2018年2月19日 (月)

村松英俊の大理石

今日から村松英俊展スタート。

大理石を彫った彫刻が5点。

「Ice tongs」 氷挟み・大理石 20×25×90cm 2017 ¥150,000

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氷屋さんで使うあれですね。白い部分が大理石である。

「Bell」 ベル・大理石 10×15×30cm 2017 ¥100,000

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「Hand pump」 手押しポンプ・大理石 80×80×110cm 2016 ¥300,000

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これに見覚えがあるという人は少なくなってしまったかもしれないな。

「Sewing machine」 ミシン・大理石 20×30×25cm 2016 ¥300,000

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これもかなり古い物件である。

「Top」 独楽・大理石 6×6×6cm 2017 ¥50,000

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古い物の一部を大理石で作って、本物と入れ替える。それだけのことである。

それだけのことが、わたしたちにいろいろなことを考えさせる。それは物質という要素が変化することによる違和感と新鮮さであり、古いものが持つ時間性と、現在を表わす大理石との融合によるノスタルジーであったりするかもしれない。

今週の展覧会は、東北芸術工科大学による卒業生支援プログラム「アートウォーク」の一つとして開催される。銀座周辺の16のギャラリーがそれぞれ推薦する作家を紹介するものである。

ステップスが村松君を選んだのは、単純に「面白そう」と思ったからである。

彼は、このままずっとこういう方法で制作を続けていくのではないだろう。

この先、彼は、全く違うテーマで作品を作るときが来るだろう。

そのときの飛躍を期待させるに充分な力量を持っているとわたしは評価したわけである。

ぜひ見に来ていただきたいと思います。














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2018年2月16日 (金)

バルール

2月14日(水)

女子医大眼科の診察日。名前を呼ばれて診察室に入ると、あら陳先生。12月にカナダに戻ったばっかりなのに、もう日本に来ているのね。陳先生は年に5~6回、日本とカナダを往復しているに違いない。

先生の後に「学生さん」が緊張して座っている。女子医大の5年生だそうである。実習らしい。学生といっしょに座っていると、陳先生も貫禄がある。

この間の検査結果を説明してくれる。眼底や視野には変化がないから心配することは特にないらしい。

「検査いっぱいでたいへんだった?でもね、検査はまとめてやったほうがいいの。検査は同じ日なら何回やっても同じ値段だから」

いろいろと配慮してもらっている。

途中で、他の患者さんの薬のことで呼ばれたり、プリンターがおかしくなって、事務の人を呼んで直してもらったりとかなり慌てている。

「ごめんなさいね。せっかく早く呼んだのにこんなに時間かかっちゃって」

4月に予約を入れて病院を出る。

2月15日(木)

セルビア大使館。今日はセルビアのナショナルデーなのである。

開始時間の少し前に到着したが、大使館はすでに満員御礼状態だった。大使館て100人はお客さんが来ても大丈夫なくらいに広いのだが、今日は280人招待しているそうである。

このあいだ、安部首相がセルビアを訪れたこともあって、外務省関係者がたくさん来ているようである。

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大使の挨拶のあと、外務副大臣の挨拶。そして乾杯。

人が多くて、ワインと人に酔ってしまった。知り合いも何人か出会った。

料理や飲み物もたくさん用意されていたが、なんだか圧倒されてほとんど食べなかった。

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ブランカさんがいた。

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ブランカさんは6月にステップスで写真の個展をやることになっていいる。

ユーゴスラビアのときはナショナルデーは11月29日だったんだけど、セルビアになってからは2月15日になったという話をしてくれた。どういう日なのかはわからない。

少し早めに大使館を出て、ギャラリーに戻る。

久しぶりにネクタイをして、たくさんの人に会ったので、ものすごく疲れてしまった。

こういう、人がたくさん集まるところは苦手だなあ。

ギャラリーでパーティーを頻繁にやっているのに何なんだけど、やはりわたしはパーティーが苦手である。

私の作品であるが、DMを作らなければならないので、1点だけ完成させる。

彩色が終わって、最後の彫刻刀を入れているところ。

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で、これが完成作。

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色を塗るのに時間がかかった。なんでこんなに時間がかかるのだろう?と考えてみると、あ、そうか、バルールを調整しながら色を作っているからだ、とすぐに判明。

バルールってなんのことかわからないでしょ?美術用語なのよ。バルールは英語で言うとヴァリューのこと。マクドナルドのヴァリューセットの、あのヴァリュー。価値があるってことね。

色価と訳されている。まあ、色の強さということだ。画面の中の色の強さを平均化させることをバルールを調整するという。

話は飛ぶが、オリンピックのカーリングで、天井からのカメラでレーンを見てみると、円が2本描かれていて、小さいほうが赤、大きいほうが緑青である。逆ではない。バルール調整をしてあるのである。

これって、言葉で説明はできるけど、ちゃんとわかって納得するには、実際に絵を描いてみるしかない。実作をして、筆で絵具を画面に塗ったときに、あ、今バルールが合ったと納得できるのである。絵を描かない人にはわからない。デザイナーはバルールを重要視しているはずである。

バルール論は評論家には書けない。だって絵を描かないんだもん。

そのうちわたしが書こう。あ、前にやった「色彩学概論」に、バルール論を入れていこうっと。来年にでもレクチャーやろうかな。

レクチャーといえば、来週2月22日(木)に村松英俊展のなかで、「略歴を書く」というレクチャーをすることになっている。

村松英俊 展

2月19日(月)-24日(土)

日常で見かけるいろんなものの一部を大理石で置き換えるという面白い作品を作っている。京都に住んでいるのだが、会期中はずっとギャラリーに居る予定なので、作家の話を聞きながら作品を見てください。

レクチャー

2月22日(木) 18:00-19:00

入場無料・予約不要

「略歴を書く」

講師は吉岡

略歴の書き方や、DMの作り方、作品の素材やサイズの表示など、細かいところを解説します。コンセプトという言葉の誤用についても解説します。作品にコンセプトなんてないからね、ということを話します。

去年も1回レクチャーをしたので、そのときと同じ話です。このあいだ聞いた人は来なくていいからね。

先週、笠間の藤本均定成さんがギャラリーに来たときに、コンセプトという言葉について話したときに

「それは絶対コンセプト論を書くべきだよ」

と言うので、わたしはちょっとその気になっているところである。今年書いてみようかな。

先週は勝又さんが来たときにわたしの新作を見て

「吉岡さんのDMわたしが作る」

と言うので、勝又さんに作ってもらうことになった。

しばらくして倉重光則も現れた。

すると勝又さんはこのときとばかりに

「あんたさ、煙草吸ってるでしょ?」

と詰め寄る。そういえば、先月の倉重の個展のときに禁煙宣言をした倉重だったのだが、あれってまだ継続中なんだ…

「吸ってないよ」

「吸ってるよ。だってときどきふっと居なくなるじゃん。吸ってるんだからわたしに2万円ちょうだい」

倉重は煙草を吸ったら勝又さんに2万円払うことになっているのだ。

「はい、2万円払って」

「だって、まだ見つかってないじゃん」

倉重は語るに落ちるという言葉を知らないようである。

さらに

「吸ってないんだから、おれに2万円ちょうだいよ」

などと小学生みたいな非論理的な要求を出してきたりする。

こういうときは言葉を差し挟まないで、離れて見ているのが正解である。

なんだか、だらだらと書いてしまったが、こういう書き方をするとわたしは満足なのである。








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2018年2月13日 (火)

捨て身で生きる

俳人の石川桂郎は、自由律俳句に批判的であった。それなのに、山頭火について書いている(『俳人風狂列伝』)。

山頭火の残したメモにこんなものがある。

古池や蛙とびこむ水の音

ーーー蛙とびこむ水の音

ーーーーーーーー水の音

ーーーーーーーーーー音

これを読んで、石川は「すこし解ったような気がする」と書いている。

『俳人風狂列伝』は11人の俳人の人柄と俳句を紹介している本である。ここに出てくる俳人は、みんな奇人と呼ばれてしかるべき人たちばかりである。

もちろん山頭火もその中に入ってくるのは当然ではあるのだが、評価していない自由律俳句の作家を取り上げる石川の正直さというか、何でも真正面から挑む気構えというのか、あるいは俳句に対する謙虚さというのか、そういうところが魅力でもある。

どうしようもないわたしが歩いてゐる

という有名な句にも

「-あまり感心しない。さてどうしようか、どう暮らすべきかという迷いの本音が句のあとにあって、この句はその前ぶれ程度でしかない。」

と厳しい。

しかし、石川は、書き進めるにしたがって、次第に自由律俳句の目指しているもの、人生に対する態度、その魅力に気がついていくのである。

死ねない手がふる鈴をふる

の句に対しては、こんなまるで自由律俳句の専門家であるようなことさえ言い始めるのである

「いつの間にか自由律俳人化した目に、下五の「鈴をふる」の「をふる」が無駄にみえてならないのだ。芭蕉の「古池や」の句を、「--音」とまでした彼が、「鈴」で止めないのは迂闊千万ではないか。」

わたしは、石川が、自由律俳句に対して次第に態度を変えていく過程が興味深かった。

自分はこうである。私はこういう考え方をしている。これが正しいと思っている、という固定観念をいとも簡単に(そう簡単ではないのかもしれないが)突き崩していくその柔軟さと思い切りのよさに惹かれる。

自分はこの道を行くのである、というわれわれの決心とか信念とか、そんなに思いつめて守るものではないのかもしれない。

この本の解説を高橋順子が書いているのだが、そのなかで彼女はこんなふうに自由律俳句について語っている。

「何もかも捨てて放浪した人は定型をも捨てたのだろう。捨て身で生きていくのがよい。自由律の俳人は、季語の代わりに彼の人生を据えなければならないのが厳しいところだ。」

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2018年2月10日 (土)

土曜日のパーティー

2月10日(土)

On the Steps 2018のパーティー。15:00から。

だれも来なかったらどうしよう。5人くらいでひっそりと強いお酒を飲むのも悪くはないじゃん、と思っていた。

15:00過ぎになったらボチボチとひとが集まってきて、セルビア人グループも現れて、賑やかになった。

若い作家も来てくれている。

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セルビアのソフィヤさん本人は来ていないのだが、お姉さんと旦那さん、その知り合いの人が来てくれたりして、セルビア人だけで6人いたかな。なにかあるとこうやって集まってくれるのがセルビア人なのであった。

作家一人ずつ自己紹介と、作品の説明をしてもらったあと、乾杯。乾杯はセルビア語でジヴェリ!とみんなで唱和する。

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ソフィヤさんのお姉さんが、セルビアのロールケーキを差し入れてくれた。

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今回の作家はほとんどが20代なので、なんか雰囲気がすごく若くていい感じである。

今18:00なのだが、じつは、まだ何人か残って飲んでいる。

若い作家だと、何時まで居残っていても気にならないのは不思議である。

このまま、みんな作家活動を続けて、いい作品を作っていってほしい。

そして、いつかビッグになってもらって、ステップスが儲かって、わたしは贅沢な生活を送るのである。




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2018年2月 8日 (木)

puzzle

ギャラリーでお客さんが途絶えたときを見計らって、こそこそと作品作りに励んでいるのだが、進捗状況は思わしくない。少し焦っている。本気でがんばらないとまずいことになると思う。

今日は1点だけでもシールをはがすところまでやってみようと思った。

これは、下塗りが終わって、さらに本塗りまで進んだところである。

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シールに沿って彫刻刀を入れる。

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そして、シールをはがす。

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そうすると、こんな具合になるわけである。

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シールをはがしたピンクの部分に、また色を塗っていく。2回塗り。それが終わったら、仕上げの彫刻刀を入れる。この彫刻刀を入れていく作業がとても難しいという事に気がついて愕然としてしまったところである。

この大きさのパネルが10枚ある。もうひとまわり大きいパネルが10枚。さらに大きなのが2枚ある。

こうなったらもうなりふり構わずに制作していくほかはないようである。

この作品のタイトルはpuzzleというのだが、制作過程もpuzzleになりそうだ。

このところ、読書も滞っていて、なかなか進まない。読むスピードが落ちてきたのかもしれない。夏目漱石の『坑夫』が面白くてじっくり読んでいるせいかも知れない。

アイン・ランドの『水源』は重くても電車で読むしかないような気がしてきた。

石川桂郎 『俳人風狂列伝』もはやく読みたい。

読むべき本はまだある。

ミシェル・ウエルベック 『闘争領域の拡大』(河出文庫)

ECD 『他人の始まり因果の終わり』(河出書房新社)

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時間がほしいなあ。





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2018年2月 5日 (月)

On the Steps 2018

2月4日(日)

On the steps 2018の搬入。11時からスタート。森君と大塚さんと3人で始める。全部で50点以上の作品があり、キャプションを作るのが大変だったなあ…

大塚さんは「おめでた」で今6ヶ月ということ。大丈夫なのかなあと心配したが、本人は元気である。

来ることになっていた江川君が姿を現さないので電話してみると

「え?今日でしたっけ?」

と寝ぼけた声が聞こえる。まあ、よくあることである。これから向いますとのこと。

昼過ぎに大塚さんが帰ったので、森君にお弁当を買ってきてもらって、ふたりで食べる。

3時に森君が帰り、しばらくして江川君が登場。

5時ごろようやく展示作業が終わる。

On the Steps 2018

2月7日(水)-17日(土) 日曜休廊

12:00-19:00(土曜日は17:00まで)

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左が森君で、右がソフィヤさん。

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左が坂本さんで、右が大塚さん。

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左が江川君、右が松尾さん。

森 彬博 「Snow Building」 キャンバスに油彩 18×18cm 2018 ¥20,000

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ソフィヤ・ルジッチ 「Conversation」 リトグラフ 39×28cm 2015 ¥80,000

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坂本 美紗希 「by your side 4」 綿布・綿オーガンジー・綿糸・反応染料・顔料 15×15cm 2017 ¥20,000

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大塚 麻美 「見知らぬ山」 和紙にインク・アクリル 30.7×45.2cm 2018 ¥50,000

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江川 真嗣 「boy Ⅱ」 木に水彩・アクリル・水干絵具 22.7×15.3cm 2018 ¥25,000

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松尾 夕姫 「frrajile」 ミクストメディア 45.5×38cm 2018 ¥30,000

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パーティー:2月10日(土) 15:00-17:00

坂本さんは武蔵美の助手をしていて、今大学の入試なので来れませんが、他の日本人作家はみんな来ます。松尾さんは大阪から駆けつけてくれます。ソフィヤさんのお姉さんヨヴァナさんもつくばから来てくれます。筑波大学に勤めているイェレナさんも来るかな。

ワインとおつまみを用意してお待ちしています。

2月5日(月)

新宿の眼科で診察。

帰りに支払いをしようとしたら、受付のお姉さんに

「これ、この間いらっしゃって財布をぶちまけたときに落ちていた50円です」

と言って小さなビニール袋から出した50円玉を渡された。

財布をぶちまけたっけなあ?覚えていない。でもわたしは財布を「ぶちまけて」しまうことがよくあるので、この50円はわたしのものなのだろう。会計で1150円です、と言われたので、千円札を1枚と100円玉を一つ出して、

「あとはこの50円を使えばいいよね?」

などと間抜けなことを言ってしまった。

さて、配布をぶちまけるというのはどういうことかというと、お札ではなくて硬貨をこぼしてしまうということであろう。お札が財布からひらひらと、あるいはどさっと抜け落ちても「ぶちまける」とは言わないはずである。硬貨がざくざく財布に入っていて初めて「ぶちまける」という行為が成立するのである。どういうことか。わたしの財布には小銭ばかりがあり、お札はほとんど入っていないという事実を露わにするのである。

小銭しか持っていない。つまり貧乏なのである。財布をぶちまけるということは、貧乏人だけに許された行為といえよう。

しかし、みなさん、小銭は大切なのである。硬貨をおろそかに扱ってはいけない。

夏目漱石 『坑夫』の主人公は

「旅費は無論ない。一厘たりとも金気(カナケ)は肌に着いていない。のたれ死を覚悟の前でも、金は持ってる方が心丈夫だ。況(マ)して慢性の自滅で満足する今の自分には、たとい白銅一個の草鞋銭(ワラジセン)でも大切である。」

と言っているではないか。

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2018年2月 1日 (木)

来週は水曜日からスタート

2月1日(木)

今ギャラリーのバルコニーは雨が降りしきっている。この雨は雪に変わるのだろうか。先週と同じように積もって電車が止まったりするのだろうか。もう嫌だな。今日は何としてでも帰るぞと決心している。

19:00から古藤さんの作品の撮影をする。写真家の森岡純さんが始めている。

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2時間はかかるはずだから、9時は過ぎるだろう。

古藤さんは雪に備えて銀座にホテルをとった。

もしわたしが明日の朝ギャラリー到着が遅れたら、古藤さんにギャラリーを開けてもらう手はずをとった。

さて、来週から「On the Steps 2018」であるが、スタートは2月7日(水)からですのでご注意ください。(月)・(火)はお休みです。

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出品作家は

江川  真嗣/大塚 麻美/坂本 美紗希/松尾 夕姫/森 彬博/ソフィヤ・ルジッチ

20代、30代の若手6人展です。

作品はけっこう多めですので、見ごたえがあると思います。小品でリーズナブルな価格設定もしていますのでご期待ください。

パーティーをやります。

2月10日(土)15:00-17:00

遠方の作家が多いので来れる作家は限られていますが、楽しく飲みましょう。

セルビアのソフィヤさんは足の怪我で来れなくなってしまったのですが、つくばに住んでいるお姉さんのヨヴァナさんが来てくれることになっています。

今日発売の月刊「ギャラリー」にも小さく紹介記事が出ていますぜ。


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2018年1月29日 (月)

古藤典子は手強い

今日から古藤典子展が始まった。

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Stepsは年頭の倉重光則展、NYDC展、そして古藤典子展と、わりとハードな作品が続いている。それは望むところであるが、古藤作品は、かなり難解で手強い。

紙を鉛筆で埋め尽くして壁に貼る。さらに着色した木のパネルをその上に重ねる。単純な構造である。単純なものほど「難しい」ものなのである。しかし難題を解くというのはそれはそれで楽しいことなので、ぜひ足を運んで見ていただきたい。

一番の特徴は何といっても、パネルと紙を組み合わせているところである。古藤は何気なくやっているが、こんなことを試みる作家はいない。とても大胆な冒険をやっているのである。

「渚のアポリア St-1」 紙・木・グラファイトクレヨン・グラファイトペン・アクリル・鉛筆 99×102cm 2018 ¥250,000

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なにか具体的なものを描いているわけではないし、なにか象徴的な意味をそこに乗せているわけでもない。ただモノとしてそこにあるのだ、と考えるといいのだろうか。静謐な気配だけが漂ってくる。

絵画ではないし、インスタレーションに近いといえば言えるかも知れない。わたしなどは思わず「もの派?」と口を滑らせそうになる。

紙は紙で一つの作品だし、パネルはパネルで一個の作品である。それを組み合わせるというのはどういうことなのだろうか。その大胆さはかすかに狂気の味がする。

紙とパネルの間にある「距離感」は風景画を思わせないでもない。

パネルの立体性と紙の平面性の同居はダダ的な混乱を生じさせている。

「渚のアポリア St-3」 紙・木・グラファイトクレヨン・グラファイトペン・アクリル・鉛筆 113×70cm 2018 ¥220,000

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われわれは、作品の前に佇んで、作品が語りかけてくる微かな言葉に耳をそばだてるほかはない。

「渚のアポリア St-5」 木・グラファイトクレヨン・グラファイトペン・アクリル 90×30cm 2018 ¥120,000

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事務所のスペースには小品を置いてある。

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「夜明けの晩 4」 紙・アクリル・色鉛筆 23×31cm 2014 ¥45,000(額込み)

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本を3冊買う。

平松 洋 『クリムト 官能の世界へ』(角川新書)

『ロバート・キャパ写真集』(岩波文庫)

石川 桂郎 『俳人風狂列伝』(中公文庫)

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クリムトの「ストックレ・フリーズ 狭き壁面のための下絵」に衝撃を受ける。クリムトと夏目漱石はほとんど同時代人なんだね。一昨年は漱石の没後100年だったし、クリムトの没後100年は今年だそうである。











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2018年1月27日 (土)

古藤典子展、来週から

1月27日(土)

NYDCのダンス3回目、最終回。

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今日は観客でギャラリーがいっぱいになった。

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事務所もいっぱいである。

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NYDCはこれからまたダンス公演もやっていくと思うので、そのときはお知らせしますので、みなさんぜひ見に来てください。

来週から古藤典子展が始まる。

古藤さんはずっと、ギャラリー現で作品を発表して来たが、昨年、現は閉廊してしまったので、今年はStepsでと考えてくれたようなのである。

作品は来週紹介します。ご期待ください。

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2018年1月25日 (木)

パンで手を拭く

先週の19日(金)にカフェ「どんパ」に行った。どんパは20日に閉店と言っていたので、20日にはいけないかも知れないのでいけるときに行こうと思ったのであった。

店内はいつもよりお客さんが多い。

いつもの「ストロング」を注文する。

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これが最後の一杯になる。ここでコーヒーを飲みながら文庫本を読むことができなくなるのは悲しい。

そのあと、夏目漱石『坑夫』(岩波文庫)と河野与一『学問の曲り角』(岩波文庫)を買った。

河野与一という人を初めて知ったのだが、この本は有名らしいね。哲学者。恐ろしいほど博識で、もう、何でも知っているのである。そして、文章がくだけていて、とても読み易い。語学が堪能で、ギリシャ語、ラテン語、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロシア語、ポーランド語、オランダ語、ノルウェー語、スウェーデン語、ルーマニア語を、普通に読み書きできたのだそうだ。

ただ、著作が少ないので、あまり知られていないのだが、哲学者の間では尊敬されていた人らしい。読むことに徹した人だったようである。

「ローマの饗宴」という文章が面白かった。ローマ時代の宴会についてなど、全く知らなくて、ものすごい贅沢をして、吐きながら食べていたという噂を聞いたことがあるくらいだ。

ローマ時代の食事は手づかみで食べた。ナイフ、フォーク、スプーンはなかったそうである。皿も使わなかった。テーブルクロスなんていうのもない。「最後の晩餐」の絵にはテーブルクロスが描かれているものが多いが、あれは時代考証してないから間違って描いてしまったのだそうだ。

肉を切り分ける召使いがいて、切り分けられた肉片を手で食べるのである。煮込み料理のようなものは鍋ごとテーブルに置かれて、みんな手を突っ込んで頬張るのである。汚れた手はなんとパンで拭くのである!そのパンはどうするかというと、床に投げ捨てる。投げ捨てられたパンは犬が食べるのである。

なんかすごい。

肉というのは、おもに豚肉であり、牛肉は食べなかったようである。召使いたちが牛肉を食べていた。当時の牛肉はそれほど美味しくなかったようなのである。

とにかく宴会の豪奢はすさまじいものであり、いわゆるコース料理になっていて、一つのコースが終わると次のコースが出て、ぜんぶで4つか5つのコースになるそうである。当然食べきれないので、途中でみんな吐き気をもよおす薬を飲んで、食べたものを吐き出してから次のコースに行くわけである。なんでそんなことしたんだろうね。

ワインは水で割って飲んだということだが、それは、古代のワインはどろどろしていたからだそうである。

スープというものもなかったそうである。お粥のようなものはあって、これは貝殻で掬って食べたらしい。

メニューから珍しい食材を紹介すると、鶫(ツグミ)、鴫(シギ)、驢馬、豚の乳房、家鴨の肝、兎の前脚、鳩の胸、鶴…

燗をした葡萄酒を飲み干し、半熟ゆで卵を1つか2つ食べてから食事は始まったらしい。宴会は大イベントだったのだそうだ。

なんか、ギリシャとかローマとかに興味が湧いてきた。

河野さんは、偉い哲学者なのに、なぜ欠伸はうつるのかとか、なぜ連れションしたくなるのか、とかけっこうくだらないことを真剣に考えるから楽しい。

誰かが、河野先生に、文学で一番面白かったのはなんですか?と聞くと、韻文ではホメロス、散文ではトルストイの「戦争と平和」と答えたそうである。

『小熊秀雄詩集』の編者あとがきに、岩田宏が小熊の貧乏ぶりを、杉浦明平の文章を引用して書いているのが、なんかしみじみしてしまった。

「この頃「帝大新聞」の編集委員だった杉浦明平はある日、一円五十銭の原稿料の前払いを拒まれた小熊秀雄の姿を、次のように描いている。

ーわたしは小熊と一しょに編集室を出て地下食堂に入った。小熊は「トーストをとっていただけませんか」と哀願するような声でカウンターのそばでわたしにささやいた。そのときのかれの眼はうさぎのようにおどおどしていたのをいまでも覚えている。ひょっとしたら朝から何も食べていなかったのかもしれぬ。

そしてほとんど無言でわたしはコーヒーをすすり終り、かれはパンを食べ終ると、「電車賃を貸していただけませんか」とかすかな声でいった…」

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