2021年9月16日 (木)

ミラン・トゥーツォヴィッチ回顧展

一週間前、ミランが学生時代に作った彫刻作品の除幕式が行われました(ミランは大学では彫刻科にいたのです)。セルビアのボジェガにあるミランが卒業したエミリア・オストイッチ小学校に設置されました。彫刻はセルビアのノーベル賞作家、イヴォ・アンドリッチの肖像です。石膏像をボジェガ市が資金を出してブロンズ像にしたそうです。

詩人のヴォイスラヴ・カラノヴィッチの司会で、いろんな人がミランの思い出を語っています。

映画評論家、スルジャン・ヴチニッチ

翻訳家、山崎洋

詩人、山崎佳代子

民謡歌手、ラディシャ・テオフィロヴィッチ

https://www.youtube.com/watch?v=Rza4hziaCUQ

最後は、ミランの娘さん、ヨヴァナとボヤナがアンドリッチの言葉を刻んだプレートを台座に取り付けて終わったようです。

男の子と女の子がパフォーマンスをしていますが、男の子がミラン役。

回顧展も行われます。9月23日から、ベオグラードのセルビア国営放送局ギャラリーで。

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2021年9月14日 (火)

宮田徹也の纐纈令展評

 

未来の想起と、過去への振り返り。 纐纈令 2021/09/13-18 steps gallery Criticism by MIYATA Tetsuya Vol.302

纐纈令は、ステップスで古くから活躍する「最若手」だと認識していたが、オーナーの吉岡は纐纈と逢って10年だとブログに書いていた。纐纈の個展も積み重なってきた。
これまで纐纈はインスタレーションやコードを用いた作品など、毎回異なる発想を試行錯誤した作品を発表し続けていた。今回の作品は、久しぶりの「絵画」である。仕事を辞めて暇になって思いのままに画廊に滞在する纐纈に話しを聞くと、今回の作品はSNSから着想したという。私は今回の纐纈の作品を見て現代というより、むしろ70年代の日本のポップアートを想い起していた。訪れた月曜日は、私は高校で授業をしていて、その日私はデザインの歴史を教えていたからかも知れない。色や形だけではなく、纐纈の作品が持つ雰囲気がそうさせているのだ。だからといって、「古臭い」とは感じない。吉岡のブログに書いてある安部公房『箱男』からのインスピレーションを、私は纐纈から聞かなかった。纐纈は、様々に考えているのだろう。人間の最先端の発想とは、テクノロジーやメディアに左右されないのではないかと考えた。この日私は高校や画廊の移動中、島田荘司『ゴーグル男の怪』(2011)を読んだ。珍しく小説の理由は、2018年に本書が文庫化された際に、私にこの本読んでと薦めてくれた大阪芸術大学の中野圭さんが「あとがき」を加筆しているからだ。幼少期の性的虐待と原子力発電所の臨界事故に遭遇した主人公を中心に、中盤から登場した煙草屋の婆さんを殺した美女がリンクする物語である。島田は実際の原発事故に基づいて、物語を着想したのであろう。中野さんは解説で、黒澤明、M・デュシャン、A・ヒッチコック、映画《犬神家の一族》《ツイン・ピークス》《ドグラ・マグラ》、シュルレアリズムの手法、「デペイズマン」「モンタージュ」等の、視覚的要素を用いている。図版なしで視覚的要素を語るのは、スマフォでの検索を前提にしてはいるのだろうが、とても新鮮な印象を私は受けた。二つの意味で、私はこの影響を受けた。一つは、今回の纐纈の作品が、箱という立体を絵画に織り込み、実際に箱の作品もあって、立体も平面もイメージの中では同じではないかという着眼点である。もう一つは、日本語に限らず、根本的な言葉によって組み立てられる思想と視覚的要素の乖離である。難しい意味ではない。想像してから見ることと、見てから想像することの差異。ここには未来の想起と、過去への振り返りも含まれている。(宮田徹也|日本近代美術思想史研究)

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2021年9月13日 (月)

箱男

今日から纐纈令展。

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今までは、コンセントシリーズや、インスタレーションなどのバラエティー溢れる作品を発表してきたが、今回はすべて絵画である。

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左側の作品は「BOX」木にアクリル 21.0×15.0×15.0㎝ 2021 ¥8,000

本棚として使える。文庫本が入っている。小松左京の本と安部公房の『箱男』。じつは今回の絵画作品のテーマは、『箱男』からヒントを得ているらしい。纐纈にとっての箱とはなにか、と考えながら見ていくと面白いかもしれない。

「Dig #0」キャンバスにアクリル 116.7×116.7㎝ 2021 ¥600,000

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9点連作の「Dig]シリーズ。

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「Dig #6」木にアクリル 30.0×30.0㎝ 2021 ¥50,000

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「汎愛箱」紙にアクリル 42.0×29.7㎝ 2021 ¥60,000

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『箱男』は、段ボールで作った箱に入ったまま生活する男の話だが、男は、覗き穴から外を見るのだが、箱の外の世界の日常風景は、覗くという行為によって、見え方が変質していくわけだが、いつか、見る立場から見られる側に逆転する怖れがある。

事務所には「i can not die」のシリーズを並べた。

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纐纈君は毎日在廊。時間は不定期です。

車谷長吉を読んでいるが、この人は、なんか飾らなくていいんだよね。

「貧乏人の方が気が楽だ、という思いが強かった。世の中を見ていると、高い収入を考える男には、碌な奴はいない。」

「あなた、自分で自分のこと偉いと思っていらっしゃるでしょう。そこが、あなたが駄目な男だっていう決定的な証拠ですよ。」

読んでいない本が溜まりつつあるのだが、昨日また買ってしまった。

志村五郎『記憶の切繪図』(ちくま学芸文庫)

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数学者、志村五郎の自伝。

わたしは評伝、自伝の類がやたら好きである。

山形東高の同窓会からのメールで、このテレビ番組を見逃すなという案内が来た。

9月20日(月)22:00から。BSテレ東の、なんていう番組名か忘れてしまったが、東高が紹介されるらしい。

 

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2021年9月11日 (土)

纐纈令 展

纐纈令。コウケツ リョウと読む。

来週はリョウ君の個展である。

今から10年前、大学生だった彼はギャラリーを訪ねて来て、個展がやりたいんですと言いながら、ナップザックの中からキャンバスに描いた作品を取り出して見せた。横浜美術大学の2年生だったか3年生だったかである。そして学部在学中に初個展をやった。

なんだか懐かしい。あれから10年経った。

纐纈が学生だった時、おそらく金澤麻由子は横浜美大で講師をしていたはずである。

みんな年を取るのである。

纐纈令 展

9月13日(月)ー18日(土)

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不思議な写真であるが、黒マントの男が手に持っているのが作品である。

この写真のような人物が入った作品ではない。案内状用に作ったのである。

どんな作品なのか、わたしも知らないのだが、面白い作品を持ってくるに違いない。

作品を作るのは、本当に時間がかかる。でも、そこがいいんだよね。デジタルで簡単にできてしまう作品は、飽きてしまう。人間臭さというのが、これから増々大切になっていくのさ。

「近代社会の便利を求めるという考え方が、何より気に喰わないのである。自家用車などは以ての外のことである。だから私は運転免許証を取ろうと思うたことは一遍もない。楽をすれば、人間性が駄目になるのである。」(車谷長吉「杉並区」)

勝又豊子論を書き終わった。勝又は、今年Stepsとアズマテイプロジェクトで個展を開いたが、この2回の個展のまとめとして、簡単なカタログを作る。で、テキストを書いてほしいと言われたのでがんばって書いた。たぶん今年中にできると思う。Stepsでも配布できると思うので、ご希望の方は声をかけてください。

原稿を書くのって楽じゃないのよ。

 

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2021年9月 9日 (木)

「よーいドン!」

金澤麻由子のテレビ出演のお知らせです。

関西テレビなので、関東地区の人は見られないのですが、関西地区の方はぜひご覧ください。

9月15日(水)午前 9:50-11:15 関西テレビ

「ごきげんライフスタイル よーいドン!」という番組の中の「となりの人間国宝さん」というコーナーで、人間国宝に認定されたようです。朝の人気長寿番組らしいです。

フィギアスケートの織田信成さんがインタビューします。

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☆展覧会

「倉重光則展」

9月23日(水)・24日(木)・25日(土)・26日(日)・10月2日(土)・3日(日)・9日(土)・10日(日)・16日(土)・17日(日)

14:00-18:00

アズマテイプロジェクト(横浜市中区長者町7-112 伊勢佐木町センタービル3階)

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2021年9月 7日 (火)

宮田徹也の金澤麻由子評

探し物をしよう。 金澤麻由子 2021/09/06-11 steps gallery Criticism by MIYATA Tetsuya Vol.301

金澤麻由子は関西のアーティストで、東京ではステップスギャラリーで個展を開催している。金澤はメディアアートを制作・発表すると共に、絵本も手がける。今回の個展は、ギャラリーに入って正面と右に三つ、相互作用する映像を投影した。このタイプの作品を金澤は、2014年に東京都現代美術館で発表している。今回はその進化系であると言う。右壁面の2つは画面の前で鑑賞者が立つと、画面中にも鑑賞者が現れる。鑑賞者が手を上に掲げると、影像の中には上から花弁が落ちてくる。正面の画面の前に立つと、画面中の目玉に立った者の顔が嵌め込まれる。
今年の7月に、ステップスギャッリーでトウシヨクがオンラインを意識した作品を発表した。金澤がオンラインを意識したか聞き忘れたが、私は、ここに一つの希望を持った。金澤の相互作用映像は、トウシヨクがMTGを暗く、不気味なものとして示したタイプではない。かといって、ニンテンドーWiiのようなゲームでもない。ゲームにはまず「ルール」がある。サッカーで手が使えないように、野球は九回までと、必ず限定されている。それに加えて「ジレンマのストレス」がある。ゲームは簡単では飽きてしまうし、難し過ぎるとやらない。このような仕組みは、金澤の作品には、ない。どうにでも楽しむことが可能なのだ。ここに、私は希望を見る。幹、葉、花も素敵だ。金澤は画廊右壁面に、絵本『きみのなまえ』の原画をギッチリ展示した。それは入り口のバック、事務所の壁面のパグ、事務所の机の絵本とポストカードも同様だ。ギャラリーに、金澤の森が形成された。探し物をするといい。

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2021年9月 6日 (月)

ふきよせいろは

今日から金澤麻由子展スタート。

昨日は一日がかりで搬入。

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作業をしているのは映像設営のプロ、田中さん。

ふきよせいろは、というのは、映像画面の前で、手を挙げたり動いたりすることで、画面に葉とか花とか、いろいろなものが現れる仕掛けである。

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本人も映り込む。

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この作品は東京都現代美術館で発表したものと同列のもの。ステップスでは壁の3面を使い、プロジェクターも3台設置。10メートルくらいの量だが、現代美術館のときは50メートルの長さがあった。

ギャラリー内には絵本の原画が飾られている。最近出版した『きみのなまえ』という本。¥1320。

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事務所には小品。全部で48点あったが、吉岡が38点に減らした。

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グッズもたくさんある。

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わたしが気に入ったのはこれ。

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おくすり手帳や病院の診察券などを入れるケース。

さっそく使おう。

 

 

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2021年9月 4日 (土)

金澤麻由子の映像

今日で古川巧展が終了するが、この作品!

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いきなりレアな作品になってしまった感があるね。なんというタイミングであることよ。

来週は金澤麻由子展。

彼女は元々映像を得意とする作家で、大がかりな作品を展開してきたが、ステップスでは、絵本作家という面を強調して紹介してきた。映像も見せてきたが小さいものだった。今回は映像を主として見せることになりそうだ。

映像が主なので、絵画作品は少ないだろうなと予想していた。宅配便で送られてくる作品もせいぜい2~3箱かなと思っていたら、先ほどクロネコのお兄さんたちが汗だくで運んできた。全部で13箱あった!

やっぱそうか。金澤を甘く見てはいけないな。

搬入は明日の予定。

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DMの作品は東京都現代美術館でのもの。

作家は毎日在廊します。

展覧会

☆木嶋正吾展

9/9(木)ー21(火)水曜休廊

コート・ギャラリー(国立市中1-8-312)

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9月1日(水)

今日は眼科に目薬をもらいに行くだけの日。せっかく行くんだから帰りに本屋に寄ろうと思いながら電車に乗る。ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』を読みながら新宿まで。いつものようにつけ麺を食べてから病院に行く。つけ麺飽きない。

『ブリキの太鼓』…主人公のオスカル怖い。

帰りに神保町に寄り道して、東京堂書店へ。この本屋さん好きである。ポップを書いている本屋さんて最近では少なくなってしまったのではないかなあ。ポップを出しているということは、かなりの本通店員がいるということである。安心できる。

ハンス・ベルメールの評伝が棚にあるのを見つけて開いてみた。写真がいっぱいで、内容もかなり面白そうだったが買わなかった。すごく欲しかったが買わなかった。5000円だったから。しかもずっしり重いし、電車の中では読めないと判断したからだった。まあ、いつか買うぞ!と思いながら文庫本のコーナーをうろうろして、4冊も買ってしまった。でも、4冊合わせてもベルメールよりはるかに安いのだった。

小谷野 敦 『谷崎潤一郎伝』(中公文庫)

大木金太郎(太刀川正樹・訳)『自伝大木金太郎』(講談社+α文庫)

村田喜代子『エリザベスの友達』(新潮文庫)

車谷長吉『妖談』(文春文庫)

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大木金太郎の頭突きは懐かしい。アントニオ猪木が、大木さんの頭突きは本当に痛かったと言っているのが面白い。

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2021年9月 3日 (金)

宮田徹也の古川巧評

現状と未来に警告を響かせる。 古川巧 2021/08/30-09/04 steps gallery Criticism by MIYATA Tetsuya Vol.300

古川巧、ステップス3年振り2度目の個展である。古川の略歴や作品の特徴などは、この連載の210号を参照して欲しい。今回、古川は愛猫を亡くした悲しみを作品の動機とした。入り口には猫の写真が三枚、展示されている。ギャラリー入って右と正面の壁面には、騒然と小品が並んでいる。左には大作が、背後に当たる部分には中作が展示された。事務所にも何点か。40点以上ある。
私も13歳から25歳の時に、猫を飼っていた。ゴキブリがでて殺虫剤を撒いた次の日、呼吸困難に陥り、絶命した。その時から私はゴキブリが出ても、絶対に殺虫剤を撒くことを止めた。猫を失った悲しみは深い。私の場合は、私が寝るとよく布団に入ってきて、私の胸元で蹲るのだ。思い出しただけで悲しくなってくる。そのような経験があるので、私にも古川の気持ちが良く分かる。
ここに出品されている全ての作品が、古川の猫である。具体的に描かれているもの、抽象的になってしまったもの、形姿が猫に見えないもの、時の総理大臣に見えるものも、全て古川の猫なのである。古川は飼い猫の全てを知っている。素早く動く姿、日向ぼっこしてのんびりしている姿勢、腹ペコになりご飯を貪る状態、寝姿など。その記憶をフルに生かして、様々に現象する飼い猫を描いている。
猫自体も、姿を変えることが出来る。所謂、化け猫である。猫は恐ろしいいき物だから、よく女性に譬えられる。猫みたいな男、とは言わない。化け猫をウキペディアで調べると、様々な逸話があるが、引用しない。私が思う化け猫とは、人間への思いからそうなってしまった状態を指す。すると古川の化け猫は、古川に対して愛があるからこそ、ここで化け猫と化したのではないかと私は感じている。
古川は化け猫を化け猫として描くのではなく、様々に変容する絵画として成立させた。これは古川の愛情が一方的ではないことを示している。つまり古川の自己満足ではなく、古川の愛と、猫の思いが一体化し、作品として成仏したのだ。成立と成仏、似たような言葉であるが、全く異なる。「天に召された」という西洋的な発想ではなく、全く異なるものへ、ヘンゲしたと私には感じるのである。
だから古川のこの作品群は、単なる「絵画」の議論に留めることはできないのだ。古川の作品は常に「絵画」の約束の枠に留まっていない。なぜか。「絵画」は自由な筈なのに、その枠に留まっている。それを、乗り越えていかなければならないからだ。すると、今回の作品群もまた、愛猫、化け猫との古川の関係という枠を飛び越えて、この悲惨な現状と未来に警告を鳴り響かせているのかも知れない。

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2021年9月 2日 (木)

気になるコマーシャル

 テレビコマーシャルで気になっているのがある。ソニー損保の自動車保険がそれである。このコマーシャルはいろいろなパターンがあり、パターンごとに、出演しているタレントや俳優も違っている。わたしが注目したのは、役所広司が出ているもので、3種類あるようだ。テレビを真剣に見ているわけではないし、BGMがわりにつけているだけなので、記憶は曖昧なのではあるが、それでも、気になるというか、妙な違和感を感じているコマーシャルなのである。

 ガソリンスタンドの店員をしている役所広司。車の窓を拭きながら、お客さんの車を品定めしながら、保険はソニー損保ですか?と訊くと、そうだと答える客に、そうでしょう、そうだと思ったんですよと持ち上げる。いい車に乗っているから、保険もいい保険だろうというわけである。店員の役所広司自身はどんな車に乗っているのだろうか。いや、車を持っているのかどうかも怪しい。しかし卑屈になるわけでもないし、今の職業に不満を感じているわけでもないようである。にもかかわらず、違和感を覚えるのは、役所広司の演技が上手すぎるからだろうと思う。役所広司本人の年齢と人柄が、ガソリンスタンドの店員という設定に合わないのである。もしこれが、役所広司でなく、出川哲郎が店員役だったら、たぶん違和感はなく、このコマーシャルを、へえ…とすんなり受け入れられると思うのだ。役所の演技が店員を百点満点の演技でこなしているわけだが、だからこそ、その内面を隠しきることができないのだ。

 その表情には、こんなニュアンスが込められてしまっている。俺は、本当なら大学を出て一流企業に勤めることだってできたんだ。やれることは他にもいくつでもある。商売を始めたらけっこう繁盛するだろう。ただ資本金がないだけなのだ。才能があるのに、それを生かしてくれる環境がなかっただけである。しかし、今のこの仕事に文句はない。それなりに充実した生活を送っているし、この歳まで無事に生きて来られただけでも幸せではないか。と考えながら、遠くを見つめる。その目は充実感というよりも、人生の悲哀を感じさせるのである。

 プロレタリア文学である葉山嘉樹の『海に生くる人々』を読んで、その中に出てくる船乗りたちのことを思い浮かべる。船の中の過酷な労働に打ちひしがれた人たち。彼らの表情を思い浮かべてみるのだが、かれらも役所広司のように遠くを見つめているのではないか。今の生活に不満を溜めながらも、そこから逃れられない絶望とともに生きていくしかない諦めの表情なのである。

 役所広司とこの店員役はどこかずれていてしっくりこないのだが、コマーシャルを作ったプロデューサーは、そこまで見越してこういう設定をしていると思う。

 どういうことかというと、このコマーシャルを見ているわれわれが、違和感を感じながらも役所広司に感情移入できるようにしてあるということなのだ。

 一億総中流と言われた時代から、われわれは格差社会に突入している。一握りの富裕層に入れないわれわれは下層民であり、プロレタリアートなのである。

 ソニー損保のコマーシャルは受ける。コマーシャルに隠された別のメッセージをわれわれは読んでいるはずだ。

 車を誘導する警備員に扮した役所広司も、事故みたいですよ、ソニー損保、すぐ来るんですねと話しかけながら、その目は事故ではなく、さらに遠くを見つめる。

 自動車整備士になった役所広司は、休憩時間にコンビニ弁当を食べながら同僚とおしゃべりしている。レッカーがタダだってよ、と噂しながら、まずそうなコンビニ弁当を美味そうに食べる。

 コンビニ弁当が食べたくなった。

 

 

 

 

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