2020年8月 8日 (土)

夏季休廊

今日の石倉仁一郎展が終ると、明日から、Steps Gallery は夏休み。

8月9日(日)-23日(日)

2週間の休み。「コロナ」で2ヶ月休んだあとの2週間て何だろうね。

山形に帰省することも憚られるから、ときどきギャラリーに来て作品を作ったり、自宅アトリエの掃除をしたりすることになるだろうなあ。

休廊明けの展覧会は「MATSUO Yuki 展」 でスタートする予定です。

Photo_20200808115701

松尾夕姫ちゃんは、作家名を MATSUO Yuki と変えた。名前といっしょに作品も変っているかもしれない。

大阪在住ということと、本人の健康状態のこともあり、今回は作家本人はギャラリーには来ない予定です。作品だけでみなさんをお迎えします。

MATSUO Yuki 略歴

1990 大阪生まれ

2008 大阪芸術大学 舞台美術科 舞台美術コース 入学

2014 京都嵯峨芸術大学 芸術学部 造形学科 油画専攻 卒業

〈個展〉

2014 「scenery」(ギャラリーはねうさぎ/京都)

2015 「&」(ギャラリーそら/大阪)

2017 「ambivalence」(Steps Gallery/東京)

2020 「unmasquerade」(Steps Gallery/東京)

〈グループ展〉

2015 「うのぜみ」(Steps Gallery/東京) 他多数。

今日、MATSO作品が送られてくるよていなので、ゆっくりと展示を考えよう。

MATSUO さんのあとは金澤麻由子展なのですが、日曜スタートになります。7日間やりますので、お楽しみに。新作絵本の原画と、パグの絵画を展示します。

8月30日(日)-9月5日(土)

Photo_20200808121201

金澤さんは東京にやってきて、毎日在廊する予定です。初日の午後は絵本読み聞かせあり。ほかに午前中に「パグ」を描くワークショップもやります。

 

先日、高橋ブランカが来廊したので、倉重光則論をあげた。これは横須賀美術館のカタログに載るので、まだ誰にも見せていないのだが、小説家であるブランカに読んでもらおうと思ったのだ。t

「ミラン・トゥーツォヴィッチ論の次にがんばった文章だよ」

「じゃあ、3番目にがんばるのは、私についての論ね」

「そ、そうだね…」

今年の12月にブランカ個展があるから、そのときに書かなければならないかもしれない。

ブランカからメールで、すっごくよかったです!何かの小説に使いたいくらいです!とお褒めの言葉。

一安心。

さて、今日は石倉さんの搬出だが、そのあとは搬入が無いので、のんびりだな。

 

| | コメント (0)

2020年8月 6日 (木)

短くまとめる

8月5日(水)

今日は眼科に目薬を貰いに行く。新宿はめちゃくちゃ暑いのだが、昨日より気温が高いのに、昨日よりも凌ぎやすい感じがした。湿度の問題だな。気温が高くても湿度が低いと大丈夫だ。

病院に行く前に「珈人」でひと休み。カレーとアイスコーヒー。暑いときはカレーがいいね、やっぱり。アイスコーヒーを飲みながら本を読もうとしたのだが、おっといけねえ、原稿書かなくちゃ。「アートコレクターズ」から、作品の解説とか略歴などとかを出すようにと言われていたのである。解説は150字、略歴は100字以内だそうである。

短い…

こういうのって、長く書くよりも短くまとめるほうがはるかに難しい。このあいだ完成した倉重光則論なんて、A4紙に7枚、文字にすると14000字だ。でも大変だったけど難しいわけではなかった。

略歴を100字で…自分の一生を100字でまとめるわけである。まとめようと思えば、人の一生も100字程度なのかも知れない。

これが略歴。

「1956年 山形県生まれ。1981年 東京学芸大学美術科卒業。個展 2010年 Caelum Gallery(ニューヨーク)、2013年 アイスファブリック(ドイツ)、グループ展 2015年 「2+2」 (セルビア国営放送局ギャラリー/ベオグラード)等多数。」

まとまっちゃうわけよ。なんだかね。

作品の解説はこれ。

「具体的な自分の過去の記憶とその図像。現在の自分が、そのイメージをなぞっていくと、抽象的な画面が完成する。過去と現在をつなぐドローイング。出来上がったドローイングをプロジェクターを使い拡大し、テープで壁に転写していく。作業は作家が行うのではなく、すべてスタッフに任せる。」

「アートコレクターズ」の次号に作品といっしょに掲載してくれるとのことだった。

書き終わってアイスコーヒーの残りを飲んでから眼科に急いだ。

ポール・オースター 『孤独の発明』 読み終わる。

うーん、なかなかよい!柴田元幸さんの翻訳も、文体がしっくりくる。

「部屋(ルーム)と墓(トゥーム)、墓(トゥーム)と子宮(ウーム)、子宮(ウーム)と部屋(ルーム)、息(ブレス)と死(デス)。あるいは「生きる」(live)という言葉の文字を組み替えれば「悪」(evil)になるという事実。……韻を踏む言葉、言葉の変容、そういったものの力をあなどってはならない。……人生における出来事同士が韻を踏むこともありうるのだ…」

 

| | コメント (0)

2020年8月 3日 (月)

石倉仁一郎展

今日から石倉さんの個展が始りました。

ギャラリー内には、巻紙に描いたドローイングが2枚、それぞれ10mほどの長さのものが壁面に展示してある。

Photo_20200803125001

紙に鉛筆で描いた素朴とも呼んでいいような、短い直線を重ねたものなのだが、なぜか、とても懐かしい気持ちになる。

昔、どこかで見たような、こういう場面に立ち会ったことがあるような、不思議な空間なのである。

Photo_20200803125401

石倉さんが福島出身であることが関係しているのか(していないのだろうが…)、田舎の古い家の土蔵の中にいるような気持ちになってくるのである。外は暑いのに、蔵の中はひんやりして、過去に引き戻されていくような感覚だ。

作品の成り立ちや技法と全く関係なく、こういった気分にさせてくれるのは、どういうわけなのだろう。

石倉さんの記憶と見る者の記憶がどこかで重なっているからなのだろう。われわれの記憶を呼び戻す作品になっている。彼の愛読するポール・オースターのことばを借りるなら

「記憶―物事が二度目に起きる空間。」(ポール・オースター『孤独の発明』)

ということになるだろうか。

Photo_20200803130201

ここでは時間体験をすることができる。

これは小品。

2_20200803130401

「束の間 ノ 一」 紙に鉛筆 20×30cm 2020 ¥17,000

Photo_20200803130501

石倉さんの個展が終ると、Stepsは2週間の夏季休廊になります。

ぜひ足をお運びください。

| | コメント (0)

2020年7月31日 (金)

ポール・オースター

7月31日(金)

さっき、ラジオでは、東京都のコロナ感染者が400人を超えると言っていた。

どうなるのか心配ではある。感染者数というのは数字だけど、なんか少しずつ数字の意味合いがあやふやで、とらえどころのないものに変ってきた感がある。整数論的な数字ではなく、確率論的な数字とでもいったらいいのだろうか。実体が摑みにくい。

感染者が増えても、来週の石倉さんの個展は予定通り開催する。

Dm_20200731123301

石倉仁一郎 展

8月3日(月)-8日(土)

石倉さんは時間はわからないが、毎日在廊予定である。コロナがどうなっても個展はやる!と本人も決意している。

先日、石倉さんと話をしていて、ポール・オースターの話題になった。よく聞くと、彼はオースターは、ほとんど全部の作品を読んでいるらしい。「オースターの先輩」である。吉岡さんもやっとオースターを見つけましたか!という感じだった。

本屋さんの書棚をいつもチェックしているつもりだが、少しでも気を許すと、え?という変化を遂げているので気をつけなければならない。なんと、新潮文庫では、オースターの作品を10冊並べ始めた。よし、こうなったらオースターを全部読破しなくちゃ、『ムーン・パレス』は読んだからあと9冊である。教文館で全部買ってやる!という勢いで行ったのだが、やっぱり9冊全部は重荷に感じたの「で、4冊だけにしておいた。

『ブルックリン・フォリーズ』、『孤独の発明』、『ナショナル・ストーリー・プロジェクトⅡ』、『偶然の音楽』

Photo_20200731124601

今、読み始めたのは『孤独の発明』、初期の作品であるが、少し読んだだけで、オースターはノーベル文学賞を獲るだろうなと思った。

この作品は、彼の父親について描いた作品なのだが、奇妙な内容である。へんな父親である。

最初のページに写真が2枚挟んである。説明文はなく、ただ載せてあるだけである。

Photo_20200731130401

Photo_20200731130501

本文を読んでいくと、これがどんな写真なのか分かってくる。どういう写真なのかは書かないでおこう。

話は変るが、来年の1月の最初のStepsの展覧会は、ギャラリー企画で、女性彫刻家6人のグループ展になる。わたしはこの展覧会のタイトルを「彫刻女子」として提案していたのだが、評判がよくなかったので、なにかほかにアイデアがあったら言ってね、という連絡をしたら、今井由緒子さんから、「RAUM」ではどうかしら?と返信があった。ラウム、ドイツ語で空間という意味である。おお、それはいい!ほかに誰からも連絡がなかったので、ほぼ「RAUM」に決定である。空間ということばで、ああそうだ、ポール・オースターの『ムーン・パレス』のなかのあるフレーズを思い出したので、その一文を案内状に載せようと考えている。

「限られた空間をとことん掘り下げるなかで、空間はいつしか無尽蔵となっていった。果てることのない世界内世界がそこに広がっていった。」

 

 

| | コメント (0)

2020年7月29日 (水)

のーべるしょー

紋谷幹男さんのブログです。吉岡展評。

 http://monyaart.jugem.jp/?eid=4288 [1] 

7月28日(火)

今日はわたしはギャラリーはお休み。休みだからなにかしようとは思ったのだが、思っただけで身体は動かず、結局一日中ぼうっとテレビを見て終わってしまった。家の外には一歩も出なかった。夜までテレビを見ていたのだが、

ああ、この番組は火曜日だったのね、とうれしくなった番組がある。

好きなテレビ番組はいろいろあって、最近では「ポツンと一軒家」とかを楽しみにしている。「小さな村の物語」とか、「孤独のグルメ」とかも好きなのだが、これらの放送日と時間を知らない。そういうことが多い。

さて、昨日の番組というのは、BSフジでやっている「クイズ!脳ベルSHOW」のことである。最初はなんかしょぼい番組だなあと思ってすぐに切り替えたりしていたのだが、このところ妙に面白くてはまってしまっている。見たことのある方は分かると思うが、地方のテレビ局のさびれた番組風で、見ているほうが辛くなってしまうのだ。

毎回4人のクイズ回答者が登場する。司会の岡田圭右がはりきって場を盛り上げているのだが、回答者たちは年配の方々ばかりで、テンションが低くて乗ってこない。アシスタントのアナウンサーは、今までこんな人いたの?というくらい見たことのない女子アナで、女子アナというには、少々年齢がいっていて、見た目も、ワイドショーの洗剤のCMに出てくるようなおばさんである。微妙な雰囲気をかもし出している。

さて、回答者であるが、だいたい60代の人が多く、50歳だったらこの中では若手ということになるだろう。素人さんではなく、なにがしか、芸能界やスポーツ界などに関わっていた人たちなのだが、これが、誰だかわからないのよ。最初に名前は紹介されるのだが、どんな人なのかは説明されない。で、クイズが進むに連れて、昔の活躍していた頃の写真が出てきたり、エピソードを引き出すトークが加わったりして、正体が明かされていくのだが、番組の終わりになっても、とうとう何の人なのか分からずじまいだったりもする。いっとき売れた歌手のグループの一員だったり、ヒット作が一本だけの映画俳優とか、ほどほどの活躍をしたかもしれない野球選手とかばかりなのである。たまには「有名な」名前の人も出る。ブル中野とか、小梅太夫とか…

ははあ、プロデューサーとしては、こういう「微妙な」人たちを集めて、見るからにしょぼい番組を作ろうとしているのだ。非常にマニアックである。こういう微妙なキャスティングを楽しんでいるとしか思えない。若い人たちは、これを見ても全く面白くないことは保証する。クイズの中身もすごいよ。60年前の曲を流して、途中で止めて、さてこの次に入ることばは何でしょう ?とか、ものすごく古い駄菓子をもってきて、この商品の名前は?なんていう問題ばかりなのだ。若い人たちは何のことかまったく分からないだろうが、60代以上の人には馬鹿うけである。

とんちんかんな答えをする回答者がいると、岡田圭右は、呼子(ホィッスル)を鳴らして警告する。これは、注意するというよりも、だらだら流れるゆるい雰囲気に、少しでもアクセントを加えようとしているのだろう。

回答者たちは、一応クイズに正解して、10脳ベルとか20脳ベルとかのポイントを勝ち取るために頑張っている。みんな、80脳ベルとか100脳ベルとかをゲットするのだが、最後の問題が、正解すると200脳ベルがもらえたりするので、最後の問題さえ解ければ1位になれるのだ。

ところが、全員不正解ということが多いので、200脳ベルを貰う人はほとんどいない。

優勝すると賞品がもらえる。

米5キロ。

最後までがんばって盛り上げた岡田圭右はこの番組にぴったりである。えらい。

閉店ガラガラ。

 

| | コメント (0)

2020年7月27日 (月)

説明いらずの作品

今日から赤川浩之展。

Photo_20200727124001

ギャラリー内に12点、事務所に5点。

Photo_20200727124101

時計やカメラなどのさまざまな部品を組み合わせた作品である。ソーラーでそれぞれ不思議な動きをしている。ピタゴラスィッチ的なところが楽しい。

「no 685」 木・金属・ガラス・珈琲・キップル・ムーブメント・他(展示作品すべて共通) 23×16×67cm 2020 ¥50,000

Photo_20200727124801

動かないと面白くないのか。いや、動かなくても面白い。これは立体、すなわち彫刻であるので、その形態だけで十分鑑賞に堪えるのである。動きはオプションと考えたほうがいいかもしれない。それぞれ微かな音や、わりと喧しい音を出すものがあり、個性的である。ギャラリーのライトを全部消すと静かになる。

「no 340」 14×11×29cm 2020 ¥50,000

Photo_20200727125601

これはわたしが好きな作品で、上部についている目玉のようなものは、カメラの絞り。これが閉じたり開いたりする。

「no 1080」 18×17×35cm 2020 ¥70,000

Photo_20200727125901

ただ眺めて楽しめばよい作品である。なにも考えずぼうっとして見ていられる。説明はいらないだろう。説明なんてヤボなのよ。

「no 555」 22×16×32cm 2020 ¥70,000

Photo_20200727130301

「no 392」 14×19×39cm 2020¥50,000

Photo_20200727130701

ね。

| | コメント (0)

2020年7月24日 (金)

赤川浩之展搬入中

来週は赤川浩之展

7月27日(月)-8月1日(土)

現在搬入中。

Photo_20200724144401

不思議な立体を用意している。ソーラーで動いたりする。

赤川浩之という作家は初めて聞く名前ではないだろうか。それはそうなので、今回が初個展なのである。作品をずっと続けて作ってきて発表もたくさんしているのだが、グループ展だけだったのだ。

彼は、わたしの大学の版画研究室の後輩なのだ。たしか2年後輩だったはずである。わたしが初個展をやったときに、テーピングを手伝ってくれた。いわば初代テーピングスタッフなのである。大学を卒業してから小学校の先生になり、定年まで勤めた。随分と作品を作ってきたはずだが、今回ようやく個展開催ということになったのである。

毎日ギャラリーに詰めていますので、みなさん、「こんなとき」に負けずに見にきてください。

作品紹介は月曜日にします。

吉岡の個展は後半お客さんが減ったが、無事に終了。来ていただいた方、ありがとうございました。来廊者は160人。作品は20点中13点が売れた。そのほかにドローイング4点も売れた。お買い上げいただいた方にも感謝いたします。

茨城から藤本さんとか、長野から霜田誠二氏とか、遠くから来ていただいた方もいて、嬉しかったです。

☆展覧会

「涼のしつらえ」

8/3(月)-8(土)

AC GALLERY(銀座5-5-9阿部ビル4F)

光本岳士くんが出品しています。金工作品。光本君も学芸大学の後輩。後輩といってもわたしが卒業したあと大学に入った、ずっと下の学年なのだが、なぜかつながっていて、今回のわたしの個展に来て、ハガキの作品がほしいのですが、と言ってくれた。その作品はすでに売れていたので、他の作品を購入してくれた。

Dm_20200724150601

カポーティと『ビザンツ帝国』をすっ飛ばして、ポール・オースター『ムーン・パレス』を読んでいる。

こんな描写はどう?

「…ほんの一瞬、僕が背中を向けた瞬間、気がつくとキティはベッドを離れてキッチンに入ってきていた。そして何も言わずにうしろにすっと寄ってきて、僕の腰に両腕を回し、頭を僕の背中に寄りかからせた。「誰だろう?」と僕はわざとらしく言った。「龍女(ドラゴン・レディ)よ」とキティは言った。「あなたをつかまえに来たのよ」 僕は彼女の両手を握った。震えないようにと努めながら、その肌の滑らかさを感じていた。「もうつかまっちゃったみたいだよ」と僕は言った。

一呼吸間があった。やがてキティは、僕の腰に回した腕をぎゅっと締めた。「ねえ、私のこと、少しは好きでしょう?」「少し以上さ。わかってるだろう。少しどころじゃないよ」

美しい中国人の女の子が、あたかも別世界から来た天使のように降り立ったのだ。彼女に恋をしないことなんて不可能だった。ただ単に彼女がそこにいるという事実に酔いしれないことなんて不可能だった。」

いいでしょう、これ。このアメリカ的軽薄な感じが、なんだか勇気をくれるのよ。アメリカ人の単純さは悪くない。

 

 

| | コメント (0)

2020年7月20日 (月)

中間報告

吉岡の個展は先週の土曜日で、13日間のうちの10日が終った。あと3日である。

東京の新型コロナの感染者数が200人を超えたあと、ギャラリーもお客さんが極端に減った。10日間で来廊者は130人。いつもの個展の半分以下である。

寂しい。

でも、作品は20点中11点購入していただいている。ありがたい。1点だけ展示した鉛筆のドローイング作品も、「ほかにないの?」と言われて、仕舞っていた3点を出したら、これも全部売れた。

あと3日、なんとか元気で頑張ろう。

でも、お客さんが少ないのが、自分の個展のときでよかったような気もする。ほかの作家さんの展覧会のときにお客さんが激減したら、申し訳ないから。これは、「よかった」という判断をしよう。

わたしの個展は22日(水)が最終日なのだが、次の赤川浩之展は次週の27日(月)からということになる。23日~26日は休廊になる。ご注意ください。

来週は天気もよくて、感染者数も減るといいのだけれど…

昨日は疲れて、がちがちの身体をほぐしてもらいにマッサージに。

マッサージ店の入っているイオンのビルの中に、小さな本屋さんがあり、ちょっと立ち寄って、また1冊買ってしまった。いつもは小さな本屋さんは並べている本が少なくて、新刊もあまりないので買うことはないのだが、ときどき、不思議な出会いがあるのである。

本屋さんは、その規模によって、3つに区分することができるとわたしは考えている。1つは、膨大な蔵書があり、店頭にもずらりと本を並べて、無いものはありませんよ、とでも言いたげなメガストアである。東京駅前の、八重洲ブックセンターとか丸善、新宿の紀伊国屋とかの本屋である。そして、規模のとても小さい、地方都市の商店街の片隅にあるような寂しげな書店である。で、中間に当たるのが、教文館とか、わたしがいつもうろうろする稲毛駅ビルの熊沢書店などである。「中間」と「小規模」店の違いは、岩波文庫を置いているか、あるいは講談社文芸文庫をそろえているかという違いである。小規模店は岩波も講談社文芸もおいていないのである。しかし、小規模店は商品の入れ替えが少ないので、あまり見かけない本があったりして、おお、これは!という本を見つけたりするのだ。

昨日見つけたのは

ポール・オースター 『ムーン・パレス』 (新潮文庫)

Photo_20200720135101

なにげなく開いて最初のページを読んでみる。

「それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。そのころ僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあるとは思えなかった。僕は危険な生き方をしてみたかった。とことん行けるところまで自分を追いつめていって、行きついた先で何が起きるか見てみたかった。結果的に、僕は破滅の一歩手前まで行った。持ち金は少しずつゼロに近づいていった。アパートも追い出され、路頭で暮らすことになった。もしキティ・ウーという名の女の子がいなかったら、たぶん僕は餓死していただろう。…」

こんな冒頭を読んでしまったら、もう買うしかないだろう。

わたしは、本を持ってカウンターに出したら、店員さんが、今新潮文庫を買うと、団扇のしおりがついてきます。どれがいいですか?と4種類の団扇しおりを見せてくれたので、わたしは、本の星座のしおりを選んだ。

 

 

| | コメント (0)

2020年7月17日 (金)

何もしない

理由はないのだが、一日何もしないでおこうと決めて、ぼうっとして過ごすことにした。昨日のことである。

ギャラリーにはいつも雑用があり、せわしく動いていることが多いのだが、たまには無為に過ごしてみようと決めたのだ。決めないと何かしらやり始めるという悲しい性があるのである。

つげ義春が理想である。何もしない達人である。

前にもどこかに書いた気がするが、彼の漫画に、いつもポケットに300円を入れておくというのがある。ある日、近所のお祭りの出店で、焼きそばを作る仕事を頼まれて、張り切って焼きそばを作ったら、売れ行きがよかった。もちろんボランティアでやっているので、バイト代は焼きそばとビールだ。つげは、帰りに売り上げが入ったザルの中から100円玉を3枚くすねる。

なぜ300円かというと、(当時は)300円あれば、煙草を買って喫茶店に入り、コーヒーを飲むことができたからである。300円がポケットに入っていると安心なのである。

わたしは喫茶店には行けないので、アイスコーヒーを持ってバルコニーに出て煙草を吸うことにする。ラジオを聴いたり、本を読んだりする。

ロベルト・ロンギ 『イタリア絵画史』 を読み終わる。面白かった。

非常にくせのある人だったようだ。ミケランジェロはすばらしい!と評価する一方で、レオナルドに対しては冷たい。ラファエッロなんかは散々な目に遭っている。

「ラファエッロにこれ以上かかずらうのは止めにしよう。諸君もすでに理解したように、かれは正しくは純粋な画家に列せられる者ではなく、生の理想の視覚的な解説者のひとりなのだ。かれの作品は視覚文学であって絵画ではない。」

『イタリア絵画史』 は講義のメモだったと解説にある。高校生を相手にしての、2週間40時間の集中講義だったようである。高校生といっても、今の日本でいう、大学の教養学部の1年生くらいだそうだ。「諸君」というのは学生のことである。夏休みの集中講義かなんかだったらしく、ものすごく暑い日が続いていた。しかし、ロンギの情熱的な講義は学生をうならせた。最後の「結論」の章では、彼の若さと熱気が伝わってくる。

「イタリア絵画!さてこの言葉がいったい何だというのだろう!どんな権利と義務があって、ある絵画をイタリア絵画と呼ぶのだろうか。ボッライオーロやティツィアーノ、カラヴァッジョのなかにどんな特別のイタリア精神を感じるというのだろう。だから、次のこともまた諸君にはっきりと知ってもらいたい。つまり「芸術における民族性には何の重要性もない」ということだ。」

「本質的!この言葉が、我が身から引き離さねばならない最後のノスタルジーだろうか。本質的なことは四十時間もの美術史の講義のあと、この世にはビフテキと煙草以外に、絵画と彫刻が存在することを、諸君のうちの一人でも時折は思い出せるかどうかということだ。」

「いつどこで諸君のうちの誰かを見かけるだろう。たとえば優雅な春のパリ、サロン・カレで、何世紀ものあいだ世界を欺いてきた偽りの傑作に対し、わたしの忠告に従って軽蔑の背を向けているときにだろうか。焼けつくような夏、地方の寂れた美術館の眠たげな部屋に涼をもとめているところをだろうか。ああ地方の美術館!まどろむ守衛と、市立博物館の名誉にまったく無関心な町の低いざわめきが聞こえてきそうだ。

……

今日はなんて暑い日だろう。

一九一四年七月」

ロンギを読み終えたので、本を2冊購入。

トルーマン・カポーティ 『ティファニーで朝食を』(新潮文庫)

中谷功治 『ビザンツ帝国』(中公新書)

Photo_20200717141401

カポーティは村上春樹訳だけど、まあいいか。

ビザンツ帝国のビザンツというのは、美術史でいうビザンティンと同じだそうである。歴史学ではビザンツといい、美術史ではビザンティンといういい方になっているのだそうだ。どちらが正しいか。どちらでもいいそうである。というか、正式にはどちらも正しくない。正式には「ローマ人の帝国」と呼ぶのだそうである。

昨日、ダンスのカセイさんと、ワカコさんが来て、絵本を出したの!といってチラシをもってきた。

『泣き虫ポロロ』

文 いしだ わかこ

絵 カセイ イノウエ

音楽・映像 なかじま あきひろ

朗読 山本 モリヒト

Photo_20200717142201

これは本屋さんにある「紙」ではなく、電子版なのだそうである。600円だそうである。わたしは、こういうのよくわからないのだが、ネットで注文するらしいですよ。

https://www.music-storybook.com

絶賛発売中!

 

 

| | コメント (0)

2020年7月14日 (火)

ラッキー底辺

洲崎一志さん撮影のパノラマです。

http://www.jpartmuseum.com/jam_live2020/steps45/panorama/index.html <http://www.jpartmuseum.com/jam_live2020/steps45/panorama/index.html>

このあいだの日曜日にマッサージに行った。アルコールで手を消毒する。そのあと熱を測る。サーモなんとかっていう、バーコード読み取り機みたいな形のあれ。店員さんが、ピッってやりながら、

「大阪では、これをやるとみんな、やられたあ!って言って倒れる真似をするらしいですよ」

「本当なの?」

「本当らしいです」

前回の展覧会「FAVORITE」では、たくさんのお客さんが来てくれたのだが、わたしの個展は、お客さんが少ない。初日はいつも30人~50人くらい来るので、密になったらどうしようと心配していたのだが、初日は10人。今までで一番少なかった。その後もお客さんは増えず、なんか寂しい感じである。東京都のコロナ感染者が200人を越えたら、お客さんがぱったり来なくなったのだ。みんな数字に敏感である。なので、現在来廊者は80人足らずなのであるが、作品は7点売れていて、そのほかにドローイングも2点売れている。効率がいいといえばいいのだが、なんだかなあ…である。

昨日は、青山のトキ・アートスペースの、トキ・ノリコさんが来てくれて、非常事態宣言下のギャラリーの話をした。いろんなお店では売り上げが半分以下になったといって困っているわけだが、ギャラリーはどうかというと、特に現代美術のギャラリーでは、もともと作品が売れているわけではないので、大きな損失はないのである。もちろんギャラリーのレンタル料とかはあるけど、それはなんとかしのげた。

もともと売り上げが少ないからよかったっていうのも嬉しいんだか悲しいんだかわからない。

「わたしたちみたいなのをね、ラッキー底辺っていうんですって」

「へえ!そうなの?」

ロベルト・ロンギの『イタリア絵画史』を読み進んでいる。

この人は、究極的に、絵画は線と形と色で評価するのであると、言っていて、レオナルドの絵画は心理的すぎると批判したりするのだが、線と形と色を突き詰めていくと最終的には抽象画に行き着くはずである。ところがロンギの面白いところは、抽象画が好きではなかったというところである。議論と好みが一致しないところがとても面白い。ロンギと同時代の画家で、彼と仲がよかったのはモランディだそうである。モランディといえば、静物をどんどん単純化して、この画家は抽象にいくのでは?と思わせるのだが、モランディは抽象画の方向にはいかなかった。

 

| | コメント (0)

«細部にこだわらない