いながら、パラパラとページを繰ってわたしがどこまで読んだのかチェックして

「もうすぐ読み終わりますね」

と言う。読み終わったら貸してね、でもって早く読み終わってねというメッセージも込めながら。

小出の作品のタイトルには「picturesque」というのが目だって多い。そのまま訳せば「絵のような」である。

つまり小出は絵のような絵を描いているということになるわけである。

ずいぶんと人を食ったようなというか、挑発的なタイトルである。

ふつう、「絵のようだ」という場合、絵で無いものを指して、まるで絵のように美しいと形容しているわけであるが、絵そのものを指して「絵のようだ」というのは、いったいどういうことなのであろうか。絵画というものを揶揄しているようでもあるし、これ、絵ですけどなにか?と開き直っているようでもある。

その辺を考えながら見ると面白いかもしれない。そんなこと考えなくても、もちろん面白いから、気にしなくても大丈夫である。

「various colors #10」 綿布に油彩 91.0×72.7cm 2019 ¥160,000(売約済)

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「a variety of greens #1」 綿布に油彩 45.5×38.0cm 2019 ¥60,000

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「picturesque #17」 紙に水彩 22.7×15.8cm 2019 ¥15,000

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「picturesque #10」 綿布に油彩 53.0×43.3cm 2019 ¥65,000

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小出さんは、土曜日は全日在廊します。

他の日は、顔を出す日もありますが、遅めの時間になりそうです。

さて、『抽象の力』を(急いで)読み終わったわたしは、岡崎乾二郎に引きずられて、夏目漱石の『草枕』を読み始めた。

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昔読んだという記憶があるのだが、読み始めてみたら、まったく憶えていないみたいだ。

主人公が絵描きなんだよね。

じつに面白いのであるが、わたしの目は、どうしても食べ物にひきつけられてしまう。

ねじり棒というお菓子があるのだが、そのお菓子の上を鶏が歩き回ってウンチをする。そのお菓子をお店のお婆さんが平気で主人公にお茶といっしょに出すのである。

こういう描写が際立っていてすごいと思う。

同じく『坑夫』では、揚げ饅頭にものすごい数の蠅がたかっているのだが、それを平気で客に出すこれもお婆さん。主人公はついついそれを食べてしまって、「うまい」などと思ってしまうのだが、これも唸ってしまうほど上手である。

岡崎乾二郎が引用している箇所とはなにも関係がないんだけどね。

さて、わたしは、来週から始まる「Art Cocktail 2019」のキャプションを作らなければならない。どんどんデータが送られてきて、作品も届き始めているので、明日から、少しずつ、作品を紹介することにする。

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2019年3月29日 (金)

ステップス 9年目に入ります

今日は、2019年3月29日であるが、あと1ヶ月すると、ステップスギャラリーは9年目に入ることになる。

2011年の10月に倉重光則展でスタートしたステップスだったのだが、スペースを借りたのは5月1日からだったのである。

いやはやあっという間である。

ギャラリーを始めて、わたしは考え方がずいぶん変わったところがある。

ギャラリーのもつ役割について、そして美術作家のイメージというか、あるべき姿というのか、どこを、何を目指していくのかという、作家として、どういう風に生きていきましょうかという現実的な問題である。

若いころはどう思っていたのかというと、まず、作品を発表したい、個展をやりたい!とそれだけだったかな。いろんな人に見てもらって「デビュー」するのだ!と意気込んでいた。見てもらうといっても、実際にどんな人に見に来てもらえるのか、どんな人を予想していたのか…その辺はあやふやである。知り合いが見に来て、いいねとかすごいねと言ってもらいたかったのかなあ。合格点が欲しかったんだね。なにが「合格」なのかはわからないんだけど。

しばらくすると、グループ展から声がかからないかなあ…と思い始めて、どこからもお呼びが無いので、自分で企画を始めたりし始めた。

発表を続けていくと、次第に知り合いも増えていき、吉岡まさみは「作家さん」になっていくのだった。

よし、このままがんばって、個展で認められ、いずれは美術館にも呼ばれたりして、「売れっ子」になって、海外でも展覧会をするのだ!と意気込んで、一生に一度でいいからニューヨークで7個展をやりたいと思って、実際に3回もやってしまった。

しかし、今現在は、わたしの「目標」はずいぶん違ったところに照準を合わせるようになってきたと思う。

個展とか展覧会はむやみやたらにやらない。

グループ展とかもいきり立ってがんばったりしない。

展覧会を見に来る人が少なくっても気にしない。見に来たい人が見に来ればいいので、だれでもいいから来てほしいとは思わない。

有名になりたいとは思わない。自分が本当に納得できる作品ができればそれでいいのだと言い聞かせる。

静かにゆっくり作品を発表する。作品がよければ、作品が人を呼ぶはずである。

目指すのは「完売」である。見に来てくれた身近な人たちにも買ってもらえない作品て、どうなんだろう?作品が売れると、認められたような気がする。いくらほめられても売れないのではしょうがないのである。

てな感じに考えている。

海外の展覧会も最近はとても億劫になってきているから、とにかく無理をしないで欲張らずに、流れにまかせていくのがいいなあ…

とりあえず日本でがんばろう。

岡崎乾二郎は『抽象の力』のなかで、こんなことを言っている。熊谷守一についての文章である。

「海外に一度も出なかったにもかかわらず、こうした能力を守一が持てたのは奇跡的な事柄です。しかし、守一の存在を考えることによって日本で絵を描くことの意味、日本の近代絵画史の理解はまったく大きく変貌するように思えます。それは芸術作品の潜在的構造、可能性が場所に限定されずに開かれたものであることを示しています。少なくともぼくにとって、熊谷守一の仕事に出会うことによって日本で絵を描くこと、日本で画家になることへの勇気が与えられたことは確かです。」

 

来週は小出恵理奈展

思えば、小出さんとの付き合いも長くなったなあ。彼女がまだ多摩美の学生だったころからのつきあいである。

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彼女の「抽象の力」を見に来てください。

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